Because, I’m
LIBETY FORCEを体現する人
好きなことに挑戦する若い世代を応援したい
ファッション、アート、ダンス、音楽…いま、沖縄から発信されるクリエイティブシーンが注目されている。沖縄県内で「XLARGE」「X-girl」「MILKFED.」などのアパレルショップを運営する「トライラボ」代表で「LIBERTY FORCE」という自身のブランドを手がける照屋健太郎さんは、まさにその火中の人。ファッションという枠にとらわれず、アート、音楽、そして社会活動まで、多彩なフィールドで精力的に活躍している。その原動力になる思いとは?
Q. 沖縄出身の照屋さんですが、大学進学から18年間、東京にいられたそうですね。まずは東京時代のお話を聞かせてください。
東京での大学時代にファッションに興味をもち、アパレルの道を目指したんです。僕は長男なので、両親には「沖縄へ帰ってきて就職しなさい」とずっと言われていて…。東京でこのまま働きたいとなんとか説得したら、「どんな道を進むとしても、その道で一流を目指しなさい」と言われました。だったら、一流の販売員になってみせると思ったんです。
僕が入社したのは、ストリートブランドの「XLARGE」「X-girl」などを扱うビーズインターナショナルです。先輩や同期にはアパレルの専門学校を出たりして、業界の人脈や服の知識も豊富な方が多くて、自分はコンプレックスを感じていました。
そこで考えたのは、髪を赤いモヒカンにして店頭に立とうと(笑)。まずは、お客さんにインパクトのある見た目で自分をアピールして覚えてもらうことから始めました。オフの時も、人が集まるクラブやイベントに毎晩出かけて、仲良くなった人たちに名刺を渡して、「僕、ここのお店にいるから、来てくださいね」という感じで、知り合いを増やしていったんです。
そんな感じで一年くらい活動を続けていたら、社内でも5本の指に入ると言われる販売員になり、店長を任される程になりました。さらに30代になった頃、この頃はもうSNSが普及していて、交友関係が可視化されるようになりましたよね。すると、「照屋くんて、こんなにいろんな人と繋がっているんだ」と社内で周知されるようになり、店舗から本社に移り、ブランドのPR担当としてコラボ企画も手がけるようになりました。
Q. それで沖縄に戻ったのが30代半ば…。なぜ帰ろうと決めたのですか?
いつか結婚して自分の子どもができたら、自然が豊かな沖縄で育てたいなと。20代の頃から何となくそう思っていて、友だちに話していたんです。僕は34歳で結婚したんですが、妻の妊娠がわかったとき、彼女もそれを覚えていてくれて「沖縄へ帰ろうか」と。僕は会社を辞めて、沖縄へ戻ることを決めました。
東京ではもうやりたいことを全部やり尽くしたという思いもありました。沖縄へ帰っても、何か仕事を探して生きていけるアテはありませんでした。でも、妻がいて、生まれてくる子どもがいる。この3人だったら、絶対何とかなるという根拠がないけどすごい自信だけはなぜかあったんです。
その気持ちが何かを呼び寄せたのか。沖縄へ帰って4日後にはコロナビールの音楽フェスの話があり、親しい仲間から手伝ってほしいと仕事が入ってきました。さらに一か月後には、僕がオーナーをやるんだったら、ショップをオープンしたいという話をいただいたんです。自分はファッションじゃない仕事をしたいと思っていたので断ったんですが、そのやりとりが数回続いた後、妻にも連絡が来て、結局、彼女から背中を押されて、オープンすることにしたんです。アメリカに本社があるスニーカーショップの国内4店舗目で、ものすごく売り上げを伸ばしました。2年目には前の会社の看板ブランド「XLARGE」も扱ってほしいと言われ、「XLARGE」沖縄店の運営も任されました。
Q. そこからさらに「X-girl」「MILKFED」などのショップを展開するなか、自身のブランド「LIBERTY FORCE」を立ち上げたわけですが、どんなきっかけがあったのでしょう?
うちのスタッフは平均年齢が23、24歳くらいで、20歳前後が多い会社です。若い彼らを見ていると学ぶこともあるし、面白いことをやっている子がいます。僕がかつて沖縄にいた頃も、安室奈美恵ちゃんやSPEEDとか、特に音楽の世界でクリエイティブな才能が注目されていたけれど、今の時代の方がいろんなジャンルでクリエイティブな才能を持っている人が多いなと思ったんです。
ヒップホップのラッパーで有名な子たちや、絵を描くアーティストとか。僕が20代の頃にはできなかったけれど、いまは動画でかんたんに発信できてしまうでしょ。情報の量も伝達スピードも速い。東京でもいろんなアーティストと出会ったけれど、沖縄は東京と同じくらい才能ある人が集まっている地だと実感しました。
彼らのような人たちの刺激となればと考え、僕が初めて地元で開催したのが、“アートとおもちゃのコレクション展”なんです。僕はアートやおもちゃが大好きで、国内外で旅した時などに買い集めていた中には、沖縄では見る機会の少ない貴重なものも多い。皆に楽しんでもらえるんじゃないかと思ったのです。
その時の個展のタイトルが、「LIBERTY FORCE」だったのです。「LIBERTY」には「自由の力」という意味。自由を表す英単語には「FREEDOM」と「LIBERTY」という言葉があって、「FREEDOM」は鳥が空を飛んでいるように制約されない自由のイメージですが、「LIBERTY」には自分の力で勝ち取った自由という意味があります。誰もが「自由の力」を持っているから、好きなことに挑戦してほしいというメッセージを込めたのです。
人通りが少ない場所にあるギャラリーでしたが、10日間で延べ2500人以上の方が来てくれました。お客さんからは、「進路を迷っていたけど、力をもらいました」「やっぱり好きなことをやるって大事ですね!」といった感想をいっぱいもらい、中には涙目になってしまう子もいました。若い人たちがすごく共感してくれたのは嬉しかった。でも、なんで僕のメッセージがこれ程までに心に響くのだろうということが気になりました。
一年ぐらいずっと考えていて気づくことがありました。若い人たちには、沖縄はコミュニティが狭くて、職業の選択肢も少ないから、というあきらめの気持ちがあるのかもしれない。自分は音楽やアートで食べていきたいと言うと、周りから「大丈夫?」という目で見られることが多いようです。
実際、僕自身も親から「公務員になりなさい」と言われて育ったし、今の若い人たちに聞いても同じような状況が見られました。親には「学生時代は好きなことをやっていてもいいけど、卒業したらもう終わり。資格を取ったり、公務員になったり、ちゃんと就職しなさい」と言われ、本当の自分の気持ちを押し殺してしまうわけです。
でも、僕らみたいに好きなことを仕事にしている大人もいる。決して就職することを否定するわけではなく、「好きなことに挑戦し続けていくことも大事だよ」と伝えたい。
そのメッセージを発信していくために、「LIBERTY FORCE」という概念をブランド化しようと思ったんです。「LIBERTY FORCE」のロゴを作って、いろいろな活動を行うとともに、メッセージとともに広めていきました。
Q. 具体的にはどのような活動に取り組まれたのですか?
例えば、白いTシャツに「LIBERTY FORCE」のロゴを入れて、「CHASE YOUR BRIGHT FUTURE(君の明るい未来を追いかけて)」というメッセージをプリントするとか。キャップなどファッショングッズを作って、ポップアップショップで販売しています。
元プロボクサーの具志堅用高さんをデザインしたコラボTシャツもあります。沖縄県出身の具志堅さんは世界チャンピオンの夢を叶えた方で、タレントとしても明るいキャラクターで愛されています。沖縄の人たちに希望を与えた存在であり、好きなことに挑戦しようというメッセージにすごく合っていると思ったのです。コラボするなら具志堅さんと決めていたので、一年がかりでやっとアプローチできて、Tシャツは過去最高の人気でした。
ファッションだけでなく、音楽を作って配信したり、石垣島のホテルで壁画アートのパフォーマンスをしたり。いろんなアーティストとコラボして、様々なカルチャーをミックスしたイベントを展開しています。
例えば、ヒップホップ・アーティストでは、Awich(エイウィッチ)という女性のラッパーがいます。去年、武道館で初めてライブをやっていて、今の目標は世界で勝負することを掲げている。日本のヒップホップシーンを牽引するアーティストとして注目していますね。
スポーツの世界では、沖縄でバスケットボールの世界大会が開催され、男子の日本代表が来年のパリ五輪出場を決めたことが大きな話題になった。米軍基地がある北谷エリアでは自転車とコーヒーを楽しむカルチャーが独自のスタイルで根づいてきています。
「沖縄から世界へ」という言葉をよく聞きますが、自分の中では「世界から注目される沖縄へ」という表現の方がしっくりくるような気がします。
沖縄の伝統文化である陶器やガラス工芸などの世界にも、新しいムーブメントが生まれています。沖縄では焼き物のことを「やちむん」と言いますが、新しい作家がどんどん出ていて、やちむん市は県外からの集客もすごくて盛り上がっている。僕は琉球ガラスも好きなので、泡盛の残波の廃瓶を活かしてグラスを作って、販売しています。
Q. 2024年2月に発売されるBecauseワインのプロジェクトにも関わっていますね。
ワインのエチケットに、沖縄のカルチャーを活かしたくて、だったら紅型で表現するのがいいのではと考えました。その制作をお願いしたのは、紅型工房「ひがしや」で創作活動をしている道家さん夫妻です。妻の由利子さんは、琉球舞踊の踊り手が着る踊り舞台衣装を手がけている方。伝統を受け継ぎながらも、自由に楽しいものをデザインしている紅型作家です。彼らとは、僕らが「LIBERTY FORCE」で取り組んでいることを伝えると、「一緒にやりましょう」と共感してくれたのが最初で、これまでにもタペストリーや風呂敷などの商品をコラボしています。Becauseワインではいろいろな香りが楽しめるワインの魅力を、紅型のカラフルな色彩とポップなデザインで表現しました。めちゃくちゃ可愛いエチケットができたと思っています。
Q. 更に新しい取り組みにも挑戦されているようですね。
以前から、好きなことに挑戦する人を応援するだけじゃなく、若い人たちを物質的・金銭的にサポートできるプロジェクトを立ち上げたいと思っていたんです。
その取り組みの一つに、「レッドボックス」という活動があります。「レッドボックス」とはイギリス発祥で、学校に無料の生理用品を詰めた赤い籠を提供して、若い子たちを支援するチャリティ団体です。家庭が貧しくて生理用品を買えなかったり、それを言い出せなかったりする女性の貧困問題を解決する取り組みですね。
2年前に日本でも「レッドボックスジャパン」がスタート。たまたまその代表に会う機会があり、生理用品が無いから学校を休んだり、部活に集中できなかったりするケースもあると知りました。この活動を通して、夢に向かう大事な基盤となる学生時代をサポートすることには意味があるだろう。団体の趣旨に賛同し、僕と妻は沖縄での活動を担う代表になりました。県内には490校の小・中・高校があり、今は200校に導入しています。
もう一つは、サポートしているアーティストへの衣装協力です。ブレイクダンサーの中学生の男の子、モトクロスバイクの高1の女の子、パルクールというフランスで生まれた競技の選手、この3人へ衣装協力という形で応援しています。
Q. お話しているととても、まさに“LIBETY FORCEな方”なのですね。
僕をよく知る人から、「ファッションとパッションが同居している人」なんて言われたことがあります。僕もそうだったように、若い人たちには、自由に夢に向かって、「LIBERTY FORCE」を体現して欲しいと思います。
もちろん僕の夢もまだまだ続きます。今後は、昔から受け継がれてきた伝統文化と、僕が好きなヒップホップなどストリートカルチャーをコラボした、一つのイベントをやってみたいですね。食や音楽、アートも一体になって、「LIBERTY FORCE」がハブになるイベントができたらと。タイトルは決めていて、「LIBERTY FORCE LAND」にするつもりです。
(了)
写真提供 トライラボ
取材 歌代幸子
編集 徳間書店