Because, I'm Because, I’m<br>盆栽師 後編
Interview 06 / 平尾成志さん

Because, I’m
盆栽師 後編

知れば知るほど、命ある木が愛おしい。

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盆栽に完成はない、進化するものだから。

アップテンポの音楽にのって重い盆栽を軽々と持ち上げると、鉢から抜いた木の根を一気に崩す。台に置いた器に次々と草木を配し、木の幹にコラージュするように斬新なオブジェを仕上げていく。ライブのステージでDJやバンドと競演し、わずか30分の即興で完成するのが平尾流「盆栽パフォーマンス」だ。後編では、静かに時を重ねて造形美を創っていく伝統の盆栽を超えて、平尾さんが新たに表現しようとする世界に迫る。

盆栽師としての活躍の陰には困難もあったが、「逆境のときこそ、チャレンジできる」と熱く語る。

Q. あの大胆な盆栽パフォーマンスはいかにして生まれたのですか?

パフォーマンスの原点はイタリアでの体験でした。ミラノのカフェで盆栽のデモンストレーションをしたとき、バンドが演奏する横で黙々とやっていました。すると最初はお客さんもバンドしか見ていなかったけれど、僕が鉢から木を抜いて植替えをし、仕上げに入ると、いっせいにカメラがこっちを向いた。「これや!」と手応えを感じた瞬間でした。
海外では盆栽の展示会を見に来る愛好家向けに実演するデモンストレーションをやっていました。それでも4時間かかるので、途中でどんどん人が減ってしまう。けれど、カフェやクラブでパフォーマンスとしてやれば、盆栽を知らない人にも楽しんでもらえるんじゃないかとひらめいたんです。

BONSAI MASTER MASASHI HIRAO Roppongi Art Night 2016
盆栽パフォーマンスはリハーサルなしで臨み、緻密な計算のもとで盆栽の魅力を発信する。

BONSAI MEETS THE WORLD Relese Event in Zojoji Temple 2017.02.24

欧米には早くから「BONSAI」の文化が伝わっていたけれど、今では衰退しつつある。時代の波についていけていないことがジレンマでした。あるとき、イタリアの有名な盆栽家の方に言われたのは、「渋谷や新宿で若い人に『盆栽』と言っても、なんで知らないんだ?まず、そっちをどうにかしろ」と。けっこうグサッときて、日本で新たな挑戦をしなければと目を覚まされました。

Q. パフォーマンスを始める前には師匠の形見という金鋏を掲げて祈る平尾さん。まるで試合に臨むアスリートのようですね。

学生時代は陸上部で長距離を走っていました。今もパフォーマンスの前はレースのスタート前にしていた柔軟体操をするし、ここからが山場という時はラストスパートのように気持ちを切り替えます。盆栽パフォーマンスの課題は観客を飽きさせないこと。人が集中して見てくれる時間は30分ほどなので、僕も秒単位で計算して臨みます。集中力が切れないよう体力勝負ですね。
ふだん盆栽園で作業するときも、選手時代のトレーニングが役立っています。例えば秋の本番で良いタイムを出すためには、夏の合宿でどのくらい走り込むかを逆算しなければいけない。盆栽も数日かかるようなものは下から順に作っていきますが、途中でペースが狂うと全体の雰囲気も変わってしまうんです。だから、マラソンのようにペース配分を逆算して考え、やると決めたら深夜まで続けることもあります。

亡き師匠の形見となった金鋏。パフォーマンスの前には必ずこの金鋏に祈る。

Q. アスリートの世界から、若くして盆栽の世界へ飛び込まれたのはちょっと意外な気もしたのですが。

1分1秒を争っていた選手生活とは真逆の世界だけど、僕の中ではバランスがとれたような気がします。盆栽を触っているときはストレスを感じない。自分が癒される時間でもあり、手を触れているだけで木のパワーをもらえていると思います。
実は僕自身も最初は盆栽など全然興味なかったんです(笑)。きっかけは大学1年の頃、陸上部に入った僕は厳しい上下関係が辛く、辞めることもできず悩んでいました。そんなとき京都へ来た家族と東福寺へ行き、本坊庭園を見たんです。作庭家の重森三玲が昭和14年に完成したもので、時を超えて守り継がれている姿に感動した。自分の悩みなんてちっぽけなことに思えて、清々しい気持ちになれました。
「日本の文化を継承していくって、カッコいい」。そんな夢を抱くなかで盆栽と出合い、懐かしい記憶がよみがえった。山の中を走り回ったり、秘密基地を作ったりして遊んだ「悪ガキ」時代の思い出。それが盆栽の世界へ飛び込む原点でした。

手入れは毎日欠かさない。彼にとって盆栽と向き合う時間は「癒しのとき」でもあるという。

Q. 平尾さんが盆栽を通して表現したいことは何ですか?

その木に流れる時間と生き様を表現すること。どういうところで生きていたのか、どんな風のあおりを受けてきたのかなどと想像し、その木が持ちあわせている生き様を引き出してあげたいんです。
そのなかで最も欠かせないのが美しさです。盆栽の美とはもともと自然が創ったもの。それを人間の手をかけてさらに磨きあげていくという感覚ですね。とはいえ僕らがこう作りたいからといって、ぐいぐい手を入れたら枯れてしまう。人間のペースだけでやっていくと絶対ダメになるから、僕も弟子には「自分のペースで仕事をするな。盆栽のペースで仕事をしなさい」と常に言っています。木の言い分を聞きながら、ゆっくり時間をかけて作り込んでいく。その蓄積があってこそ、あの曲線美や優雅さが出てくるんです。

パフォーマンスで作る作品ではアンバランスの美を追求する。薄い皿を重ねて「ミルフィーユ型」という独自の造形を生み出した。

樹齢100年以上、350年もの盆栽は時代を超えて人から人へ受け継がれてきました。だから手で触れていると、最初に作った人の「設計図」のようなものが見えてくる。何でここの枝がないんだろう、何でこっちを残したんだろうなどとあれこれ考えます。僕が盆栽を作るときも、この木は将来的にこうなってほしいからこの枝を持ち上げておこうとか、枝が多すぎると幹の途中から先が太くなってしまうので手を入れる。そうして早め早めに処理して作り直していくので、盆栽には完成がない。たえず進化していくんです。

日々、盆栽と真剣に向き合うことで、創造力が膨らんでくる。

僕が惚れ込んだ真柏も人から受け継いだもので、今はそれを預かっているという思いがある。「銘木に裏表なし」といわれるように、どこから見ても美しく見えるように作っていくのが職人の仕事。盆栽は人の目にふれるほどに品格も備わっていきます。木は生きているものだから、なおのこと愛おしいですね。

(後編 了)

写真 sono
インタビュー 歌代幸子
編集 徳間書店

平尾成志さん

ひらお・まさしさん
1981年徳島県生まれ。京都産業大学在学中に訪れた東福寺で重森三玲作・方丈庭園(現本坊庭園)に感銘を受け、さいたま市盆栽町にある加藤蔓青園の門を叩き、弟子入りする。5年間の修業を経て独立。2013年には文化庁交流使として11か国を訪れる。国内外で盆栽のデモンストレーション・ワークショップ、パフォーマンスを行い、日本固有の文化である盆栽の美意識と楽しみ方を教えるともに、盆栽で新しい表現を試みている。
公式サイト:https://jp.bonsaihirao.net/

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