Because, I’m
古事記オタク(コジオタ)後編
カッパに学ぶ、酒の飲み方
妖怪は、良きもの、悪きもの、どちらでもない。どういう面を見せてくれるかは人間次第――カッパについて三浦さんはそう言った。それは酒も人も同じかもしれない。今回も引き続き、「古事記研究者(オタク)」=コジオタである三浦佑之さんに、「カッパ」の話を聞く。そう、青くて、皿が頭に載っているという、あのカッパ。カッパとのつきあい方には、お酒とのつきあい方のヒントが隠れている。知れば知るほど、カッパには人間が詰まっているから。
Q. カッパもお酒を飲むのでしょうか?
カッパとお酒の話というのは、あまり聞きませんね。ただ、遠野には「カッパのお酒」がありますよ。残念ながらワインではないのですが、「遠野河童の盗み酒」(上閉伊酒造)というお酒です。いわれとして、「酒樽にたくさんあったお酒がなくなっていて、おかしいと思ったらカッパが飲んでいた」というお話がついています。
ちなみにこの話は、「建屋(たてや)の大番頭の倉堀さんから聞いた話で、本当にあったことだそうです」とお酒の説明に書かれています。ちょっと笑ってしまうのですが、実は、これは典型的な語りのスタイルなんです。伝えるときに、「〜さんが言っています」と出典を加えることで、語る内容の信憑性をつけるわけです。もちろん、だからといって本当かどうかはわかりませんけどね。
この建屋さんというのは、新里家という旧家が営んでいる酒造の屋号で、新里家には「クラワラシ」がいると伝えられています。もともと遠野ではカッパはザシキワラシのようなものだと考えられていますし、ザシキワラシというのは旧家にしか住み着かず、住み着いた家は栄えるという福の神のような存在ですから、旧家の酒屋さんで、そのあたりが混ざったとしても不思議はありません。
Q. お酒のつまみにも最高なきゅうりですが、カッパは本当にきゅうりが好きなのですか?
きゅうりは好きなようです。遠野にある河童淵というところでは、カッパを釣るための釣り竿に、きゅうりが付いています。なかなか釣れませんけどね。
なぜきゅうりなのかといえば、カッパに会うのは川に行く機会が増える夏が多いことから、夏の野菜ということがひとつ。また、お盆の時期に、きゅうりを川に流す風習があったり、あるいは、精霊馬(しょうりょうま)といってきゅうりを馬に見立てて、お盆に帰ってくるご先祖様の乗り物にすることも、カッパときゅうり、そして馬のイメージを繋げているのかもしれません。
カッパの体の色は「青」とか「緑」とか言われることが多いですが、日本では「青」も「緑」も同じような色を表すので、そういう色のイメージも、きゅうりとつながっているかもしれないですね。
カッパが青いのは、水の中にいるからでしょう。赤いと水の中で目立ってしまいますから。ただ、遠野のカッパだけは赤いと言われています。民俗学者からは否定されていますが、お酒が好きだから赤いんだという人もいます。
「カッパ巻」も、カッパがきゅうりを好きなところからの呼称です。「おかっぱ頭」もカッパ由来の言葉です――前髪から頭頂部の平たい感じが、カッパのお皿を連想されるからでしょうか。詳しい由来はわかりませんが、今でも私たちの日常に、カッパは溶け込んでいるんですね。
Q. カッパはいつから日本列島にいるんですか?
カッパ的なものは、古くは「ミヅチ(元はミツチ)」と呼ばれていました。「ミ(水)+ツ(〜の)+チ」で、「チ」は「霊力」や「おそろしいもの」を表します。古事記にも出てくる「ヤマタノヲロチ」の「チ」も同じ使われ方です。つまり「ミツチ」は、川に住む妖怪、水の神のことです。
こういう水の神は、日本列島のあちこちで見られます。中国の妖怪「水虎」に由来するのでしょうが、青森を中心に伝わる「スイコさま」や、沖縄の「ケンムン」というガジュマルの木に住んでいるという妖怪も、カッパの仲間です。ケンムンは「ケのモノ」という意味で、「ケ」は「もののけ」の「け」、おそろしいものを表すことばです。
アイヌの人々は「ミンツチ・カムイ」とか「ミンツチ・トノ」と呼びました。カムイは神様のこと、トノは殿様のことです。川に住んでいて、毎年夏になると、川に人を引きずり込んで溺れさせるなどの悪さをするので、それを退治する話も残っています。
水の神を先祖にもつミヅチの伝承は各地にあり、元々はイメージにもバリエーションがあったのだと思います。カッパにいろいろな名前があったというのも、それを物語っているでしょう。
Q. ミヅチは、1300年前の日本書紀にも出てくるとか。
はい、ミヅチが出てくる一番古い文献が日本書紀で、仁徳天皇という5世紀前半頃の天皇の時代のこととして、こういう話が載っています。
淀川のあたりで、しょっちゅう氾濫する川がありました。堤を作りたいが、当時、川の氾濫はミヅチなどの川の神のせいとされていましたから、堤を作るにはまず、ミヅチをおさめなければいけません。ミヅチは、川を渡るものの半分は殺し、半分は生かす、怖いものだと言われていました。そこで、人間を生贄として捧げることになります。一人が犠牲になり、堤の工事が始まりました。次の生贄候補だった男は、人柱になるなんてとんでもないと思って、ひょうたんを川に投げ込み、ミヅチに「このひょうたんを沈められたら俺は生贄になってやる」と言いました。するとミヅチが川から出てきて、早速ひょうたんを水に沈めようとするのですが、ひょうたんは中が空洞なので、なんど沈めても浮き上がってきてしまう。それでミヅチは諦めて、水の深くに隠れてしまいました。こうして生贄なしで無事に堤が完成しましたとさ、というハッピーエンドの話です。
改めて考えれば、最初に生贄になった人はかわいそうなのですけれども、この話はまさに神(自然)に対する人間の「知恵」を物語る、昔話の典型的なスタイルにもなっています。ヤマタノヲロチに、酒を飲ませるという策略によってスサノヲが勝利する英雄譚も、そういう物語の一種ですよね。また、「ひょうたん」は朝鮮あたりから伝わったと言われていて、その意味では、これは新しい技術をどう扱うか、という意味での知恵や文化のお話でもあります。
Q. 川の神というとまず龍が浮かびましたが、ミヅチ=カッパ系もたしかに水神の系譜ですね。カッパと龍は、どう棲み分けているんでしょうか。
龍は中国的な要素が色濃いものですが、こちらは姿が似ていることもあって、縄文以来の水の神である蛇のイメージと合わさっていきます。そういう点では、蛇から龍へ流れていく系譜のほうが、川や水の神としては大物といいますか、主流でしょうね。
カッパのようなのは、その脇にいる、神と人との間にいる存在といえます。きちんと祀られる神とは違うけれども、人間とも違うもので、少し怖がられているような……妖怪化するのは、そういう「境界のもの」たちなんです。
Q. もし、どうしてもカッパとの戦いが避けられないときには、どうしたらいいですか。
じつは、カッパには弱点があるんです。これは、なぜカッパができたか、というカッパの由来譚に伝えられています。いろいろな「いわれ」がありますが、代表的なのはこういうものです。
ある有名な大工さんが大きな屋敷の普請を請け負います。でも、期日が迫っているのに人足が足りない。いよいよ困った。そこで、現場で余った木を組み合わせて人形を作り、それに命を吹き込んで働かせました。人形たちはよく働き、おかげで無事に工事は終わりました。しかし、その大工さんは用が済んだ人形を河原に捨ててしまいます。その仕打ちに怒った人形たちがカッパになって、その川に住み着くようになった――こういうお話です。だから、カッパの弱点は、四肢なんです。木を組み合わせた人形だから、腕や足をつかんで強く引っ張ると、手が抜けてしまうのです。
アイヌのミンツチ・カムイにも、同じようなお話があります。海の向こうからやってくるホウソウ(疱瘡)の神と戦うために、村を守る神が草で人形を作って戦わせます。そのおかげでホウソウ神をやっつけることができたのですが、戦いが終わって兵士が必要なくなると川へ捨ててしまった。その捨てられた人形たちが、ミンツチ・カムイになった、というものです。だからミンツチ・カムイを退治するときには、手足を強く引っ張るとよい。アイヌには草人形という、ヨモギの茎を束ねて十字にした人形がありますが、これは中心を束ねただけなので、引っ張るとすぐにバラバラになってしまうからです。
Q. なんだか悲しい話です。カッパには人間の愚かさも含まれていたのですね。
なんというか、妖怪って、人間の後ろめたさのようなものを、どこかで抱えているものなんですね。だから悪さもするし、逆にこちらが良いことをすると、向こうも良いことで返してくれたりする。妖怪は、人間と接触していないと生きていかれないのです。
ゆえに、妖怪はふつう、人里離れた山奥ではなく、村の外れとか、隣村との境の川とか、人と「あちら側」との境目のところに住んでいます。カッパは、そういう妖怪の象徴的な存在なのではないでしょうか。
だから、もし山で遭難したときにカッパに会ったら、人家は近いと思っていいですよ(笑)
(後半 了)
写真 森本洋輔
インタビュー・構成 今岡雅依子