Because, I'm Because, I’m<br>山岳ライター 前編
Interview 17 / 小林千穂さん

Because, I’m
山岳ライター 前編

知れば知るほど、山は人生のアメとムチ。

山に登るとアドレナリンがドバドバ出るんです。

なぜ山に登るのか? そんなことを登山家に聞いても無駄である。なぜなら「そこに山があるからだ」と、イギリスの伝説的登山家ジョージ・マロリーの言葉でお茶を濁されるのがオチだからだ。だがしかし、この人には聞かずにいられない。小柄でむしろ華奢に見える体で、なぜ冬の富士山や南米の6000メートル級の山々にまで挑んできたのか。一時期は年間120日も山で過ごした、猛烈な山女ながら、妊娠・出産という人生の節目で、しばしリュックを置く生活を送る小林千穂さんに、かつての山生活を振り返ってもらった。

Q. 妊娠・出産、そしてコロナ禍で2年近く本格的な登山からは遠ざかっているそうですが、どんな気分ですか?

妊娠するまでは年間120日ぐらい山に行っていて、特に夏から秋のハイシーズンは取材も集中するので、家には洗濯をしに帰り、荷物を作り直してまたすぐ家を出るみたいな生活がずっと続いていました。なので、その頃は山に行かない自分っていうのが全然想像できませんでした。山に行かないと人生終わりぐらいに思っていたのですが、実際にそうなってみると、案外平気なんだなと。情熱がなくなったわけではないんですが、いまは遠くから山を見ているだけでも満足ですし、近くの自然公園を歩くだけでも楽しいですね。

小さな頃から登山に親しんでいた小林さん。結婚後、山の近くに移り住んだ。

Q. 山を好きになったのはお父様の影響ですか?

父は趣味でしょっちゅう山に登っていて、小さい頃から一緒に連れて行ってくれました。といっても山ばかりではなく、海釣りとか、川泳ぎとか、キャンプとかいろいろで、その中に登山があったという感じです。でも山に行く機会は確実に普通の家より多かったですし、結果的に私も好きになっていましたね。

特に覚えているのは初めて家族で富士山に登った時のことです。小学3年生の頃かな。それが最初の本格的な登山でした。その時は山小屋には泊まらなくて――たぶんお金がもったいなかったからだと思いますが(笑)。夜中に五合目の駐車場を出て、夜通し登ってご来光を見ようという計画。でも九合目ぐらいで高山病にかかってしまって全く動けなくなってしまったんです。仕方がないので父は富士山を登る時に使う金剛杖を天秤代わりに私と弟をぶら下げて、かついで山頂に登ってくれました。私は悔しいのと、父に申し訳ない気持ちでいっぱいでしたね。だから翌年にもう一度チャレンジして、今度は自分の足で山頂に立ちました。

何度も登った富士山は、大好きな山の一つ

Q. 初めての登山で挫折を味わったことで、むしろ火がついたのかもしれませんね。そこからどんなルートで山の世界に足を踏み入れて行ったんですか?

学生時代に山小屋でアルバイトをして、卒業したらそのまま山の世界へ入ろうと思っていたのですが、せめて2年は普通の会社に勤めてほしいと父に説得され、就職したんです。でもどうしても諦めきれなくて、結局約束通り2年で辞めて、山小屋に就職しました。
働いたのは北アルプスの涸沢ヒュッテという山小屋です。標高2400メートル近い所にあって、周りを前穂高岳、奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳という3000メートル級の山に囲まれた登山者憧れの場所です。ちなみに私の名前は、穂高から一文字をとって父が付けてくれました。
その山小屋で働いている時に、山岳カメラマンの内田修さんと出会い、撮影アシスタントをさせてもらったことで、出版業界に関わることになったんです。

Q. 山岳ライターという耳馴染みのない肩書ですが、どんな仕事をされているんでしょうか?

簡単にいうと、山の魅力を文章にして伝える仕事ですね。私の場合、初心者向けに登山ガイドやハウツーの記事を書いたりとか。もちろん自分で山に登ってリポートを書くこともあります。妊娠前にはけっこう挑戦的な山登りもしましたから。
雪山で氷の壁に登ったり、冬の富士山に登ったり……。富士山って夏は誰でも登れるイメージですが、冬は一転して海外の高い山に匹敵するぐらいの厳しさになります。冬の富士山は魔の山とも言われているんですよ。

2014年、冬の富士山登山、九合目のアイスバーンを登る(写真/萩原浩司)

条件的に一番厳しかったのは南米エクアドルのチンボラソという山で標高は6310メートル。空気は薄く氷河が不安定なので、簡単じゃないことはわかっていましたが、幸いにも天候もよく、頂上に立つことができました。

最も厳しかったのは、3月の南アルプスの北岳(3193メートル)ですね。なにせ登るのに 5日もかかるんです。夏は山奥深くまでバスで行けますが、冬は足がないので下から歩かなければなりません。しかも荷物は30キロくらいある。普通でも担ぎ上げられないほどの重さです。さらに斜面はカチンコチンのアイスバーン。それをアイゼンというツメ付きの靴で登ります。でも固くて刺さらないんですよ。ちょっとでも足を滑らせたら何百メートル下まで滑り落ちてしまうかもしれない。そうなったらまず命は助かりません。大げさにいえば、踏み出す足の一歩一歩に生きるか死ぬかがかかっている。だから凄い緊張感で、集中力もとんでもなく必要でしたね。

2014年、南米チンボラソに登り、無事山頂に立つ。6000メートル峰に登れた体験はとても大きい (写真/ブログ小林千穂の「山でわくわく」より)

Q. なぜ山好きの人は、そうした遭難や滑落の危険を冒してまで山に登るんでしょう?

今まで登れなかった山が、練習したり体を鍛えたりすると登れるようになるのが面白いですね。クリアしたら次はもっと高い山、もっと厳しい山というふうに、どんどんレベルアップしてしまう。しかも登っている最中って、緊張と集中でアドレナリンがドバドバ出るんですよ。それが気持ちよくて病みつきになり、更に強い刺激が欲しくなるんです。より高い山へ、より険しい山へ──沸き立つ思いは誰にも止められない!って感じです。

ただ登っていて、苦しい思いをしている最中は何で来ちゃったんだろう?って思うこともあります。冬山で手足が冷たくて、吹雪に遭遇して凍えそうな中、普段だったら暖かい部屋でコタツに入り、ミカンを食べながらテレビを観てただろうにと思うと、後悔で泣きそうになったことは何度もあります(笑)。人間っておかしな生き物だと思いますが、それだけ山には人を惹きつけてやまない魅力があるんです。

小林千穂さんの私の好きな山アルバム

●穂高岳
中部山岳国立公園・飛驒山脈にある標高3190メートルの奥穂高岳を主峰とする山々の総称。日本で3番目に高い山で、千穂さんの名前の由来でもある。
「登山の上級者向け。その険しさと見た目の美しさに惹かれます。穂高だけでガイド本を1冊書けるくらい多種多様なルートがあるのも魅力ですね」

撮影2019年8月26日

●富士山
ご存知、日本で最も高い3776メートルの霊峰。ここ数年ブームで、お盆や夏休み期間は山頂まで渋滞ができるほど混雑する山としても知られるが、「時期を少しズラして行くとそうでもないですよ。また岩しかないイメージですが、山麓から歩くと凄く森がきれいなんです。一合目から五合目を目指して登り、バスで降りてくるといった楽しみ方もありますよ!」

撮影2013年6月21日

八丈富士
伊豆諸島の八丈島にある標高854.3メートルの山。
「島の山は標高がそんな高くなくても周りが海なので風や雨、霧など環境の変化が大きいのが特徴。八丈富士も海の中に山がそびえたっているので、本州なら2000メートル級の山に登るようなダイナミックさを味わえます。島ならではの植物鑑賞も面白い!」

撮影2018年5月1日

(前編 了)

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撮影 sono
インタビュー いからしひろき
編集 徳間書店

小林千穂さん

こばやし・ちほさん
1975年、静岡県出身。登山好きの父親の影響で子供のころから山に親しむ。会社員を経て北アルプス・涸沢ヒュッテの従業員に。山岳写真家・内田修氏のアシスタントを経て、山岳系のガイドブックや書籍の編集の仕事に携わる。『山と溪谷』など山岳専門誌に多数寄稿。冬の富士山や南米の6000メートル級峰、アイスクライミングなどにもチャレンジ。年間120日間を山で過ごす。2020年に第一子が誕生したのとコロナ禍を機に本格的な登山は一時休止。現在は甲府の自宅を拠点にリモートワークと子育て、家族登山を楽しむ日々を送る。著書は「DVD登山ガイド 穂高」(山と溪谷社)、「失敗しない山登り」(講談社)など。日本山岳ガイド協会認定登山ガイド。
小林千穂の「山でわくわく」https://ameblo.jp/chihokobayashi/
衣装協力:モンチュラ https://montura.jp/

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