Because, I'm Because, I’m<br>パン屋らしくないパン屋さん 後編
Interview 32 / 割田健一さん

Because, I’m
パン屋らしくないパン屋さん 後編

知れば知るほど、パンはクリエイティブ。

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もの作りで大切なのは自分の欲求や直感を信じること

割田さんの店、「ビーバーブレッドブラザーズ」は虎ノ門ヒルズのTMARKET内にある。心地よい吹き抜けが特徴的な広い空間には、レストラン、カフェなど食を中心にデザインやアートなどの個性的なショップが集まっている。地下鉄の駅に直結する入り口付近のベーカリーということもあり客足は後を絶たない。レストランのシェフやビジネスマンなど割田さんを訪ねて来る人も多く、周囲のカフェで打合せをする彼の姿を見かけることも珍しくない。システム手帳を抱え、店を出たり入ったりする割田さんは、ジーンズにスニーカーといったカジュアルなファッションで、パン職人というよりクリエーターのような印象。業界でもアイデアマンとして知られる割田さん。後編ではその所以を探ってみよう。

Q. パン屋さんの朝は早いと聞きましたが、割田さんのルーティンについていろいろ教えてください。

僕は毎朝、5時には店に来てパンの仕込みをするんです。ある程度進めておけば、その後はスタッフでも作れるのでまかせられます。午前中はパン作りをして、打合せは主に午後に入れるようにしています。僕の仕事にはふたつあって、一つはお店にいらっしゃるお客さんのためにパンを作る仕事、もう一つは他のレストランやカフェなどにパンを卸したり、店舗やイベント会場で販売するパンの企画を提供したり、パンを絡めた店舗のプロデュースといったBtoBの仕事ですね。

後者の仕事も多いので、打合せはほぼ毎日のようにあります。BtoBの仕事が多いのは前職(フランス系パン店の『ビゴ』、フレンチレストラン銀座レカンのパン部門『ブーランジェリー レカン』)のときからです。自分の所だけでパンを売るだけでなく、いずれもレストランやホテルなどにパンを卸していましたから。

ブーランジェリーレカンのときは、銀座レカンで出すパンも僕が焼いていました。この店では、伝統的なフレンチの技法に、シェフの創造性が加わった料理が持ち味だったのですが、日々、シェフからパンについていろいろな要求があるんです。たとえば、「サーモンとヨーグルトで料理を作るんだけど、それに合わせたパンを考えて」、「牛肉のパン粉焼きを作りたいんだけど、パン粉を考えてくれる?」みたいな。僕はそれに即座に応えなくてはならないから、引き出しもたくさんもっていないといけなくて、厨房にいるとき以外の時間も気が抜けないんです。旅先でも外食でも面白い調味料や材料に出会ったら、これパンにしたらどうかな?とか、常にアイデアを拾ってはパン作りにつなげていました。

毎日早朝から一人、パン生地の仕込みをする割田さん。この道に入って27年、パン職人として常にパンと向き合ってきた。

たとえば、よく行っていた山梨のワイナリーで、「ワインを搾った後に残ったぶどうかすで何か作れないかな」と聞かれて、ぶどうかすをピューレ状にしてパンに練り込み、くるみやイチジクで食感を出して「赤ワインのカンパーニュ」を作ったこともありました。また、バレリーナの方からは糖質を抑えたパンを作ってほしいと頼まれたり、バーのマスターからはお通しで出せるパンを考えてとか、フードコーディネーターさんからはケータリング用に一口で食べられるパンを焼いてとか……。いろいろなお題目に応えていました。そのうち業界でも知られるようになり、「パンのことで困ったら、割田に頼むといい」みたいな()

あるとき、肉料理で有名な銀座のレストランのシェフから難題をいただいたことがありました。それは、「1週間かけて食べる大きなパンを作ってほしい」というものです。1週間もの間、パンが衰えず、変化する味わいも楽しめ、豊かな香りを保つことができるのか。試行錯誤して作ったのは、70㎝もある大きなカンパーニュです。強い肉料理にも負けず、噛めば噛むほど旨みがある。これは独立してからも量り売りするスタイルで販売し、人気商品となりました。

リクエストに応えようとあれこれ考えていると斬新なアイデアが生まれたり、新しい商品につながることがあります。パンってそれだけで食べるより、いつも何かと組み合わせるものだと思うんです。バターやジャムだったり、料理だったり、飲み物だったり、食べる人や場所、シチュエーションも関係してくる。その何かと組み合わせたときに、「おいしい」って言ってもらえるパンを僕はいつも考えている気がします。

自分はこれだっていう代表作みたいなパンを作るのが目標でなく、僕はいつもこんなパンが食べたいといういろいろな人の希望に応えられるパン職人でいたい。世の中にはまだまだ誰かが食べたいパンがたくさんあるはずですから。

虎ノ門ヒルズの店で、ビーバーの柱をバックにサワー・ドゥ・ブレッドを見せてくれる割田さん

Q. 割田さんのパンと料理のマリアージュの引き出しの多さには年季が入っていますね。独立後はどんなお店を目指したのでしょう。

一言でいうと街のパン屋さんです。それまで、銀座のブーランジェリーでひたすらパンを作る生活を続けていたので、その反動かもしれません。東日本橋界隈は下町風情が残っていて昔から好きな場所でした。そんな場所で、そこに住む人たちの息吹を感じながら、より生活に根付いたパンを焼きたいなと思ったんです。それまでやっていなかった、日本的なパンも僕流にアレンジして作りたいと思いました。ただ、これには別の理由もあって、あんぱん、カレーパン、メロンパン、クリームパンのようなパンって生地は殆ど一緒だし、まだ慣れないスタッフでもきちんと量産できるメリットがあったからです。でも、結局、いろいろリクエストされ、僕がそれまで作ってきたような、バゲットやカンパーニュなどのフランス系のパンも作ることになりましたけどね()

忘れられないのが開店初日のこと。近日オープンの張り紙一枚で特に宣伝もしなかったのですが、開店前からお客さんが並んでくれたんです。「近所にパン屋さんがなかったから、待っていたのよ」と声をかけられて、すごく嬉しかったです。

虎の門ヒルズの方はビジネス街ですから、同じラインナップではなく、虎ノ門限定の商品を作りたいと思いました。オフィスで働く人たちにとって、あったらいいパンって何だろうとずっと考えて、ふとベルギーに行ったときのことを思い出しました。丸くてカリっとした皮とふんわりとした中身の小ぶりのパンが、どこのベーカリーにもたくさん置いてあるんです。「ピストーレ(Pistolet)」といい、朝食では目玉焼きの黄身をつけて食べたり、ハムやチーズをはさんで食べたり、まさにベルギーの代表的な食事パン。ころころとしていて、一見、日本のおにぎりにも似ていました。このピストーレから発想を得て生まれたのが、「クー」なんです。

忙しいビジネスマンの人が、カバンの中に入れておけば、小腹がすいたときにすぐに食べられる。トッピングもなくて、デニッシュ生地でもないので手も汚れない。材料は国産小麦の大吟醸(中心部分)だけを使って、あっさりとした味にしました。プレーンをはじめ、具材入りも作り、栗、チーズ、トマト、コーヒー、レーズンなどバリエーションを持たせました。最初は56種類でしたが、いまでもどんどん増やしています。

虎ノ門の店の看板商品である「クー」。クーとはビーバーの尻尾という意味だ。雑味がないすっきりとした味になるよう厳選された小麦を使っている。

Q. いままでありそうでなかったパンかもしれませんね。割田さんの発想力には驚きます。ところで、割田さんはいつ頃からパン職人になりたいと思ったのでしょうか。

実をいうと、パン職人を目指したことは一度もないんです。そんな僕がなぜパン職人になれたのかというと、高校3年のとき、進学するのか就職するのか将来を決める時期があるじゃないですか。絵が好きだったので美大に行きたい気持ちがあったのですが、進路相談の先生にこんな成績じゃどこの大学にも行けないぞと説教されたんです。もともと勉強が好きなわけでもなく、学校には向いてないので、美大に行くためにねじりはち巻きして受験勉強している自分も違うなと思い、進学をするのはやめました。

その頃、サッカーの三浦和良選手が帰国して大活躍をしていました。それがすごく格好良くて、「こんな生き方もあるのか」と。それから、海外で働くことに興味がわき、コネがないか探したところ、知人の兄弟の方がスイスで外交官をされていると知り、その方に手紙を書いたわけです。「スイスでパン職人として働きたいと思っていましてどうしたら良いでしょうか云々」。仕事はなんでもいいから海外で働きたいとは書けないし、そこでふと降りて来たのがパン職人というフレーズでした。その方は丁寧に返事をくださって「君の熱意はお察ししました。でもスイスは就労ビザが取りにくいので、まずは東京のパン店で何年か働いてから、また連絡をください」とアドバイスしてくれたのです。この手紙はいまも大切に持っています。

そこからですね、パン職人を目指すことになり、東京で働いていた叔母が、「銀座プランタンの中に、ビゴってお店があって、おいしいし、いつも混んでいるよ」と教えてくれ、自分で電話をして面接を受けたというわけです。まさに怖いもの知らずの十代でした。

いざ入ってみたら、パン屋さんの後継ぎとか専門学校で製パンを学んできたとか経験のある人ばかりで、僕みたいなのはいませんでした。僕はパン職人になりたい以前に社会人になりたかったので、「なんでもします」って姿勢でした。初日に「じゃあ掃除してもらおうかな」と頼まれて、「はいっ」と元気よく返事して、棚の下をほうきで掃くのに腰を落としたら背後でベリッと大きな音がしたんです。なんだろう思ったら自分のパンツの後ろが勢い余ってばっくりと裂けた音だったんです。まあ、そんな感じのスタートで ()

パン職人としてはなかなかうまくならなくて本当に悩んだこともありました。自分は向いてないと思い、上司に相談したんです。「僕はこの先、大丈夫でしょうか」って。そしたら「お前ががんばっている事はいつも見てる。つらい気持ちもわかるけれどまずは続けろ」って言われて。それから心が軽くなりました。パン作りは急激にはうまくならない。でも、続けていれば確実にできるようになる。見てくれている人はいるんだなと思いました。

Q. 2007年にパンのオリンピックといわれる「モンディアル・デュ・パン」の日本代表にも選ばれるまでになられたんですね。大会ではどんなことをするのですか。

パン職人に必要な技術、正確性、スピードを競う大会ですね。時間内に規定通りのパンが正しくできるかどうか。バケット1本の焼き上がり重量を250gにして15本くらい焼き、すべてが250gになっているかとか。職人としてちゃんと数を出せるか試されるんです。もちろん、それらは大切なことではあります。僕は現在もこの大会の理事はしていますが、いまの僕が目指しているものとは対極かもしれません。高さのあるコック帽をかぶったり、胸に勲章をつけたりとか、そういうことに興味がないです。いつもTシャツにエプロンだし。ファッションには興味あるんですけどね。よく、パン屋らしくないねって言われます。

パンに限らず、もの作りってセオリーとかを一度とっぱらって、自分の欲求や直感に正直になってみることも大切だと思うんです。自分の店を始めた頃からそんな風に思うようになりました。自分が好きな材料があれば、とことん使えばいいと思います。たとえば、僕は藻塩(もしお)が好きで、瀬戸内海の上蒲刈島というところの塩を使っています。すごくミネラル成分が多くてフランスのフルール・ド・セルより多いんです。この塩をパンの仕込み水に使うと、エビアン以上の硬水になるし、国産小麦ともすごく相性がいいんです。そんなことはパン作りの教科書やマニュアルには書いていません。ただ、自分が好きだからずっと使っているだけなんです。

僕もパンとは腐れ縁というか、今年で27年目になります。50歳を前に、自分はいま人生のピークに差し掛かっている気がしています。最近、ダイエットを始めたんですが、夕方5時以降は食事をしないようにしているし、以前は毎晩お酒を飲んでいたのですが、それもやめたら、ちょっとスリムになってきました。話は逸れますが、僕、ビートたけしさんが大好きなんです。『浅草キッド』という映画の中で、「人間、どこかで自分を信じてスイッチを入れる瞬間がある」というようなシーンがあって、この言葉のように、これからも一パン職人でいるのは変わりないけれど、変化する自分を恐れずにいたいな。自分を信じて、新しいことにチャレンジする勇気と情熱を常にもっていたいと思っています。

(後編 了)

撮影 sono

<書影>
『行列のたえないパン店 ビーバーブレッドの新提案「パパパ パン定食」和洋中いつもの料理がパンに合う!』(主婦の友社)

<店舗情報>
BEAVER BREAD 
東京都中央区東日本橋3-4-3
平日8001900/土日祝8:001800
月・火定休

BEAVER BREAD BROTHERS
東京都港区虎ノ門263 虎ノ門ヒルズステーションタワーB2
Bakery 8001830
Bar 19:002400
日定休

割田健一さん

割田健一(わりた・けんいち)さん
1977 年生まれ。埼玉県出身。高校卒業後、「ビゴの店」プランタン銀座店に入店。パン職人として腕を磨き、2006年より同店のシェフを務める。2011 年から「銀座レカン」グループのブーランジェリーシェフを務め、2014 年退職。2017 年東日本橋に「BEAVER BREAD(ビーバーブレッド)」、2022 年「bouquet(ブーケ)」、2023 年虎ノ門ヒルズに「BEAVER BREAD BROTHERS(ビーバーブレッドブラザーズ)」をオープンする。パン職人としてパンを焼く日々を送りながら、企業やレストランからの依頼でパンに関わる商品開発、プロデュースなどを行う。著書に『「ビーバーブレッド」割田健一のベーカリー・レッスン』(世界文化社)、共著に『低糖質、食物繊維たっぷりでおいしい!おうちで作る大麦粉料理』(小学館)、近著に『行列のたえないパン店 ビーバーブレッドの新提案「パパパ パン定食」和洋中いつもの料理がパンに合う!』(主婦の友社)がある。

Because, I’m<br>パン屋らしくないパン屋さん 後編

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