Because, I’m
紅型作家 前編
琉球王朝時代に育まれた染物
沖縄の豊かな自然風土の中で生まれ、独自の染技で育まれてきた「紅型(琉球びんがた)」。あざやかな色彩で描かれた花鳥風月の模様が映え、「民芸運動の父」と呼ばれる柳宗悦も「自然の美しさを教わる」と讃えた。琉球王朝時代から受け継がれる踊り衣装から、和装の着物や帯、小物まで、ご夫婦で制作に励む道家良典さんと由利子さん。二人が大事にする手仕事や紅型の魅力を聞いてみた。
Q. 日本には京友禅や江戸小紋などさまざまな染物がありますが、お二人は紅型のどのようなところに惹かれたのでしょう。
良典 僕はもともと北海道出身で、ずっと温暖な沖縄に憧れていました。さらに20代初めの頃、草木染めと出合い、自然の植物から取る染料を使った染色の世界にとても惹かれたのです。最初は趣味で始めたところ、草木染めの先生から「あなたの好きな沖縄には『琉球藍染め』という技法があるのよ」と聞き、「紅型」という染物も初めて知りました。沖縄へ行って、これを仕事にできたら最高だなと思い、22歳のときに沖縄へ。本当にラッキーなことに、たまたま求人があった城間びんがた工房へ入ることができました。城間家は紅型三宗家の一つとして続く工房で、琉球藍染めの反物を作る藍型班に配属されたのです。
「琉球びんがた」には、2つの彩色の技法があります。赤、黄、青、緑、紫を基調とした色彩が鮮やかな「紅型」と、藍の濃淡や墨で染め上げる落ち着いた色調の「藍型」です。僕は藍型を学ぶなかで、いつか独立したら琉球藍の栽培から染色まで自分でやってみたいという夢があったのです。
由利子 私は那覇で生まれ、母が首里織の織子をやっていたので、機織りが身近にある環境で育ちました。母の影響で手仕事や沖縄の伝統工芸に憧れ、自分も絵を描くのが好きだったのでモノづくりに携わる仕事をしたかったのです。首里高校では染織デザインを専攻し、一年間の紅型研修を受けた後に「びんがた工房くんや」へ。修業時代の工房では、紅型の技術とともに作品と向き合う真摯な姿勢も学びました。
王朝時代から受け継がれてきた紅型作品を見ては、先人たちの凄い技に圧倒されるばかりです。何百年経っても、人の心を打つ紅型を染められる職人になりたい、そんな覚悟をもって制作に励んできました。
Q. 何百年も受け継がれてきた「紅型」の歴史について教えていただけますか。
由利子 紅型の始まりは14~15世紀の頃。琉球王朝時代は交易が盛んに行われ、交易品の中にはインド更紗、ジャワ更紗、中国の型紙による花布などがあり、海外から取り入れられた染織技術によって誕生したといわれます。琉球王府の保護のもと首里を中心に発展し、王族や士族など高貴な方の衣装として永く重宝されました。階級によって着用できる色にも厳格な区別があり、王朝時代には黄色地が最も位の高い色とされていました。紅型の職人たちも庶民より高い位をもつ士族として保護され、一流の絵師や彫師が下絵や型紙を制作。華麗な紅型の衣装は、婦人の礼装や神事の装束、琉球舞踊の衣装としても着用されていました。
17世紀初めの薩摩による琉球侵攻で、首里一帯から型紙の多くが失われたのですが、その後は江戸幕府との交流の中で友禅染など大和の染物が影響をもたらしたと考えられています。しかし、19世紀後期に琉球王国が解体され、紅型職人も庇護を失って生活できなくなると、風呂敷など庶民の身近なものが作られるようになっていく。さらに第二次世界大戦直後はアメリカ人相手のお土産物になり、衰退の危機もありました。それでも王朝時代から紅型三宗家として続く城間家と知念家の継承者である、城間栄喜さん、知念績弘さんが那覇へ戻り、地道な復興活動が始まります。やがて和装文化が入ってくると、紅型の色柄も変化していきました。
Q. 紅型の制作工程ではどのような特徴があるのですか?
由利子 紅型の制作は道具作りから始まります。型紙を彫る小刀(シーグ)も全部手作りし、下敷きには島豆腐を乾燥させて固くしたルクジュウを使います。型染めでは、友禅染などのように複数枚の型紙を用いるのが一般的ですが、紅型では一つの型紙で糊を置いて防染し、刷毛で色を差し分けていきます。防染糊は米糠ともち米で作り、糊が乾いたら、大豆を絞った豆汁を塗ります。
紅型で色を差すことを「イルクベー(色配り)」ともいい、主に鉱物性の発色と堅牢度の良い顔料を用いて彩色しています。まずは薄い色を塗って、それが乾いたら、もう一度刷り込みをする。つまり同じ色を二回塗るんですね。
良典 紅型の「紅(びん)」は「色彩」を意味し、鮮やかな色彩が魅力です。紅型が太陽のもとでよく映えるのは、主に鉱物性の顔料が使われるからです。顔料はとても粒子が荒く、生地の表面についている状態なので光に反射して映える。一方、友禅染などに使われる植物染料は粒子が細かいから、生地の奥まで浸透するので透明感のある色が出ます。けれど植物染料は強い陽ざしや高温に弱く、すぐに色あせしてしまう。だから太陽の光が強い沖縄では、顔料が多く使われてきたのです。ただ顔料だけでは生地が堅くなり、色調も鮮明になり過ぎるので、植物染料を上塗りすることで柔らかな風合いを出すこともあります。
色差しが終わったら乾燥させ、塗った部分にさらに濃い色でぼかしを入れます。これを隈取りといって、立体感や遠近感が出てコントラストが強くなります。沖縄の植物は紫外線の影響でカラフルなものが多いので、ふだんそれを目にしている職人が色を塗るときも自ずと極彩色になるのでしょう。
Q. 紅型の模様も、日本古来の型染めとは違った独特な個性がありますね。
由利子 紅型の紋様はその歴史からわかるように、インド更紗やジャワ更紗、中国の染織品や日本の友禅などの影響を受けています。そのため古典柄といわれる琉球王朝時代に作られた型紙には、もともと沖縄にはないモチーフが使われていることがほとんどです。沖縄といえば、ハイビスカスや赤瓦といったイメージが浮かびますが、花であれば、藤やアヤメ、枝垂れ桜、牡丹など、鳥であれば鶴や鳳凰とか、いずれも沖縄では見られない動植物がメインなんですね。
王族が着用した衣装には吉祥文様が取り入れられ、すべて縁起の良いもので構成されています。例えば、国宝になっている古典柄は黄色地にこうもりが描かれていて、こうもりは漢字の「福」に似ていることから中国では縁起の良いモチーフです。
王朝時代は漆器や紅型の模様をデザインする絵師がいて、中国などで習得してきた柄を広めていたのです。その古典柄の型紙がずっと受け継がれてきましたが、戦時中に多くの型紙が焼失。戦後、新たな紅型作家が登場するなかで個性を打ち出す紅型が生まれ、ハイビスカスやフルーツ、珊瑚など海のモチーフといった身近なものが取り入れられるようになってきています。
紅型には、時代も国も超えてさまざまな文化がミックスされている。沖縄ならではの「チャンプルー(ごちゃまぜ)」文化が活かされた染物であり、そんな自由なところがいいなと思いますね。
(前編 了)
撮影 大津留知佳
インタビュー 歌代幸子
編集 徳間書店