Because, I'm Because, I’m<br>サイエンティスト&アーティスト 前編
Interview 33 / 北山敏さん

Because, I’m
サイエンティスト&アーティスト 前編

知れば知るほど、ミクロの世界は美しい。

目に見えない真実の美しさを追求する

北アルプス連峰の山麓にあり、美しい田園風景が広がる長野県安曇野市。自然が豊かなだけでなく、安曇野市から白馬村を結ぶ約50kmの「安曇野アートライン」には、数々の美術館、博物館が点在、アートも楽しめる地なのである。その内のひとつ、穂高駅からほど近い閑静な森の中にあるのが「安曇野ビンサンチ美術館」である。館長の北山敏さんは、自ら作品を制作し続けているアーティストである。ログハウスの美術館を囲む、緑あふれる庭に展示されているのは、顕微鏡の中のミクロの世界を撮影した作品たち。それは、肉眼では見ることのできない結晶の真の姿である。もとの物質はワインやコーヒー、醤油といった私たちの身の回りにあるものだという。その艶やかで幻想的な世界観には、驚きを覚えるとともに魅了される。北山さんの個性あふれる作品作りについて伺った。

Q. この『ミクロ×宇宙』というシリーズですが、結晶だといわれてもすぐには信じがたいほど、鮮やかな色や形に驚きます。どのように制作をされているか教えてください。

よくCG加工をされているのですか? と聞かれるんですが、作品の色や形、構図もすべて自然のものです。結晶というのは、液体などの物質が、温度変化だとか水分がなくなることで固まったもので、規則性があるのが特徴です。そのパターンは物質によって異なります。

制作の方法としては、最初にワインやコーヒーなどの液体を1滴、顕微鏡のスライドグラスにのせて観察をします。結晶化には時間もかかるのですが、ゆっくり時間をかけて変わるものもあれば、ある瞬間に劇的に変化するものもあります。いつどういう物が現れるかは、今でも予想がつきません。日々、ひたすらプロセスを観察し、ここぞという瞬間に出会ったら、顕微鏡に取り付けたカメラで撮影するんです。本当に一期一会で、すごいものを見たから翌日撮影しようとしたら消えていることもあるんです。結晶というのは生物ではない。でもまるで生きているように形や大きさが日々変化する。だから面白いんです。

1滴といっても顕微鏡下では、大げさに聞こえますが、砂漠の中で1粒の砂を探すような作業。まさにミクロの宇宙を旅しているような感覚です。でも、その瞬間に出会った時の感動が大きくて、ここまで探求してしまったのかもしれません。

顕微鏡で見た1滴のコーヒー。宇宙を浮遊する生物のよう。

《ミクロデザイン醤油》。黄金色をした幾何学模様のような構図が美しい。

Q. アートと科学が出会うことで、生まれた作品ですね。北山さんは幼少の頃からそのどちらにも親しんでこられたとか。

僕は静岡県三島市で生まれたんですが、両親は戦後すぐに小さな古本屋を始めたんです。だから貧しかったけれど、家の中には、浮世絵の画集、世界美術全集、科学大辞典、博物館の図録などがどっさりとあった。いま思えば、まさに宝の山に囲まれていました。僕は学校に行くよりも家で古本を見ている方が好きでした。その年頃なら毎日、外で真っ黒になるまで遊ぶところ、北斎の模写をしたりして一日を過ごしていた。そんなとき、雑誌の付録に付いてきた紙で組み立てる顕微鏡で、いろいろなものを見始めたんです。以来、ミクロの世界に夢中になりました。

あるとき1滴の海水の中に「タラシオネマ」というプランクトンを発見しました。棒状の形で、細胞同士くっついてジグザグや星型になるんです。「なんてすごいんだろう」と思いました。以来、タラシオネマについては、いつか作品にしたいと思っていました。その後、20代で制作したパフォーミングアーツ作品では、自分自身がタラシオネマを演じてしまうんですね (笑)。

今回記事の為に制作していただいたビコーズワイン「アイム ネロ・ダーヴォラ フロム シチリア,イタリア」の結晶。鮮やかな色調が赤ワインの結晶の特徴だ。

「ドン・ペリニヨン ロゼ」の結晶は飛行船のように見える。

「モエ・シャンドン インペリアル」色とりどりの花びらのようなモチーフが自由に弾けている印象。

子供の頃の僕は、学校で教えてくれない世界に夢中になっていたので、学校なんて意味ないやと思っていました。僕が、あんまり学校に行かないので、親では手に負えず、近所の人が朝集まって、僕をリアカーに括りつけ1.5キロ先の学校に連れて行った事もありました。学校に行かず、家で絵を描いたり、顕微鏡で観察したり、何やら分析みたいな事ばかりして。大人たちに「この中に宇宙があるとか言って頭がおかしい」と思われ、東京の病院で脳波の検査をされたこともありました。もちろん「正常」でしたが、この時の辛さは今でも覚えています。

そんなこともあって高校卒業後、家を出て上京したんです。でも進学の二文字は頭にはありませんでした。バイトを転々とし、お金もあまりなく新宿駅西口辺りで路上生活をしたことも。時代は70年アンポ、学生運動の時代です。周りを見ると、なんか自分と似たような「フーテン」と呼ばれる人が大勢いました。路上生活者なのに変に楽しそうなんですよ笑)。僕も、自由になった気がして、このままでも幸せじゃないかと思っていました。でも、そんな僕を見かねて、先に東京で暮らしていた兄が助けてくれた。「お前、科学も美術も好きならば、ちゃんと勉強して、レオナルド・ダ・ヴィンチみたいになれ」。そんな兄の言葉に触発されて、兄の下宿に居候し、3ヶ月間猛勉強したんです。1年半のブランクはありましたが、晴れて明星大学理工学部に入学できました。そこで出会ったのが結晶学です。いままで好奇心だけで探求してきたものを学問として学ぶことができた。大学院まで進んで、分光学や結晶学を勉強したことが私の基礎になっています。兄はその後、民間企業から苦労して工学博士になり、母校の東京工業大学の教授になりました。僕の恩人であり目標の人です。

1972年制作、明星大学構内壁画《浮遊生物》。初めて制作したプランクトンを描いた、横幅12mの大型作品。作品の左横に立つのは北山さん本人。

Q. 大学で勉強する傍ら、アート作品の制作もしていたんですね。版画家の岡部徳三さんに師事されたのもその頃でしょうか。

友達に誘われて渋谷に開設された「現代版画センター」のオープニングパーティーに行ったのです。そこで、たまたま隣に座ったのが岡部徳三さんでした。「君は何やっているの?」と話かけられて。その時に12mの壁画の写真をすかさず見せたんです。自分の作品の写真は肌身離さず持っていましたから。そしたら、「俺の周りでそんなに大きな絵を描く奴はいない。もしよければ工房に遊びに来なさい」と言ってもらえたんです。岡部徳三さんは、日本のシルクスクリーン版画のパイオニアで、横尾忠則さん、草間彌生さん、Nam June Paikさんなど、世界的なアーティストの作品の摺りを手掛けていました。僕は助手として版画の知識と技術を習得しながら、一流アーティストが生み出す版画作品を制作する立場になりました。又、東京藝術大学にシルクスクリーン版画教室を開設した岡部徳三さんと「写真製版・版画」を開発して、「日本印刷学会1979」で連名の研究発表をすることもできました。

この経験は、自身のシルクスクリーン作品へと繋がっていきました。富士山を望む太平洋の海原に木材の造形物を浮かべ、友達に写真を撮ってもらい、それをシルクスクリーン作品にしたんです。モチーフは子供の時に顕微鏡で発見して夢中になった「タラシオネマ」です。よく見ると、木製のプランクトンの隣に海パンを穿いて浮遊している僕がいる。プランクトンと同化しているんです(笑)。

1974年 環境芸術《浮遊生物》シルクスクリーン写真製版・版画。静岡県沼津市西浦の海に10mの木材の造形物を波の力で浮遊させて、この記録写真をもとに制作した。

この頃から作品を国内外の公募展に応募しているのですが、国内では落選続き。でも、この作品は、ポーランドの「クラクフ国際版画ビエンナーレ」で入選し、僕の初めての入選作となりました。また、兄の下宿の大家さんに紹介され、銀座の料理店でバイトした時期があったんですが、そこで知り合ったのが同じくバイトに来ていた妻の早苗です。彼女は教員採用が決まっていたのを蹴り、お金も仕事も家もない、将来性ゼロの僕について来てくれました。東京から安曇野に移住すると決めた時も、その後苦労してなった小学校教員を退職して、なぜか二つ返事でオッケー。これは、北山家の七不思議のひとつだと語り継がれています(大笑)。

(前編 了)

撮影:古厩志帆

安曇野ビンサンチ美術館

長野県安曇野市穂高有明2186-77
TEL:0263-83-5983
https://vinsanchi.com/index.html
https://www.facebook.com/vin.kitayama
開館日:土・日のみ
時間:10001600
冬期休館(11月中~4月下旬)

北山敏さん

北山敏(きたやま・びん)さん
1949年静岡県三島市生まれ。高松次郎「塾」で現代美術を学び、シルクスクリーン版画制作で知られる岡部徳三に師事。助手とし版画制作に携わり、最先端のアートを学ぶ。一方、明星大学大学院で分光学、結晶科学を学び、理学修士を取得。美術活動に専念するあまり、実生活ではどん底で路上生活も経験する。そんな折、学習院大学教授の推薦で学習院大学「エコトキシコロジー研究所」主任研究員(環境毒性生態学)に就任。環境科学者として、ドイツ・ミュンヘンや京都の国際環境会議などに出席 (1979~1986)。20歳から始めた顕微鏡下の「ミクロ×宇宙」は、国内の美術展やコンクールでほとんどが落選。同じ作品が海外の国際コンクールでは多数入選し高い評価を受ける。1993年、妻の早苗とともに、安曇野に移住。2012年「安曇野ビンサンチ美術館」を開設、館長を務める。コロナ禍で、最先端の拡張現実ARを研究。「Artivive」(オーストリア)のARテクノロジーを使った作品制作に取り組む。

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