Because, I'm Because, I’m<br>海洋人間 後編
Interview 20 / 八幡暁さん

Because, I’m
海洋人間 後編

知れば知るほど、サバイバルな生き方は人を強くする。

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3万年前にタイムトリップしても生きていける。

海で生きている人の暮らしを知りたい。そんな思いに駆られ八幡暁さんは太平洋に浮かぶ島々を自らのからだ一つで巡り、多くの原住民の人たちとも触れ合ってきた。そこでは、どんな出会いがあったのか。彼らから学んだことは何だったのか。そして、文明社会に生きる私たちにも、いつか必要になるかもしれないサバイバルの知恵についてもお聞きしてみた。

Q. 島々に上陸して、外界から閉ざされた地にも行かれたのですよね? どんな風にコミュニケーションをとったのですか?

島に上陸したら、必ずマナーとしてそこの部族の酋長に挨拶に行くんです。儀式みたいなもので、逆に言うとそれをやらないとまずいことになる。釣り針とか何か喜んでもらえそうなお土産も持参して行きました。最初はものすごく警戒されますよ、そりゃあ、彼らからしたら外国人なんて見たことないだろうし、カヌーも見たことない、恐いわけですよ。だから、僕が侵略者でも敵でもないことをわかってもらうために会いに行くんです。

酋長クラスだとインドネシア語を話せることが多かったですね。こっちも旅に出る前にその土地の言葉を勉強して行きますから。英会話決まり文句これだけ覚えろじゃないけれど、「私は悪い者ではありません」「あなたたちのことが知りたいです」「私、この島に泊まりたいです」とか。命にも係わるので必死でアピールするわけです。
向こうも、なんか変な男が来たなと思うだろうけど、武器があるわけじゃないし、カタコトでもコミュニケーションとろうとしているぞというのは伝わるんです。一度安全だということがわかれば、面倒もみてくれました。
もちろん、友好的なケースばかりではないんですけどね。

撮影:八幡暁(フィリピンバラワン島 2011年1月)

Q. 何か危険な目にあったのでしょうか?

ニューギニアの南岸に、まだ人食いの風習が残っている地区があるんです。大湿地地帯で、外界との交流を一切閉ざしたエリア。そこの周囲の村では、もうそんな風習はなくなっているんですが、ただ一か所、そこだけ残っているんです。
村の人たちからは「あそこに行ったら襲われるぞ」と散々言われました。でも目的地に行く通過点にあるので通らないといけない。そうしたら村の酋長が自分の小型船を出してくれて、4人の村人と一緒に僕とカヌーを乗せて運んでくれたんです。

で、その地区に差し掛かったら本当に、23人の男が小さい舟で追ってきました。こっちはエンジン付きだから10キロくらい引き離して、もう大丈夫だろうと。それで少し休もうといったん上陸したんです。そしたらまだ追って来てたんですね。「やばい!襲われる」と、もうテンションマックスで、船に戻ってエンジンかけた。村の人は、「彼らは船の下なんかに隠れたりするから、気がつかなければ弓矢で打たれて皆、終わりだった」なんて言っていた。弓矢って狩の道具じゃないですか。彼らにとっては動物も人間も獲物なんですね。生きるためには獲物を得なければいけない。そもそも、人を食べちゃいけないというのは、文明社会での道徳観や倫理観に過ぎない。だから絶対的に悪いとは言えないと思うんです。
彼らはそうやって何万年も生きてきたわけですから。

都会に暮らしていたら、生きるために何かをするなんてあまり意識しないけれど、生きて行くために体を動かすことは、実は楽しいことだと話す。

見方を変えれば、人間ってどんな特化した環境にも適応していく生き物なんだということですね。僕が訪れた発展途上の地域では、昆虫とか木とかそんな物まで食べちゃうのと思うような物を食べていたり。医療も発達していなくて、衛生環境も悪くて、疫病も多くて、いろいろな細菌に感染してしまう。そのときは、特効薬をジャングルの中から探してくるとか、葉っぱを食べたり塗ったりして治すとか。それでも治らなければ呪術に頼るとか。そうやって彼らは生きてきたわけですよね。僻地とか言うけれど、日本だって1000年前はきっと同じような暮らしだったはず。皆、同じなんですよ。だったら僕にもできるなと思いましたね。

旅をしたことで、昔から人はこんな風に生きてたんだと想像でき、その時代の人達と出会えたような体験ができた。もしも3万年前に自分がタイムスリップしても、絶対にハッピーに生きていけるって確信できたことが大きかったですね。

Q. 最近は自然災害も多いし、私たちにも何があるかわかりませんよね。身近なところでできるサバイバル的な知恵を教えてください。

まずは食べ物を確保することが大切ですね。以前、石垣島の店をスタッフに任せて、3年間実家のある逗子に家族と戻っていたことがあるんです。その時には、家の半径5キロ内にある食べられるものを1年かけて調べて、子どもたちに、野草とか木の実とか、海辺にいる小さなカニや貝、海藻とかの獲り方を教えて、火のおこし方や、水源の探し方、作物の植え方なんかも遊びながら教えてました。万が一、逗子でインフラが全部止まったとしても家族は食べていけました。

天気の変化を知ることも大切で、それには天気予報じゃなくて、毎日空を見ること。雲が南東に動いてたら高気圧が近づいているから今日は晴れるなとか、黒い雲が出てきてこっちに移動していれば、ゲリラ豪雨がすぐに来るとか。空は都会でも開いているし、そんな身近なところから自分と自然をつなぐことが大切なんです。常に自然に目を向けていると、もっといろいろ知りたくなるんですよ。いまここにある水ってどこから来たのかとかね。わかるようになると自然に地球を大切にしたいと思うようになる。SDGSとか言われてやるのではなくてね。

それから、ご近所ともつながっておくことですね。何かあったときに情報を交換したり協力し合えるから。水道が止まったから、あそこの水源に一緒に行って水を汲んできましょうとか。自然災害の時なんて特に助け合わないと生きていけない。

発展途上の地域では、いかに環境を自分達で手入れして、壊れないようにするかが命題で人々はいつも協力しあっていた。環境保護の観点なんかじゃなく、生きていくためにそうしている。

文明の発達した社会と非文明的な社会、 旅をしたことでふたつを比較してみることができ、文明の脆弱さを感じるようになった。

お年寄りについても、現代社会では、生産性が低くて役に立たない存在のように捉えられがちでしょう。でもそういう所では、特に長生きをしている老人は「長老」と呼ばれ、敬われている。彼らは様々な知恵と経験を蓄積したまさにスーパーコンピューターなんです。彼らが得た知恵を若い人たちに伝えてそれが蓄積されることで、災害や飢餓になっても村を存続させている。現代社会ではそういう長老の役割が、コンピューターにとって代わっているでしょう。逆を言えば、コンピューターがなかったら僕らは何もできないということ。文明が機能しているときは安全なんだけど、それが崩れた瞬間、めちゃくちゃ弱くなる。それって実は、すごく危ない状態だなと思っています。

(後編 了)

写真 森河美帆
インタビュー いからしひろき
編集 徳間書店

八幡暁さん

やはた・さとるさん
1974年、東京都出身。大学時代に海に生きる人々の暮らしに惹かれ、卒業後は世界各地の漁師の仕事を学びながら旅をする。その過程でシーカヤックに出会い、2002年オーストラリアから日本への人力航海に挑む。その後、インドネシア・ニューギニア島西南岸700km横断、フィリピン〜台湾海峡横断など、世界初の航海記録を数多く達成。2005年から沖縄・石垣島に移住、「手漕屋素潜店ちゅらねしあ」を運営。「身の丈+10㎝の経験」をコンセプトに、“生きる”を実感できる自然体験ツアーを主催している。
https://www.churanesia.jp/

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