Because, I’m
トーストアーティスト 前編
作って食べる、一連の感覚がからだに残る、その行程がすべてアート。
当たり前だった日常が、非日常になったり、それまでありえないと思っていたことが現実になったり。そんな混沌とした日々の中で、気持ちが押しつぶされないよう、いかにサバイブしていくか。それは多くの人が抱える昨今の課題かもしれない。日頃、グラフィックデザインの仕事をしている佐々木愛実さんは、テレワークをしながら不安感にゆらぐ日常を、トーストアートという“装置”を使って、ささやかだけれど幸福に満ちた非日常に変換した。それは初めて見ても、どこか親しみを感じさせてくれる小さなアート。でも、どうやって思いついたの?
Q. 色鮮やかで食べるのがもったいないと感じる程のトーストですね。なぜトーストでアートをやろうと思ったのでしょうか。
始めたのは、コロナ禍の、2020年の4月です。ちょうど桜が散った頃で、「今年はみんなと桜を見れなかったな」という悔しさがあって……。私、創作の原点が辛さとか苦しさが多いんですよ。桜を見られないという辛さや苦しみをかたちにして、一つの記憶として残しておきたかったというのが最初のきっかけです。
あと、自分の“眼球”の感度が鈍っているなと。私はのんびりしているように見えて活発に動くのが好きで、コロナ前は刺激を求めて外に出ることが多かったんです。コロナになってから身動きがとれなくなって、気持ちもどんどん落ち込んでいって。何を見ても、例えばリンゴなら、リンゴという(平たい)概念でしか見つめることができない。そのもの自体の魅力は変わらないのに、それに気づけないというもどかしさを感じていて。
このままでは一日を過ごすのがおっくうになってしまう。それなら一日の最初のルーティンである朝食時に、朝起きるのが楽しみになるような習慣をつくりたい。そうればモヤモヤとした曇りも少しは晴れるのではないかと。ひとまず家にあったブルーベリーとチョコレートを混ぜた特製ジャムで、花見の様子を浮世絵の構図で食パンに描いてみたんです。
そうしたら、トーストしたときの変化が面白くて。見た目だけじゃなく、部屋いっぱいに広がる甘い香りも新鮮でした。自分にとって身近な食材にもこんな魅力があったのか! と感動してしまって。もっと他の食材でも試してみたいと思って、毎朝続けていった、という感じです。
Q. 浮世絵にピカソの絵、前衛アートのような幾何学模様など、モチーフは様々ですね。どのように決めていらっしゃるのでしょう?
最初のころは、発見した食材の魅力と自分の好きなモチーフを掛け合わせることが多かったですね。例えば「枯山水」は、私自身日本庭園が大好きなこともあり、サワークリームは白い砂、ナッツは岩の魅力と重なって見えたのがきっかけです。
次に手がけたのは、誰もが知る有名なポスターや巨匠のアートをモチーフにしたものです。これは作品に対するオマージュでもあるのですが、焼くことによる印象の“ゆがみ”が面白いなと思って。例えばチーズが熱で溶けたり、海苔が縮むことで、元のかたちが視覚的に崩れていく。自分の中に抱いていた巨匠のアートすら、以前と違って見えてくる。このような食材の変化による印象の歪みは、トーストならではだと気づきました。
そのうち、食材の魅力をストレートに表現するには「モチーフがない方がいい時もあるな」って気づいたんです。つまり、具体的な見立てや、有名な絵画のオマージュではなく。
それは、食材を徹底的に見つめて思ったこと。例えばブルーベリー。食べ物としてももちろん好きですが、果皮のパリッとした質感と果肉のうるっとしたみずみずしさの対比が面白いし、焼いた後のジャムのように濃厚に広がる香りからは、生命力の強さを感じました。でも絵画などのモチーフがあると、「あの絵にそっくり!」とか食材の魅力とは違う部分に目がいってしまうなと。それなら食材だけで勝負してみようと、食材の特徴のみに情報を絞ったトーストが増えていきました。
PLANING TOAST MAKING MOVIE
Q. 佐々木さんの作業のプロセスをお聞きすると、作品を決めて素材を集めるのではなく、食材がまずあってそこから発想が生まれるという順序なのですね。
食材は前の晩に最寄りのスーパーで買うことが多いですが、売り場では、食材を観察しながら選んでいます。すると自分の中で“ときめき”のような、ハッと気づかされて突き動かされる感覚があるんですよ。
例えば、紫キャベツは、芯はしっかりしているんだけど、触ると柔らかい。芯の強い葉の重なりから生まれる、凛とした曲線の層は、着物の重なりに近い魅力がある。その観察があって「よし、日本画をテーマにしよう」とひらめくんです。
ぶどうは、表面には薄く白い霧がかかっていて、半透明な果皮の奥の方から光っているように見える。すごく宇宙っぽいなと思います。
そうした「観察」って、自分の精神的な状態が安定していないとできないんですよね。食材売り場では、食材は食品名で括られ、規定の数や量でパッケージされ、あたかも同食材が全て同じものであるかのように陳列されています。私たちの視界を、規律や知識による固定観念で曇らせてしまうのはキケンです。観察は、対象と自分との共同作業だと思っていて。それは、導かれ合うような関係性。一方的に決めつけてはいけないし、かといって目を逸らしてもいけない。ことばのない対話みたいなものです。
ちょっと禅に近いかもしれませんね。
Q. そういう思い込みの危険性や、バランス感覚の大切さって、人間関係にも当てはめられる気がしますね。佐々木さんご自身は人間関係で意識されていることはありますか?
私は苦手な人がほとんどいなくて。相手のそのままの姿を受け止めたいといつも思っているんです。私は、自分の価値観で相手を決めつけないし、相手にどうあってほしいと望んだりもしない。実は私、できないことがたくさんあって。でも、その欠陥も、隠さないようにしています。誰に対しても変わらない自分でいるのがマイルール。
してあげようとか、どう思われたいとか……一辺倒の価値観や理想を掲げた関係って、どうしても関係性が“もろく”なっちゃう。だからありのままの相手と自分が心地よく呼吸をするというか、力まずに、ただそこにいるっていう関係性を大事にしています。
Q. 買い物から始まり、作ったあとは食べてしまいますよね?
そうした一連の習慣、全てがインスタレーション作品というか。トースト一つひとつは作品だと思っていなくて、作って食べて、食材の魅力を見つけた体験が残る。物質的には消えてしまうけど、私の感性として体の中に残るっていう、「発見→表現→消化→共生」のサイクル自体が一つの作品だと私は考えています。そう考えると、前の晩のスーパーから創作活動は始まっていることになりますね。一連の習慣が繰り返されていくことで、どんどん私が脱皮するような、少しずつ日常と非日常の間の扉が開くような、そんな感覚を楽しみながら続けています。
(前編 了)
撮影 sono
インタビュー いからしひろき
編集 徳間書店