Because, I’m
展覧会プロデューサー 後編
展覧会の存在意義は?
西澤さんの言葉を借りると、展覧会は「生活文化催事なのだ」という。一般的には展覧会といえば、美術館や博物館で開催され、国宝や重要文化財、伝統工芸といった貴重なもの、高額なものを“拝観する”イメージが強くあった。でも、生活文化催事であるならば、身のまわりのあらゆるものが展覧会化できるといっても間違いではない。でもそれは、展覧会のテーマが安易になったということにはならない。選択肢が広がることで、むしろどんな展覧会が本当に求められているのか見極めが難しくなったといえる。数々の展覧会を開催してきた西澤さんのアンテナに引っかかるのはどんなテーマなのだろう。
Q. 西澤さんが館長をされていた赤れんがホールから、東映に移られたのが2000年。展覧会への携わり方はどんな風に変わりましたか。
赤れんがホールにいた頃は、企画会社が持ってくるメニューを、腕を組んで「いいね」なんて言っていればよかったんです。いまは腕を組んでいる人のところに行って、企画を買ってもらうわけです。以前も展覧会の企画に携わっているという自負はありましたが、実際には企画を買っていただけ。どういう企画が求められているのかということに真剣に向き合ったのは東映に入ってからのことです。
プライベートの話をすれば、僕はこの年に再婚をして、2001年に息子を授かりました。この子の成長過程をリアルタイムで見てきたことも展覧会作りに影響しています。
当時は、男の子のTV番組といえば、『仮面ライダー』や『スーパー戦隊』が人気で、ニチアサ(日曜日の午前中)の定番。これは子供にTVを観せることで、ニチアサの親が寝坊できて休めるからという背景もがありました。でも世のお母さんの中では、戦うものとは違う、もっと良質なコンテンツを求めるような風潮もありました。息子も絵本が大好きでした。いつも夢中になってかじりついている。その様子を見ているうちに童話や絵本のような子供に見せたいものを展覧会にしたらどうかと考えるようになりました。なにせ、家に帰れば題材は無限にあった。きかんしゃトーマス、アンパンマン、ピングー、ミッキーマウス、ディック・ブルーナ…。そのうちのひとつがムーミンでした。
ムーミンの生みの親トーベ・ヤンソンが他界した翌2002年、作品を寄贈していたタンペレ市立美術館がヘルシンキで回顧展を開催されたと聞き、僕はフィンランドに飛びました。もちろん日本での展覧会交渉のためです。でも、トーベの友人であった美術館の館長からは、「ムーミンの生みの親としてではなく、一人の芸術家としてトーベを紹介して欲しい」と言われたのです。僕はムーミンを中心にしたかったのですが、展示リストはムーミン以外の油絵や政治風刺雑誌『ガルム』に掲載した挿絵が多く、ムーミン童話の原画は全体の半分程度です。「これではムーミン展にならない」と困っていた僕を助けてくれたのは、人形作家の谷口千代さんの作品でした。彼女は大のムーミンファンで自身が制作したムーミンの人形をトーベに贈り続けていて、トーベも大切に保管していました。これを日本にお国帰りして展示したいと館長に伝えると、「谷口さんの作品ならOK」と承諾してくれました。
谷口さんのムーミン愛にあふれた作品51点とともに、『ムーミン谷の素敵な仲間たち展』(2004年)は、5会場に巡回して、92,401人が来場されました。日本でムーミンブームが起こったのはその直後です。ムーミン童話の原画展はその後も、2009年7会場、2014年11会場、2021年11会場と巡回展を開催し、動員数と話題を獲得、長年にわたって携わることができました。
また、ムーミン展を機に、僕は展覧会の「図録」を先に作ることで会場構成を組み立てるという方法をとり、これはいまでも続いています。図録用に展示作品の画像を撮影し、画像入りリストを作り、解説文・キャプションや挨拶文も書いていく。文章も子供でもわかるように短く、漢字も少ない、シンプルなものにしています。展覧会ではこれがそのまま解説パネルの文章になります。従来の展覧会にあった、長い説明文章で理解出来ない解説パネルをやめたのです。
Q. 人気のアニメの展示会も多く手掛けていますね。
東映に入社した直後から始まったのが、『東京国際アニメフェア』、東京都主催のイベントで、毎年春に東京ビックサイトで開催するという依頼を受け、僕は特別企画展を担当しました。第1回目は、初回らしく『日本のアニメ100選』という企画にしました。
アニメのセレクトは、公平を期す為に『アニメージュ』誌の編集に依頼して、僕はセレクトされた作品の権利元へ出展交渉に行きました。300ヶ所はありましたから、1年中歩きまわっていた記憶があります。頭書に選んだ100作品中5作品が権利上困難になったり、公式ガイドブックへの画像掲載がNGになったり……苦い思いもしました。アニメフェアは2007年まで毎年特別企画展を担当しました。企画を通して多くの権利元の方々と親しくなったことは大きな収穫でした。
アニメの展覧会で感じたことは、現在はデジタル化していますから、当時の原画はもちろん、セル画も産業廃棄物として処理されていて多くが残っていません。今はコンピューターの中にデータがあるだけです。データだから、画像で何枚でもどんなサイズにも出力できます。唯一感のあるものだけを展覧会化してきた僕にとっては複雑です。
その思いを確信したのが、2013年に開催した『鳥山明 The World of DRAGON BALL』の時です。この頃東映では、映画部門との連携に積極的で、17年ぶりの新作映画『ドラゴンボールZ』を制作したことで、そのタイアップで実現できたのです。
実は僕は1993年に川崎市民ミュージアムで開催された『鳥山明の世界展』を観て、とても感動し、いつかは彼の展覧会をやりたいと思っていました。鳥山明は幻の展覧会作家といわれていて、展覧会は唯一その時のみで封印されていたのです。
『鳥山明 The World of DRAGON BALL』は、映画公開時に東京と大阪、鳥山明の地元名古屋の3会場で許諾が下りました。
僕らはまず何をやったかというと、僕を含めたスタッフ4名でドラゴンボールの全巻を読み漁ること。その過程で展示物の候補に付箋をつけていきました。
原画を見に行った時は本当に驚きました。きれいな桐の箱に巻数ごとに整理され、とても良い状態で保管されていました。それこそ展覧会でしか観られないものですよね。世界に一つしかないものを身近に観られる、それが展覧会の醍醐味なのだと思いました。
Q. 展覧会は何のために開催するのかということも考えてしまいますね。
僕にとって一つの答えとなったのが、『ブータン しあわせに生きるためのヒント』(2016年)です。2011年の東日本大震災のとき、ブータンのワンチュク国王夫妻が福島の被災地を訪れて、国会でも演説をされました。その中継を見ていたら、国王は、「ブータンはヒマラヤの小さな国で、豊かな未開の自然が残されていて、人々は質素ながらも謙虚な生活を送り、信仰心や人を思いやる心を大切に暮らしている……」というようなことを話されていました。
日本も自然エネルギーだったらこんな災害も起こらなかったのかなと思い、経済的な発展より幸せに生きることが出来るブータンという国に興味がわいてきたのです。
そうなったら出展交渉をしない手はありません。交渉は窓口にたどりつくまでに約2年かかりましたが、ペマ・ギャルボ教授を通してブータン政府に連絡できたことで企画が進みだしました。ブータン王国には開催までに4回行きました。2回目のときに国立博物館の館長を紹介していただきました。この館長、チベット仏教の高僧でもあるのです。ブータンでは王室と仏教が対等な関係なんですね。館長とも何度もやりとりを重ねて、展覧会の実現が現実化しました。ブータンの人たちの暮らしぶりも、彼らの豊かな表情とともに目に焼きついています。彼らは本当に質素な暮らしをしていて、当時はまだスマホもなく、標高2,000メートルのところで農作物を作っています。発電所の建設は自国では困難なのでインドに建ててもらい、その電気の3割を自国で使い、残りをインドに売っています。
近代化をゆっくりしていこうという考えの国なんです。でも、2005年に行われた国勢調査では「とても幸せ」「幸せ」と回答した人が97%もいました。
日本では、経済が発展して暮らしも便利ですが、私たちは心から幸せと言えるのかな。そのヒントがブータンにあると思いました。展示品は、仏像や曼荼羅などのチベット仏教に関するものと、伝統的な衣装、生活用品、国王の衣装など。国民の素朴だけれど生き生きとした暮らしぶり、王族への信頼や愛敬、家族や周囲の人たちへの愛が感じられる展示でした。会場に足を運ばれる方々に、幸せについて感じとっていただけたらというコンセプトから、「しあわせ」をテーマにした初めての試みとなったのです。
Q. お話を伺って、展覧会を世に出すために、展覧会プロデューサーがいかに水面下で走りまわっているのかがわかりました。
「この企画は自分が創らなければ世に出ていかない」いつもそんなことを思っています。ひとつ開催するには数年かかるし、途中でダメになることも多々あって、しんどい気持ちになることもあります。でも、展覧会の初日を迎えて、お客さんが走って来られる姿を見たりすると、苦労があったとしても、吹き飛んでしまう。すべてが報われる瞬間です。そうすることで、また次のことを考えたりしています。
(後編 了)
撮影 sono
編集 徳間書店
著書『展覧会プロデューサーのお仕事』
西澤氏曰く、展覧会は「生活文化催事」だという。その言葉通り、絵本原画、漫画、アニメ、クラフト作品、アート、タレント、映画等……日常のあらゆる出来事が、彼の手にかかると一期一会の展覧会と化す。本書は、それまでに著者が世に送り出した数々の展覧会の足跡と仕事術をまとめた貴重な一冊。展覧会開催に至るエピソードや各展覧会で得たさまざまな教訓なども綴られている。作り手の視点による展覧会の裏側が愉しめるはず。
西澤寛さんプロデュースによる、特別展「ぞうのエルマー絵本原画展」(2023年6月24日~9月3日)。日本では未刊行の作品を含む「エルマー」シリーズの絵本原画など約170点を展示。