Because, I'm Because, I’m<br>坊主バー店主・僧侶 前編
Interview 16 / 藤岡善信さん

Because, I’m
坊主バー店主・僧侶 前編

知れば知るほど、 仏教は「自分を映す鏡」である。

誰もが気軽に立ち寄れるでありたい

東京・四谷三丁目の繁華街に佇む知る人ぞ知る小さな店。ここには夜な夜な悩みを抱えた現代人が訪れ、像呂である店主とひととき語らい、うまい酒とともに、心のつっかえ棒を飲みこんでいくのだとか。薄暗い階段を上がり一歩足を踏み入れれば、そこは、写経や仏壇、仏像などに囲まれた浄土の世界。善念坊主こと、藤岡善信さんはかれこれ20年以上、ここに立ち、お客様をお迎えしている。四谷「坊主バー」へようこそ。

現役の僧侶が営む「坊主バー」の入り口

Q. お坊さんといえば、お寺に生まれた子がなるものという認識があったのですが、藤岡さんは違うそうですね。

生まれた家はお寺ではありませんでしたが、信仰心の深い家庭だったので、私も小さい頃から宗教に親しみがありました。そんなこともあり、大学は仏教系の学校にしたのです。でも学生時代はキリスト教に傾倒してしまって、むさぼるように聖書を学び、実際にインドまでマザー・テレサに会いに行ったのです。
そこまでして心の浮かんだのが、自分の中に純粋な愛などあるのだろうかという一つの疑問でした。マザー・テレサのように、苦しんでいる人、貧しい人を救いたいという思いの中に、自分の人生を隠し逃げているのではないだろうかと。そんな迷いが広がっていたときに、浄土真宗の宗祖、親鸞聖人の「罪業深重の凡夫」という言葉に出会いました。それは、親鸞聖人が自身をとことん見つめたとき、「わずかの愛や善いことができる心もなく、常に心の中には蛇やサソリが渦巻いている」という告白です。
この言葉に出会ったとき、自分の心に遭った曇りがすーとなくなっていったのです。

坊主バーのカウンター。小さな仏像がひしめくように酒瓶が並ぶ。

仏教の世界では、山にこもって修業を積み、欲や怒り、愚痴などの煩悩に打ち勝ち、本当の幸せになろうというのが多くの教えのなか、親鸞聖人は、公然と「肉食妻帯」をされた方です。もちろん己の欲望のままにされた行動ではなく、20年という長く厳しい修業をされたのち、どこまで行っても煩悩が拭いされないと知り、煩悩を持ったまま救われる道を開かれて行かれたのです。
それは、人は煩悩があるという事実を見つめ、自分を愚かだという事実を知って生きていくことなのです。そういう教えに救われ、私はこの道に入ったというわけです。

我々の宗派はお坊さんになるには、所属寺を見つけて、籍を入れてもらい、そこから仏教の学校へ行き、本山で得度の研修を受けます。大体お寺のご子息が多いですからその後実家のお寺を継ぐというケースが多いですが、私はもともとお寺の出身ではなかったため特に後を継ぐお寺もありませんでした。
そんなときこの「坊主バー」のお話があったのです。

天井一面に貼られたひと文字の写経。すべて客が書き残したものである。

もともと、「坊主バー」は大阪が1軒目。一人の住職が一人のバーテンと出会ってできた店です。現代では、お寺というのは観光寺や檀家寺のようになっていて拝観料を払って見るところ、または檀家さんやお墓がある人が行くところであって、何の縁もない人がふらりと立ち寄ってお坊さんとお話ができる機会は滅多にありません。そうではなく、お坊さんにいつでも出会えて、触れ合える、そんな誰もが気軽に来れる、水平に出会える場所を作りたいというのが、その住職の願いだったのです。
私はこういう場所で布教活動をするのも、坊主として歩む一つの道ではないかと感じました。

Q. いまのお寺の在り方とは違って、誰もがお坊さんに会いに行ける場所ですね。内装的にもお寺にいるような仏具が飾られていて

実は信じがたいエピソードがあるんです。開店して半年ばかりたった頃のことです。このような店ですから同業者の方もいらっしゃいます。その方からあるとき、「もっと宗教色を出した方がよいのでは」と言われました。しかし当時はお金がなくて、仏具など買うことができません。そこである日、お釈迦様に向かって「仏壇を下さい」とお願いしたのです。
するとその日の帰り道、仏壇屋さんの前に仏壇が落ちていたんです(笑)。店の人に聞いたら、持って帰っていいと。まさに、これはお釈迦様のお導きだと思いましたね。

その辺りからです、お店も軌道に乗って食べられるようになったのは。後々考えると、自分の「心構え」も大きかったと思います。覚悟が出来たというか、それまでは全てが中途半端で、どうやって良いかも分からず、大いに迷っていました。迷っているときはやはり物事は良く進まないんですよ。先人の偉いお坊様方はみなさま「僧侶は衣食住のことで迷うな」と。衣食住なんてものは、仏法を求めたら自ずとついてくるのだから、いちいち迷ってはいけないという教えです。私もこの言葉を聞き、無一文になってもいいやって、覚悟ができたのです。

店内の仏壇に祀られている阿弥陀如来像

Q. 仏壇が落ちているなんて、ここで布教活動をしなさいというお釈迦様からのお告げだったのかもしれませんね。

お客さまは仏教そのものに興味がある方、いまはこんな状況なので来られませんが、外国の方も多いですね。それから、やはりお悩みがある方も多いです。
お悩みのほとんどが人間関係なのではないでしょうか。仕事の人間関係、恋愛関係、いずれにしても元を辿っていくと親子の問題から発していることが多いです。そうしたものは全部つながっていますから。親の介護で苦しまれている、夫が働いてくれないなど、悲惨な状況の方もいらっしゃいます。
でもどんな状況でも、人のせいにしてるいだけでは前に進まないんですよ。仏教は自業自得という教えですから、どんな状況においても「これは自分が作り出したもの」と受け止めなければなりません。私達はそのお手伝いをするだけです。悩みの深い方には、お寺で行われる法話の会などの行事にお誘いすることもありますよ。

あるお客様は、生活のことや病気のことで悩まれていました。見たところ、その方は常に何かを理由にして、逃げ続ける人生を送られているようでした。でも、お寺にちょくちょくと足を運ぶようになってから、生き生きと変わられていきましたね。
自業自得とは、悪い意味ばかりではなく、良い結果を得るのも本人の良い行い次第という教えでもあるのです。

悩める現代人が今日も心の憂さを晴らしに来る……。

ちなみにお客様からは、「坊主が酒なんて出して良いのか」としょっちゅう聞かれるのですが、人間の業をまるごと受け止めるのが浄土真宗の教えなので、お酒を飲む事も人間の営みとして否定していないのです。
私は、「シャカシャカ説法」(シェーカーの音になぞって)などと謳っておりますが、要はお酒をもって布教活動を行っていると思っています。

例えば、浄土真宗の中興の祖と呼ばれる蓮如上人という方は、人々をお寺に招いてお酒をふるまったそうです。しかも寒い時はお酒を温めて、暑い時は冷たくして出されたそうです。そしてそのお酒を飲みながら、「喋ろう、喋ろう」とやったわけです。
「坊主バー」は、その現代版だと思っています。

坊主がカルアミルクを出したら(坊主バンド&坊主バーチャンネル)

(前編 了)

Because, I’m坊主バー店主・僧侶 後編はこちら

写真 sono
インタビュー いからしひろき
編集 徳間書店

【坊主バー】
東京都新宿区荒木町6
営業時間 19:00~(変更あり)
定休日  日・祝祭日
TEL:03-3353-1032
WEBhttp://vowz-bar.com/
Twitterhttps://twitter.com/yotsuya_vowzbar

藤岡善信さん

ふじおか・ぜんしんさん
1976年、岡山県出身。仏教系の大学を卒業後、浄土真宗本願寺派の僧侶となるも、特定の寺院に所属せず、2000年9月オープンの「東京・四谷 坊主バー」の経営に携わる。店の経営の傍ら、布教の一環として音楽活動やYou Tubeによる発信を行う。店の営業情報やライブ情報などは坊主バー公式サイト(http://vowz-bar.jp/) 

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