ワイン産地としてのイギリス 最新事情 (ソムリエ 織田 楽さん寄稿)
初めまして。この度「Firadis WINE COLUMプロ」にてワインコラムを寄稿させていただく事になりました織田楽です。現在イギリス、ロンドン郊外の三ツ星レストラン、ザ・ファット・ダック(The Fat Duck)にてソムリエをしております。
2010年に渡英するまで東京都内のレストランに勤務し、ロンドンに移り住んでからもソムリエとしてイギリスのワイン業界に携わっております。また2016年にWSET Diplomaを取得し、その後2019年よりマスターオブワイン・プログラム(Master of Wine Programme)に参加を致しました。
世界中のワインが集まり、最新情報の発信地でもあることからワイン業界の首都と呼ばれるロンドン。ここでの経験から得られた視点や観点をこのコラムを通してお伝えしていきます。これらの情報が少しでも皆さまの新しい発見のお手伝いになれれば嬉しいです。
初回はここイギリスをテーマに二部に分けてお届けします。前編の今回はワイン産地としてのイギリス、イギリスワインについて。次回後編では、イギリスのワイン事情、レストラン事情についてご紹介する予定です。
イギリスワインを紐解く
イギリスワインと一言で言ってもスティルワイン(以後、スティル)の白、赤、ロゼ、そしてスパークリング・ワイン(以後、スパークリング)とさまざまなスタイルが造られています。その中でイギリスワインと聞いて最初にイメージされるのがEnglish Sparkling Wineではないでしょうか。実際にとても高品質なスパークリングが数多くの生産者から造られ、国内消費者にとっては豊富な選択肢がある事がそのイメージを後押しする要因と言えます。
充実したワイン売り場を誇るウェイトローズ(Waitrose)などイギリスの高級スーパーマーケットでは、English Sparkling Wineの陳列棚はイギリス人が大好きなシャンパーニュのそれにも引けを取りません。国内業界を牽引するワイナリーであるナイティンバー(Nyetimber)やガスボーン(Gusbourne)も積極的に日本市場に輸出をしており(イギリスワインにとって日本は輸出市場第4位)、日本でもお馴染みになってきたEnglish Sparkling Wine。このイギリスを代表するワインEnglish Sparkling Wineを軸にイギリスワインについての枠組み、栽培品種、生産地、そして業界の取り組みを追っていきます。
イギリスワイン=English Sparkling Wine?
先ずEnglish Sparkling Wineは他国のワイン生産地と同じくイギリスのワイン法にて原産地呼称「Protected Designation of Origin (PDO)」として定められています。「English Quality Sparkling Wine」(又は単にEnglish Sparkling Wine)はイギリス国内(イングランドのみ)で栽培された葡萄のみから造られ、Traditional Method(トラディッショナル・メソッド、シャンパーニュ方式)での醸造が義務付けられ、澱接触による瓶内熟成最低期間は9ヶ月(ただし大多数の生産者が最低15ヶ月以上の熟成を実施)です。
イギリスのワイン生産者の多くがこのシャンパーニュ方式で造られるEnglish Sparkling Wineの醸造に重きを置いている事は数字から見てとれます。スティル対スパークリングのイギリス全体の醸造量比は2017年から2021年の5年間平均でスティル32%に対しスパークリングは68%にのぼります。スパークリングの内訳では醸造方法別比で98%がシャンパーニュ方式です。257 haの自社葡萄畑を誇るナイティンバーは全生産ラインナップの全てがシャンパーニュ方式によるスパークリングのみとなっています。
因みにプロセッコの様にフルーティなスタイルに仕上げるCharmat Method(シャルマ方式)での醸造が許される分類 「Quality Sparkling Wine」(又は単にSparkling Wine)は僅か1%ですがイギリス国内でも造られています。ノーフォーク(Norfolk)の優良ワイナリー、フリント・ヴィンヤード(Flint Vineyard)の造るシャルマ・ロゼが秀悦な仕上がりである事を付け加えておきます。
シャンパーニュをお手本に
栽培品種からもイギリス全体がシャンパーニュを模範とした傾向である事が伺えます。全土で約3,700 ha(2022年時点)ある葡萄畑面積のうち、栽培上位3品種はいずれもEnglish Sparkling Wineで主とされる品種です。シャルドネ1,180 ha、ピノ・ノワール1,160 ha、そしてピノ・ムニエ(Meunierではなく依然Pinot Meunier表記が主流)330 haと続き、過去5年間の新規植栽品種もこれら3品種で全体の82%を占めます。オックスフォード(Oxford)のブティックワイナリー、ハンドレッド・ヒルズ(Hundred Hills)ではそれぞれ5クローンずつのピノ・ノワール(Clone 386, 115, 548, Grappes Lacheなど)と シャルドネ(Clone 76, 95, 131など)を高品質なスパークリングの製造に特化する目的で栽培し、スパークリングを主力商品とするケント(Kent)のガスボーンも上記3品種のみを90 haの自社園に植えています。
ただし前途の通り、国内ワイン醸造の32%はスティルであり、葡萄が全てスパークリング醸造へのみという訳ではありません。ワイナリー経営の観点でも長期熟成が必要なスパークリングに比べ、最短1年以内に現金化できるスティルは重要な商品です。例えば、ガスボーンはスパークリング以外にも意欲的に世界基準のスティルをシャルドネとピノ・ノワールから造り出すべく邁進中ですし、別のケント所在のワイナリー、シンプソンズ(Simpsons)が仕上げるピノ・ムニエ100 %の“スティル” ブラン・ド・ノワール(Blanc de Noirs)、デリングストーン ピノ・ムニエ(Derringstone Pinot Meunier)は市場から非常に高い評価を得ています。
また、イギリスワインの多様性の観点から、これらシャンパーニュ品種以外にもバッカス(Bacchus)(264 ha、栽培品種第4位)からは非常に爽やかでハーバルなスティル白ワインが造られ、イギリス人が飲み慣れたソーヴィニヨン・ブランの代替えアイテムとして人気です。ロンドン市内のアーバンワイナリー、ロンドン・クリュ(London Cru)がその生産者の一つとして挙げられるでしょう。
産地を詳しく語るのは今後の楽しみ
冒頭で記した様に「English Sparkling Wine PDO」はイギリス国内産葡萄が醸造条件であり、産地は“イングランド”です。実際に市場でもイギリスの産地違いが話題に上がる機会はあまり多くありません。マスターオブワイン(MW)の模擬試験の際も、答案で産地を議論するときはイングランドがシャンパーニュやフランチャコルタと比較検証する対象産地という認識でした。
この理由としては国内ワイン産業の歴史がまだ浅い点に加え、シャンパーニュと同じくEnglish Sparkling Wineはブレンディングが重要な品質向上要素になっていることが挙げられます。ナイティンバーのワイナリー所在地はウェスト・サセックス(West Sussex)ですが、葡萄畑はウェスト・サセックス以外にイースト・サセックス(East Sussex)、ハンプシャー(Hampshire)、ケントと州を跨がって点在しています。これら各葡萄畑にはそれぞれ特徴があり、例えば、粘土土壌で比較的暖かいケントからは膨よかな、よりチョーク質なサセックスからはミネラル感に富んだ、といった味わいを踏まえてブレンディングする事で、よりワインメーカーの理想とするワインに仕上げていく事ができるのです。
そんな中、昨年2022年に申請より7年の歳月を経て原産地呼称「Sussex PDO」が正式に承認されました。対象は本土南部の海岸地域ウェスト・サセックスとイースト・サセックスで、スティルとスパークリング共に認められます。規定は「English Sparkling Wine PDO」よりも厳しく設定し(例えば、瓶内熟成最低15ヶ月、内澱接触期間最低12ヶ月)、産地の独自性と共に品質の裏付けを図っています。
英国ワイン協会Wine of Great Britain(WineGB)代表のサイモン・ソープMWは以下の様に述べています。「この変更はハンプシャーやケントなど他のイギリスワインを高品質ワインから排除する意味ではなく、このPDOによって消費者がSussex Wineを手に取ったときに、そのワインの産地が見えるだけでなく品質も保証される事に他ならない。この承認は今後近い将来のイングランドとウェールズの新たなPDOへの大きな一歩だ。」
品質水準を高める取り組み
最後に、イギリスワイン業界の発展を陰で支えるWineGBの取り組みについて触れます。世界中のワイン生産国、又は生産産地の多くがそれぞれのコンソーシアム(共同事業体)を組織しており、イギリスのそれがWineGBに当たります(例えば他に、オーストラリアのWine Australia、南アフリカのWines of South Africa(WoSA)など)。
コンソーシアムはその産地全体の戦略的プロモーション、研究開発、そして教育トレーニングなどの取り組みを通し、業界発展に向けて活動を行っています。WineGBの活動内容の中で私自身とても印象的だったのが、業界全体の品質向上を目指した教育分野でした。コロナ禍での外出規制時にはワイナリー向けウェビナーが会員ワインメーカーにより頻繁に開かれ、リッジビュー(Ridgeview)のマット・ストラグネルやハッティング・ヴァレー(Hattingley Valley)のエマ・ライスなど数多くのベテランワインメーカーが惜しげもなく自分たちの知識、技術を細部に亘って公開していました。近年イギリスワインの品質が向上した理由の一端を垣間見られた取り組みでした。
シャンパーニュやフランチャコルタなど、市場には幾多の素晴らしいスパークリング・ワインが存在します。そんな中ワインショップの陳列棚に、オンラインストアのおすすめポップに、あるいはレストランのワインリストに、見慣れないEnglish Sparkling Wineがもしも並んでいたら。このコラムが少しでもそんなワインに手を伸ばすきっかけとなり、まだ見ぬお気に入りの発見のお手伝いになりましたら幸いです。
織田 楽(Raku Oda)
The Fat Duckソムリエ
1981年生まれ。愛知県豊田市出身。
代官山タブローズ(東京)、銀座ル・シズエム・サンス(東京)での勤務の後、2010年渡英。ヤシン・オーシャンハウス(ロンドン)ヘッドソムリエを経て、2020年よりザ・ファット・ダック(ロンドン郊外)にてソムリエとして従事。同レストラン、アシスタント・ヘッドソムリエとして現在に至る。
インスタグラム @rakuoda
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