未来へ託すブドウ栽培を考える(ソムリエ 織田 楽さん寄稿)
「Firadis Wine Column プロ」にて今年春よりコラムを寄稿させていただいております織田楽です。前回まではイギリスをテーマに前後編でお届けしました。この回より、ブドウ栽培、ワイン醸造、またワインビジネスをテーマに掲げ、ワインを取り巻く世界を一緒に探っていけたらと思います。このコラムが皆様にとって少しでも新しい気付きのきっかけになりましたら幸いです。
環境への配慮や持続可能性の重要性が叫ばれる今日、ブドウ栽培においても畑での取り組みを今一度考える時期に差し掛かっていると言えます。従来型農法とも呼ばれる慣行農法(conventional viticulture)は化学肥料と合成農薬の使用に頼りながらブドウ畑を管理し、安定した収量確保と労働力の削減を可能としてきました。しかし、富栄養化*や土壌汚染が懸念されるという側面が問題視されています。
*海・湖沼・河川などの水域で、水中の栄養塩(窒素化合物やリンなど)が増え、貧栄養状態から富栄養状態へと移行する現象。富栄養化が進んだ過栄養状態の水域では、赤潮や青潮などの現象を二次的に引き起こす為、富栄養化は公害や環境問題として認識されている。
化学肥料や合成農薬に頼らない有機農法(organic viticulture)は環境に配慮した取り組みの一つです。2021年のOIV(国際ブドウ・ワイン機構)の調査報告によると、有機農法認証済みブドウ畑は全世界で2005年から2019年まで年平均13%ずつ増加しています。ただし、総面積で換算すると依然としてその割合は全体の6.2%に留まります。バイオダイナミック農法やIPM(integrated pest management 総合的病害虫・雑草管理、又はリュット・レゾネ)も選択肢として取り組まれており、また近年、再生可能なブドウ栽培(regenerative viticulture)やアグロエコロジー(agroecology 農業生態学)がワイン業界全体でも注目されています。
今回は、従来型の利点を生かしながらも、環境負荷を軽減し未来の世代に託せるブドウ畑管理について考えていきたいと思います。
慣行農法がもたらしたもの
先ず慣行農法の歴史について少し触れましょう。始まりは約100年前に遡ります。19世紀末にリン、そして20世紀に入り窒素主成分であるアンモニアの大量生成が可能となり、本格的に化学肥料が生産されるようになります。ベト病やウドンコ病への対策として硫黄やボルドー液の使用は19世紀には既に一般的なものでしたが、合成農薬も20世紀に入ってから普及していきました。その始まりはDDTやBHCなどの合成殺虫剤で、これらは害虫による作物被害を大幅に改善させました。こうして20世紀半ばに進められた「緑の革命」で慣行農法は世界的飢餓の回避に多大な貢献をするのです。
ブドウ栽培においても慣行農法の利点は安定収量と労力の効率性にあります。しかし、徐々に化学肥料と合成農薬による歪みが各所で現れるようになりました。これらの問題提起が慣行農法と向き合うきっかけでもあります。
栄養素管理 − 化学肥料について
化学肥料は従来の家畜糞など自然由来に頼っていた土壌への栄養素補給を、より簡単により即効性を持って行えるようにしました。
しかし、化学肥料の使用は簡単に栄養素を与えられる分、適量を安易に越えて撒かれてしまう事があります。このようなブドウ畑では樹勢が強くなり過ぎてしまう可能性があり、不制御に発達しすぎた枝葉は畑の空気循環を妨げ、ベト病などカビ由来の病気のリスクを高めてしまいます。
イギリスのワイン科学者ジェイミー・グッドは新書「The New Viticulture」の中で、ニュージーランドのワイナリーが行った化学肥料の有無による比較実験を紹介しています。施肥を行わなかった区画ではブドウ樹の樹勢が収まり、むしろ除葉作業が軽減されたと報告されており、またある年では果房が小さく密ではなかった事によりボトリティスの発生率も低かったと述べられています。過剰な栄養素補給はブドウ畑での不必要な作業をもたらし、そしてブドウの品質にも影響を与えてしまうのです。
更に、地域規模で考えると過剰に撒かれた栄養素は畑のみでは消化されず、降雨により近隣の河川や湖に流れ出てしまいます。それらが各地で問題となっている富栄養化、有害藻類ブルーム(HABs)の原因になる可能性があることは知っておくべきでしょう。
カビ防除 − 合成農薬(防カビ剤)について
カビ由来の病気対策はどのような農法を取るにせよ必須の項目です。有機農法でも使用が許可されているボルドー液はベト病対策で古くから使われていますが、その主成分の銅が土壌汚染に繋がる点を忘れてはいけません。
EUは2019年より銅の使用許可量をこれまでの年間6kg/haから4kg/haに引き下げています。バイオダイナミック農法を採用するアルザスのオリビエ・ウンブレヒトも自身の使用上限を3kg/haとしています。ただし、同じ散布量だとしても有機生物が活発で健康な土壌の方が銅の分解力が高い点は栽培管理の観点からも考慮しなければならないと付け加えています。
合成農薬の使用に対する考え方は地域又は個人によって様々ですが、有機農法一辺倒になりすぎる事で却って危険が生じる場合もあります。マールボロのワイナリー、ブランク・キャンヴァスを営むマット・トムソンは「有機農法が常にベストとは限らない。天然由来でも危険性が高いものもあれば安全性が示されている合成農薬もある。また有機農法は散布回数が増えるので不必要な広範囲に農薬の影響をもたらす可能性を忘れてはならない。」と警鐘を鳴らしています。
実際に、シャンパーニュのブロカール・ピエールは2015年に完全な有機農法に転向しましたが、2017年にそれを止めています。有機農法の方が農薬の散布量が増えてしまったからです。「2017年は8回の散布(有機ボルドー液4回と少量の化学農薬4回)を行なったが、散布量は有機農法時の40%に抑えられた。」と述べています。
これらはIPM(integrated pest management 総合的病害虫・雑草管理、又はリュット・レゾネ)の考え方の一つで、化学的防除も場合によっては選択肢となります。有機農法で成功している生産者ももちろんたくさんいます。ただし、必ずしも一つの成功例が他所で当てはまる訳ではない点は考慮する必要があります。
雑草管理 − 合成農薬(除草剤)について
ブドウ畑の雑草管理にどう向き合うかはワイナリーにとって重要な課題です。先ずワイナリーが畑から雑草を除去しなければならない最大の理由に収量確保が挙げられます。生存競争相手である雑草が水分と養分を吸収することでブドウ樹が取り込む分が減り、収穫量が減ってしまうからです。効果的にそして効率的に雑草除去を行う除草剤の利点がここにあります。
しかし、除草剤の使用に関しては各所で懸念の声も上がっています。土壌細菌への悪影響、土壌中の金属キレート化*によるブドウ樹の栄養失調、そして人体への有害性などが懸念事項として挙げられます。
*殺虫剤の持つ成分が土中のミネラル(カルシウム、マグネシウムなど)と結合し、分解吸収できない構造にしてしまう作用を金属キレート化と呼ぶ。その結果、ブドウ樹にとって成長に必要なミネラルの取り込みが阻害されてしまい、病原菌に対する防御機能の低下を引き起こす事が報告されている。
この様な懸念材料がありながらも除草剤の削減には大きな障害があります。シャンパーニュでは2025年までに除草剤の完全禁止を掲げていましたが、現状、目標の達成は難しいと声明を出しています。シャンパーニュでは除草剤の使用を止めると収量が最大15%減少すると言われています。政府は除草剤を使わない有機栽培ブドウに補助金を出していますが、シャンパーニュの様に高収量を見込む産地では15%の減少分をそれだけでは補えないのです。このため除草剤不使用に踏み切れない生産者が存在し、有機認証を受けた生産者数は全体の34%に留まります。
持続可能性の観点からも、より高い収益を求めることはもちろん重要です。ただし環境配慮との折り合いをどうつけるのかは各自が考えるべき議題ではないでしょうか。
表土管理 − 環境との共存
一方で、現在は除草剤をできるだけ使わずカバークロップとして雑草を畑に残す方法も広く知られるようになりました。ただし、このカバークロップも適切な処理をしなければ、収量の削減以外にも畑の湿度が上がってしまいカビ由来の病気を引き起こすことがあります。
この対策として、刈り込みや牧草として家畜放牧(羊や鴨など)による除草作業以外に、土起こし(耕起)が広く一般的に行われています。しかし、現在この耕起が見直されようとしています。近年注目される再生可能なブドウ栽培の原理原則でもある「不耕起栽培」の考えです。
耕起は土中のミミズや微生物を外気に触れさせ弱体化させてしまう以外に、土中炭素を空気中に放出させてしまう、言わばカーボンフットプリントの増加を促してしまうのです。アデレード大学の研究でも耕起を行わずにカバークロップを残した畑では土壌有機炭素が23%高かったと報告しています。また、スペインのワイナリー、トーレスはこのカーボンフットプリント削減を理由にカバークロップの処理は刈り込みで行い、雑草自体は掘り起こしせず残しております。結果、1-3t/haの二酸化炭素を土壌中に確保できると述べています。
更にモノカルチャーからポリカルチャーへ戻し、ワイン畑全体で生態系を整える考え「アグロエコロジー」も広まりつつあります。サンテミリオンのシュヴァル・ブランは正にそのパイオニアです。ブドウ樹以外の草木を植え、耕起を行わない通年のカバークロップで畑は覆われています。技術責任者のピエール・オリヴィエ・クルーエの言葉はその理念を端的に表しています。「もし何もしなければシュヴァル・ブランの味わいは変わってしまうだろう。気候が変わり、アルコールは上がり、タンニンは乾き、フルーツは過熟する。もし何も(シュヴァル・ブランの味わいを)変えたくないのなら、シュヴァル・ブランは全てを変えなければならない。」
その土地々々の気候や環境によって最適と言われる方法は千差万別です。ただし、私たち消費者も含めてそれぞれが未来の世代の事を少しでも考えられたら・・・。きっとブドウ畑での取り組みはより良い方向に進んでいくはずです。
織田 楽(Raku Oda)
The Fat Duckソムリエ
1981年生まれ。愛知県豊田市出身。
代官山タブローズ(東京)、銀座ル・シズエム・サンス(東京)での勤務の後、2010年渡英。ヤシン・オーシャンハウス(ロンドン)ヘッドソムリエを経て、2020年よりザ・ファット・ダック(ロンドン郊外)にてソムリエとして従事。同レストラン、アシスタント・ヘッドソムリエとして現在に至る。
インスタグラム @rakuoda
前回の記事はこちら:
前々回の記事はこちら:
-
前の記事
フィラディス ワインリスト研究 第5弾 後編 ~ O2 大竹智也ソムリエ & L’AS 光武聡ソムリエ ~ 2023.11.02
-
次の記事
ブドウ樹の病害と新しい対策について <中編>―カビ病、細菌病、ウイルス病― (仕入れ担当 末冨 春菜) 2024.01.09