マスター・オブ・ワイン - 世界最高峰ワイン資格の難解さに触れる (ソムリエ 織田 楽さん寄稿)
2024年11月5日ロンドンのヴィントナーズホールにてマスター・オブ・ワイン(MW)合格者アワードセレモニーが行われました。今年は新たに10名のMWがその峻険な頂の登攀を家族友人等が見守るなか盛大に讃えられました。
MWは世界最高峰ワイン資格と評され、その合格者数は第1回試験の1953年より現在までの70年間で未だ500名弱に留まります。現役では421名(2024年11月時点)が世界30カ国のワイン業界で活動しています。これまでの合格者には名だたるワインプロフェッショナルが名を連ね、ジャンシス・ロビンソン女史、ジャスパー・モリス氏、故ジェラール・バッセ氏などが挙げられます。
このワイン資格に日本在住者では東京拠点(当時)のネッド・グッドウィン氏が2010年に初めて合格しました。日本人ではこれまで2名がその峻岳を上り詰め、前回合格者は2015年の大橋健一氏です。
インターネットの活性化による情報へのアクセスの手軽さ、世界各地への渡航利便性の向上、物流の発展による各国ワインの入手し易さなど、試験対策環境は向上しています。しかし、同時に出題範囲も拡大し続け、また出題分野も多岐にわたるため、その合格率は数十年前とさほど変わっていません。大橋氏に続く日本人MWの後進も、更なる吉報を待ち続けまもなく10年が経とうとしています。
筆者自身も挑戦を始めた2019年より早5年が経ちますが、暗中模索の中、未だ先の見えない道半ばにいます。今回はMW試験の難解さをその試飲試験に当たるプラティカル試験(以下、MWプラクティカル試験)にフォーカスして紐解きたいと思います。
マスター・オブ・ワインとは
マスター・オブ・ワイン(MW)とは、70年前にイギリスのワイン商向けに発足したマスターズ・オブ・ワイン協会が認定するワイン資格です。現在この資格試験は世界のワイン業界にて広く周知されています。
Wine and Spirit Education Trust(WSET)のLevel 4 Diplomaまたはワイン栽培醸造学の学位取得が申請条件とされ、毎年入学試験を突破した100名弱の候補生がプログラムに参加します。候補生たちは始めにステージ1の昇級試験(S1A)の及第を求められます。そして昇級後のステージ2にて、通称MW試験と呼ばれる試飲試験に当たるプラクティカル試験と論文式筆記試験のセオリー試験にそれぞれ5年以内に合格する必要があります。最後にステージ3にて各々が独自のテーマを調べ上げる10,000文字のリサーチペーパーが受理されたのち、晴れてMWの称号が与えられるのです。
MWプラクティカル試験
超難関と言われるMW試験ですが、特にそのプラクティカル試験の合格が至難の業です。平均合格率がそれを示しており、セオリー30%に対し、プラクティカルは13%(2023年データより)です。全世界から選抜された精鋭たちが準備に準備を重ねて挑んでも8人に1人しか受かりません。
試験方法は2時間15分での12種のブラインドを英語での記述式で解答します。ワイン1種に掛けられる時間は11分、解答の記述時間を考慮するとテイスティング自体には長くて2分しかかけられません。2口以内に判断しなければ間に合わない計算です。S1Aではこれを1日課せられますが、MW試験では3日間行われます。1日目にPaper 1と呼ばれる白ワイン12種、2日目に赤ワイン12種のpaper 2、最終3日日にスパークリングやロゼ、酒精強化など全スタイル対象内のpaper 3を実施します。高い集中力と精神力の維持が求められることが容易に想像できるかと思います。
公表されている今年2024年の試験内容を参考にしながら、プラクティカル試験を掘り下げてみましょう。
論理性と説得力
先ずその難解さを紐解く上で理解すべき点は、MW試験では解答に論理性が求められる事です。JSAソムリエ試験、コート・オブ・マスターソムリエ(CMS)やWSETなど他のワイン資格ではワイングラスから読み取れる要素(アロマ、酸味、ボディ、タンニンなど)のテイスティングコメントが正しければその記述毎に加点されます。しかし、MW試験ではそれらの要素がどのような結論を示すのか演繹的推論を用いて解答を進めていく必要があります。
産地を問われた際には以下の様な解答方法が一例です。「熟した黒果実香、穏やかな酸味、14.5%abvから温暖な気候の産地と推測する」。ある産地の核心を裏付ける絶対的根拠がない限り大きな括りから議論を始め、ここから徐々に結論に絞っていくイメージです。品種を答える問題でも同じことが言えます。可能性があるものを大きく括り、そこから解答を更に絞り込んでいきます。「桃やリンゴなど香り高い果実香、高い酸味、8g/Lの仄かな残糖からアロマティック品種、特にリースリング又はシュナン・ブランが考えられる」。
この際にとてもMWらしいと思うところが、品種を問われている設問で決して外観から話を進める必要がない点です。むしろ明示しなくてもいい場合もあります。淡い黄色調の白ワインではその外観は品種特定に関してはあまり大きな根拠を含んでいません。それよりも先ず話を進めるべきは、その品種特性を示している要素(果実香の種類や酸味など)です。この感覚に適応する事はMW試験に対応するための一歩と言えます。
ワインを“当てる“試験ではない
MWプラクティカル試験は決してワインを“当てる“事が目的ではありません。仮に当てるという定義が品種、産地、そしてヴィンテージを導く事だった場合、これらはそのワインのある側面を捉えているに過ぎないという事です。
MW試験で重視される別側面として品質評価が挙げられます。品質評価の一例として以下の問題が今年出題されました。「同一単一品種で造られた白ワイン2種類。その共通品種を述べよ。品質並びに現在の熟成度合い、そして今後の熟成の可能性を比較対比せよ。最後に、それぞれの産地を述べよ」。出題ワインはルイ・ジャド、コルトン・シャルルマーニュ 2019とオーストラリアのイエローテイル、シャルドネ2023でした。点数配分は品質評価と産地の設問で同配分です。そのため品質評価の観点では、一つ目のワインをブルゴーニュと導いてもグランクリュレベルではなくACブルゴーニュやマイナー村名レベルと答えてしまった場合、高得点は厳しいです。片や、推論の結果ソノマやオレゴンなどと産地を誤ってしまったとしても、クオリティの高さからその産地のトップクラスの品質と解答を進めた場合の方が点数は高いかもしれません。また、イエローテイルとの品質比較を明瞭に行えなければ、例え2つ目のワインをオーストラリアと解答しても加点には繋がらないと思われます。
WSETも品質評価を重視するワイン資格ですが、ソムリエ試験では全般的に品質評価はあまり重きを置かれていません。これはMWやWSETが歴史的に品質鑑定能力の優れたワイン商を発掘する目的だったため、その資格制度の成り立ちも大きく影響を受けています。ソムリエ資格保持者の方が今後MWを目指す際は品質評価への対応は重要な項目と言えます。
基礎知識は必須、更に世界の潮流を抑える
「プラクティカル試験はテイスティング要素の付随したセオリー試験だ」。個別指導をしていただいたMW保持者に念を押すように言われました。試験ではテイスティング能力に裏打ちされた推論展開力が試されるが、それを支えるための幅広い知識も必要だという教えでした。この点は他のワイン資格とも共通する分野です。「カオールの第一補助品種は。リオハ・グランレゼルバの最低熟成年数は。」瞬時に出てこなければ時間内に説得力のある解答を導く事は難しいです。
また国際品種が造られる世界主要産地の潮流を抑える必要もあります。今年の出題問題の中に同一単一品種で造られた赤ワイン5種類の設問がありました。世界各地*からのピノ・ノワールでしたが、5種類ある同一品種の共通性から品種特定はさほど難しくないと思います。しかし、その後に続くそれぞれの産地を述べる問題、更に気候と醸造テクニックが品質とスタイルに与える影響を述べる問いがこの設問の核でした。気候の違いが品質とスタイルに大きく影響を与える事は周知のとおりですが、醸造テクニックも然りです。ピノ・ノワールの醸造工程として、例えば、全房発酵の有無、発酵温度、醸し期間や抽出方法、そして熟成容器の選択とその期間など、これらの違いがもたらす風味や味わいの特徴を頭に叩き込んでおく必要があります。
こうした世界中の産地の最新ワインスタイルを抑える事は、ロンドン、ニューヨークや東京など国際市場都市をベースにしている候補生にとっては、労力さえ惜しまなければ、比較的苦労は少ないように思われます。ワイン自体のみならず世界中からワイナリー関係者も訪れるため意見交換の場も頻繁にあります。ですが、流通市場の殆どを自国ワインが占めるワイン産出国やワイン文化発展途上国ではこのような世界中の先端情報に触れる機会は非常に困難です。筆者と同時期にプログラムに参加していたトルコやカナリア諸島からの候補生たちがロンドンに来た際はこぞって世界傾向に敏感なワインショップやワインバーに足を運んでいた事がとても印象強く残っています。
*産地はブルゴーニュ(サヴィニ・レ・ボーヌ)、ナイアガラ・ペニンシュラ、バーデン、ロシアン・リバー、セントラル・オタゴでした。
正確なテイスティング能力を磨く
テイスティング能力が高いレベルに保たれていなければ、深めた論理性や知識を活かすことができません。この点も他のワイン資格と共通する重要能力でしょう。
正確にワインの構成要素(糖度、酸味、タンニン、ボディ、アルコール度数など)を捉えられなければ、自ずと結論は変わってきてしまいます。例えば、ヴァルポリチェッラと思わしき赤ワインを目の前にした際、アルコール度数を14%か、はたまた16%かと捉えるのではその結論は良く造られたリパッソか残糖低めのアマローネで変わってくるでしょう。
特に、糖度とアルコール度数の正確性が結論に大きく影響するのが甘口ワインや酒精強化ワインです。ただし、正確なテイスティング能力と共に主要甘口ワインの糖度とアルコール度数の一般的数値の網羅も必要となります。どちらかが欠けても結論には辿り着けません。
テイスティング能力は日々の鍛錬を怠れば、繊細な感知力が鈍ってしまいます。テイスティング能力を磨く機会は勤め先企業が提供する試飲環境や所属するワイン学習コミュニティの特性などにより千差万別です。ただし、いずれにせよ個人でのワイン購買も必須といえます。コラヴァンで試飲したワインで自宅一室の床一面が覆われている候補生にも出会いました。試飲ワインに掛かる金額コストもその難しさの一端だと実感します。
英語でのコミュニケーション(対話)力
試験とは準備した知識を答案用紙を介して採点者に伝えるコミュニケーション(対話)です。MWプラクティカル試験では英語での解答が必須のため、その対話作業を英語で行う必要があります(セオリー試験は母国語可)。難しい英文法を使う必要はありませんが、相手に意図が伝わる端的な英語構文は必須です。
また、酸味やタンニンのテクスチャーやストラクチャーをそれぞれ適した形容詞で表現する必要があります。この点はHigh又はLowでの解答で十分であるWSETなどとは異なる部分でしょう。テクスチャーに関しては日本語では多くが擬音語で形容される事を多いですが(すべすべした、ざらざらした、など)、ストラクチャー表現も含めて英語ではこれらを形容詞で表現しているイメージです。その多さに当初は筆者も驚きを覚えました。以下に一例を挙げます。ギザギザしたjagged、直線的なlinear、鋭いsharpなどを酸味表現に使いますし、野暮ったいrustic、筋骨質なmuscularなどはタンニン表現に使います。感覚を表す言葉なので、実際に自分がワインから感じた感覚とその単語が合致していなければ、なかなか自分の言葉として使いきれません。日常のテイスティングの際から意識する必要があります。
また、MW試験は全科目を通して模範解答が公表されていません。マスターズ・オブ・ワイン協会は教育機関ではなくプロフェッショナル集団であり古くはギルド組織です。難解な試験を通して同志を集っていると言います。「本を読める者ではなく、本が書ける者を求める」と言われます。切迫した時間制限の中でどの様に自分の知識とテイスティング力を整然と表現するか、その対話力を見られているのかもしれません。
MWプラクティカル試験では各能力がどれも高いレベルに押し上げられた総合力が試されています。それは決して、テイスティング能力だけでは太刀打ちできませんし、知識のみでも然りです。プログラムに参加すると仕切りに耳にする言葉「“Taste like a detective and argue like a lawyer.” 探偵の様に試飲をし、法律家の様に議論せよ。」が正にその真髄を物語っている様に感じます。同試験にて結果を残していない筆者が大それた事を書き綴る事に躊躇いも感じましたが、今後この峻岳を目指す日本の方々に少しでも参考にしていただけたら幸いです。
織田 楽(Raku Oda)
The Fat Duckソムリエ
1981年生まれ。愛知県豊田市出身。
代官山タブローズ(東京)、銀座ル・シズエム・サンス(東京)での勤務の後、2010年渡英。ヤシン・オーシャンハウス(ロンドン)ヘッドソムリエを経て、2020年よりザ・ファット・ダック(ロンドン郊外)にてソムリエとして従事。同レストラン、アシスタント・ヘッドソムリエとして現在に至る。
インスタグラム @rakuoda
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