Comte Georges de Vogue(コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエ)

コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエはシャンボール・ミュジニーの象徴的なドメーヌである。それは単に歴史が深いからというだけでなく、Musignyの70%を所有し、さらにBonnes Maresにおいても最大所有者として君臨する圧倒的なポートフォリオにある。ブルゴーニュのみならず世界中で称賛されるヴォギュエのワインは、熟成とともに幽玄の美が堪能できる。

 

歴史

ドメーヌの歴史は1450年にまで遡ることができ、現ラベルに記載されているコント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエが当主となったのは1925年のことである。その後、1960〜80年代にかけてワインの品質が低迷したが、1986年にフランソワ・ミエがワインメーカーに就任したことで状況が一変する。さらにその10年後にエリック・ブルゴーニュが栽培責任者に就任したことでヴォギュエの品質を守る無敵のタッグが誕生した。フランソワは完璧主義者として知られるが、それはMusignyであっても樹齢25年以下のブドウは全て1erクリュに格下げする容赦ないエピソードが裏付けている。デカンター誌のインタビューでなぜ25年なのかと問われた際、それがテロワールの偉大さを表現できるようになるまでに必要な時間だからだとフランソワは答えている。「いくら上質のブドウであっても若木は若木です。それは才能に恵まれた聡明なティーンエイジャーのようなもので、経験が足りないのです。複雑さがあるかどうかが重要なのです。シャンボール1erはショートパンツを履いたミュジニーなのです。」

物静かで哲学的な人物としても知られるフランソワは保守的に見えるかもしれないが、意外にも2015年からブルゴーニュ以外でのワイン作りに参加している。ニュージーランド・オタゴの生産者Prophet’s Rockとコラボしたワインは業界でも大きな話題を呼んだ。さらにその2年後、二人の息子とともに自身の名を冠したFrancois Millet et Filsをスタート。そして2020年、この年の醸造を最後に30年以上に渡るキャリアに終止符を打ち、ヴォギュエのワインメーカーを引退した。フランソワの後任に抜擢されたのはニュイ・サン・ジョルジュのDomaine Decelleでワインメーカーをしていたジャン・ルパテリで、2021年が彼のファーストヴィンテージとなる。

 

畑はシャンボール・ミュジニーに12.5haを所有。このうち7.2haをMusignyが、2.7haをBonnes Maresが占めている。1er の筆頭格であるLes Amoureuses (0.56ha)は、GroffierとDrouhinに次ぐ3番目の規模を所有している。ヴォギュエの区画はほとんどが南端にあり、Roumierの区画と隣接している。これに加えて1erはBaudes(0.13ha)とFuees(0.14ha)を持つが、贅沢にも両者ともに村名にブレンドされる。ヴィラージュは1.8haの畑を所有する。

シャンボールの象徴である特級畑Musignyは、全体を大きく3つに分けることができる。北部にあるLes Musigny、真ん中にあるLes Petite Musigny、そして南部(もとはLa Combe d’Orveauの一部だった区画)である。このうち真ん中の区画がヴォギュエのモノポール(4.19ha)となり、さらにLes Musignyの約50%(2.9ha)も所有している。2区画にまたがって所有するのはヴォギュエのみであり、ここから3種類のワインが生まれる。樹齢25年以上のMusigny V.V.、25年に満たない若木のChambolle Musigny 1er、そして最後はシャルドネ(0.6ha)が作る白ワインである。このシャルドネは1993年を最後にMusigny Blancを名乗らなくなったが、その理由はブドウの半数が1986年に植え替えられたことにある(残りも1997年に植え替え)。・ノワール同様にフランソワはMusignyとして生産するには樹齢が若すぎると判断し、Bourgogne Blancの名でリリースしたのである。1994-2014年までこの格下げ期間が続き、2015年から平均樹齢が上がったためにMusigny Blancを復活させた。

Bonnes Maresに関しては、ヴォギュエの区画はほとんどが斜面中央〜下部(南東の一角)に広がっているが、さらに小区画を2つ所有する。一つはメイン区画の延長線上にあり、土壌はともに粘土が豊富な赤土(テール・ルージュ)となる。もう一つは斜面の最上部(南西の角)にあり、白いマール土壌(テール・ブランシュ)となる。Bonnes Maresはよりワイルドで豊かで広がりがあり、タンニンのストラクチャーが顕著に出るとフランソワはいう。「Musignyとは正反対です。」この理由はBonnes Maresの母岩にある。Bajocianと呼ばれるこの石灰岩はシャンボールではBonnes Maresのみに見られ、そのまま地続きでモレのClos de TartやClos des Lambreysを通りChambertinまでつながっている。このため他のシャンボールのキュヴェとは性格が異なり、「非常に直接的でストレートに向かってくる」とフランソワは説明する。

 

栽培

厳格な有機栽培というわけではないが、ほぼオーガニックなアプローチが取られている。原則的にケミカルは使用しないが、必要に迫られれば最小限を使用して病害菌を対処する。

 

醸造

フランソワと後任ジャンの時代ではそれぞれに違った特徴が見られる。フランソワの時代はまず基本的に完全除梗する。彼は自然酵母によるゆっくりとした発酵を好み、発酵温度が33度を超えることはなかった。抽出は控えめで、年によっては一切ピジャージュをしないこともあった。定型的なワイン造りを嫌うフランソワは、テロワールとヴィンテージの状況にあわせてワイン造りをしなければならないというスタンスだった。彼はまたセラー内の空調を下げてマロラクティック発酵の開始を翌年の春頃まで延期させ、フレッシュさキープした。ラッキングは一回のみで、新樽が1/3以上使用されることはなかった。

一方、ジャンはまず収穫用のかごのサイズを小さくした。これによってブドウは圧力ダメージが少ない状態でセラーに運ばれるようになった。また選果台を新調し、マストの移動をポンプ汲み上げ式から重力フロー式に変更した。ブドウへの負荷が減ったことで果汁全体のクオリティが向上した。そして、最大の変化とも言えるのが全房の使用である。現在、全ての赤ワインで50%程の全房が使われており、フランソワの除梗スタイルとは大きく異なっている。またマロも以前より早く開始されるようになった。新樽率は変わらずに30%前後となっている。

 

味わい

憧れのヴォギュエのワインを飲んで、硬くて無愛想だ・・・と感じた人は少なくないだろう。次こそはとリベンジを意気込んでセラーで瓶熟させたヴォギュエを抜栓し、まだ硬い・・・という苦い経験を繰り返した人も少なくないだろう。同じシャンボールでもRoumierやMugnierの方が比較的早く開くことが多いのに対し、ヴォギュエのワインは時間がかかる。フランソワ時代の若いワインはこの傾向が顕著で、WAでも「無口で硬く、評論家泣かせ」というコメントが見つかる。

たしかに若いワインはタンニンの硬い質感と鋭い酸に岩っぽいミネラル感が重なって険しさにつながっている。またヘビーな重さはないのに果実の濃度が非常に高く、全体的な液体の深度が高い。水深があるため若いヴィンテージでは水面をすくっているようで何もつかめずに虚無感が残る。水位を下げる、あるいは深部に眠る本体を浮上させるには瓶熟しかなく、時間を経て初めてその本質に触れられるというのがフランソワのワインである。

一方で、ジャンの味わいは開放という言葉がふさわしい。全房の使用に加え、ブドウの扱いが丁寧になったことで果実はよりデリケートになり、タンニンのストラクチャーはエレガントになった。チェリーやラズベリーなど赤寄りの果実やバラのアロマが前に出てきたことで軽やかさが生まれた。フレーバーのコアにある凝縮した赤系果実の甘みは若いうちからでも比較的感じやすく官能的な印象を与えてくれる。全房由来のフレッシュに加え、バラのフローラルさと塩気のミネラルがトーンの高いフィニッシュを演出している。

 

 

 

 

 

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