Didier Dagueneau(ディディエ・ダグノー)
ロワールのソーヴィニヨン・ブランの概念を根底から覆し、品種の限界を押し広げることに成功したディディエ・ダグノーを、人々は伝説と呼ぶ。
目次
歴史
ブドウ農家に生まれたディディエだが、若かりし頃はワイン造りではなくサイドカーレーサーとして仕事をしていた。ある時期立て続けにクラッシュ事故に巻き込まれたため引退を決めるも、今度は新しく犬ぞりレースに夢中になっていた。しかし最終的に自分のワインを作ることを決意し、1982年にプイィ・フュメのサン・タンドラン村にドメーヌを設立した。周囲の同業者とは異なり父からワイン造りを継がなかったディディエは、独自のやり方を作り上げていかねばならなかった。そこで彼は当時プイィ・フュメで常識として行われていたブドウ栽培・ワイン醸造を真っ向から否定した。シャンパーニュのジャック・セロスは「アンファン・テリブル(恐るべき子ども)」と呼ばれたことで知られるが、プイィ・フュメではディディエがこの名で呼ばれていた。というのも、当時の常識であった慣行農法を行う近隣のワイナリーたちを堂々とストレートに批判していたからである。ディディエは畑の環境的要素がワインの味わいに大きく影響するというテロワールのコンセプトを強く信じており、この地の常識とは相容れなかったのである。
初ヴィンテージの彼のワインは従来のイメージを根底から覆す味わいとなった。それまでのプイィ・フュメは高収量+機械収穫、ステンレスタンクで発酵した線の細いひ弱なワインで、草っぽいフレーバーと鋭い酸がトレードマークであった。しかしディディエは低収量と手摘みの収穫にこだわり、樽発酵・樽熟成を取り入れ、見事なストラクチャーと長熟ポテンシャルを持つワインを作ったのである。プイィ・フュメの異端児がブルゴーニュさながらの手法で作り上げたソーヴィニヨン・ブランはそれまでのイメージに大きな風穴を開けた。ボルドー大学教授であり著名なコンサルタントであった故ドュニ・デュブルデューはディディエを「同世代で最も偉大なワインメーカーの一人」と大絶賛した。その後、2000年に入るとサンセールにも畑を購入し、2002年からは友人ギィ・ポトラとともにジュランソンでLes Jardins de Babyloneの名でサイドプロジェクトをスタートした。
ところが、2008年9月におきた飛行機事故によってディディエは帰らぬ人となってしまう。52歳というあまりにも早い彼の死にワイン業界は深い悲しみにつつまれ、残されたディディエの息子バンジャマンも途方に暮れた。当時彼はまだ26歳だった。偉大な父の功績を継ぐことができるのかという周囲の心配とは裏腹に、彼のファーストヴィンテージ(2008年)とセカンド・ヴィンテージ(2009年)はお見事としか言いようがなく、ディディエのものと全く遜色なかった。WA誌は彼に大きな賛辞を送った。しかし10歳から畑で働き始めて父とともにテイスティングをしていたベンジャミンにとっては、当然のことだったのかもしれない。2004年に実家に戻ってくるまでモンルイのフランソワ・シデーヌやラングドックのマス・ジュリアンで修行した彼はワインを深く学んでいた。
現在ベンジャミンの作るワインはサンセールを除いて全てVin de Frnaceのカテゴリとなっている。ブドウは全てプイィ・フュメのアペラシオン内で栽培されているものであるにも関わらず、である。この背景には、ワインをアペラシオンのテイスティング審査に提出するも、呼称委員会は規定の味わいにそぐわないと判断し、プイィ・フュメとして認めなかったという出来事がある。これをあまりにも馬鹿げていると批判した彼は、2017年からサンセール以外のアペラシオンを放棄してワインをリリースする事に決めたのである。ディディエが生きていても同じことをするだろうなと思わせるこのエピソードは、まさに「血は争えない」である。
畑
プイィ・フュメのサン・タンドラン村周辺に12haを所有する。大部分が粘土シレックス土壌だが一部でマールも見られる。ダグノーでは現在7つのキュヴェがリリースされている。Blanc etcは複数区画(シレックスとマール)をブレンドして作るエントリーキュヴェで、2017年まではBlanc de Pouilly-Fuméの名で知られていた。Buisson Renardは1.5haの単一区画で粘土が厚く積もっている。2つの小さな森にはさまれたLa Folieの畑(3ha)からはPur SangとAsteroidが生まれる。後者は畑内にあるわずか18列の自根のブドウを使ったキュヴェで、年にわずか数百本しか生産されないレアワイン。ワインメイキングもPur Sangと異なり、一部でガラス製のワイン・グローブが発酵・熟成に使用される。また知る人ぞ知るレアワインとしてClos du Calvaireというキュヴェもあり、石垣に囲われた0.2haの畑から作られる。そしてドメーヌのフラッグシップとなるのが4.5haの畑から生まれるSilexである。さらにプイィ・フュメの対岸サンセールにもLes Monts Damnes(0.6ha)を所有する。
栽培
ディディエが頭角を現す前、プイィ・フュメでは法的な上限を超えた過剰な高収量、多房なクローン、効率重視の機械収穫が当たり前だった。セラーではステンレスタンク発酵を終えたら早めにボトリングするというのが当時のスタイルであった。彼はこれに異を唱え、一石を投じた。全てはテロワールをワインに表現するというたった一つの目的を達成するために、彼は1993年にビオディナミを始め、DRCよりも数年先駆けて馬を使って土を耕し、厳しく収量を制限した。
現在も馬を使って土を耕すのを継続していると言うベンジャミン。除草剤は一切使わず、収穫は分析値ではなく味見をして決めるこだわりがある。「ワインは収穫の時点であるポテンシャルを持っているが、造り手が介入をするごとに、それがドンピシャのタイミングでなければ、そこから何かが失われていく。自然が与えてくれるものをキープするために正しいタイミングで正しい決断をしなければならない。」ディディエはこれを教えてくれたという。
醸造
畑の個性の違いにスポットライトを当てるために、ワインは基本的に全て同じ方法で作られる(Asteroidは例外)。収穫されたブドウは除梗され、空圧式プレスを経て重力フローでタンクへと運ばれる。発酵前に果汁を冷やし、澱引きをしっかりと行う。自社畑からの天然酵母を培養した酵母を使って樽発酵を行う。特注のシガーバレル(320L)とデュミ・ミュイ(600L)を駆使して、澱とのコンタクトを最大化するよう心がけている。フレーバーの付与ではなく、複雑味やテクスチャー、ストラクチャーの向上を狙うため新樽は25%と控える。ラッキングをせずに12ヵ月樽で過ごした後、ステンレスタンクでアサンブラージュをしてさらに8-10ヶ月熟成させる。その後、無清澄で瓶詰めする。
味わい
ダグノーのソーヴィニヨン・ブランは、品種が表現しうる最大限のフレーバーを持ちながらも、プイィ・フュメの個性を見事に引き立たせている。ペッパーミントやイラクサのツンとしたハーブのニュアンス、エルダーフラワーやスイカズラのフローラルさ、パイナップルやネクタリンがもたらす甘み、岩を舐めているかのような清涼感、柑橘の種の苦み、そしてピリッとするスモーキーなフリント香。全てが同時に重なるわけではなく、それぞれが折り重なるように時間とともに表情を変え、フィニッシュはグリッピーな引き締めと塩味を伴う旨味が現れる。前半は力強さと凝縮感が合わさってワックスのようなテクスチャーを感じるも、後半にかけて現れる鋼のような張力は全体を見事に引き締める。この絶妙なコントラストは濃度があるのに唾液を誘うような溌剌さがあるとも言い換えられ、次の一杯へと自然と手が伸びてしまう中毒性がある。
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