Fourrier(フーリエ)
今やRousseauやRoumierに並ぶ人気を誇るフーリエだが、昔からそうであったわけではない。このドメーヌには「V字回復」という言葉を体現するような、どん底からの知られざる逆転劇がある。
目次
歴史
ドメーヌの歴史は1930年代、フェルナンド・ペルノによって幕を開ける。1969年に彼の甥ジャン・クロードが醸造を継ぐと、ドメーヌはPernot-Fourrierに改名され、1982年にペルノが亡くなるとJean-Claude Fourrierになった。もともと機械工になりたかったジャン・クロードはワインへの情熱は全くなかったが、家業を継がねばならず10代のうちからワイン造りをさせられた。1日中畑に出てはいるものの、彼の情熱はブドウ木ではなくトラクターなどの重機に向けられていた。1980年代、そんな彼のもとをロバート・パーカーが訪れた。試飲をしながらワインにもっと新樽を使うように言われたジャン・クロードは、怒りのあまりパーカーをセラーから強制退去させた。この当時のフーリエのパーカーポイントは想像を絶するようなもので、例えば1985 年のClos Saint Jacquesは82点、1986年のGriottes Chambertinに関しては75点という恐ろしく低い点数であった。加えてパーカーはフーリエのセラーを全ブルゴーニュにおいて最もジメッとしていて汚いと書き下ろした。この批判のもたらした被害は甚大で、顧客のほとんどを失うことになった。
ジャン・クロードの息子ジャン・マリーもまた父と同じようにワインへの興味はなかった。ジャン・マリーは17歳という若さでフランス最年少のパイロットに認定される程の腕を持っており、彼の夢はパイロットだった。しかし、やりたいことではなくやらねばならない使命を背負う運命にあったジャン・マリーは、ボーヌの学校で栽培を学び、ディジョン大学で醸造の学位を取得した。その後1988年にかの伝説アンリ・ジャイエとヴィンテージをともにし、翌1989年に父ジャン・クロードとワイン造りをするようになった。ところが、父と子の関係は円満ではなかった。それでもジャン・マリーは1992年までの4ヴィンテージを父とともに過ごした。1993年、彼はオレゴンのDomaine Drouhinでセラーハンドとして働く機会を得たためアメリカへと飛び立った。英語を学ぶという表向きの理由の裏には家から離れたいという思いもあった。もう戻ってこないかもしれないと心配していた父ジャン・クロードは、翌1994年に家に戻ったジャン・マリーにドメーヌを引き渡す決意をした。
しかし、23歳のジャン・マリーが手に入れたのは、パーカーによって評判がどん底まで落ちた「失敗したドメーヌ」であり、セラーには売れ残りが5ヴィンテージ分も山積みとなっていた。ジャン・マリーの最初の仕事は5年間ワインを売るためにベルギーのスーパーに足繁く通うことだった。彼はホテル代を節約するために車で行き、日帰りで戻ってきた。ティム・アトキンMWによると当時1989年の Clos Saint Jacquesは1本5ユーロでオファーされていたという。
これほどの逆境に立たされていても、ドメーヌには希望の光があった。ジャン・クロードのワインをこき下ろした評価誌でさえ、ドメーヌの持つ畑のラインナップを褒めていたのである。加えてそこに植わるブドウのほとんどが第二次世界大戦前に植樹された樹齢の高いもので、高品質な果実を実らせるポテンシャルがあった。畑仕事に全神経を注いだジャン・マリーはこのポテンシャルを最大限に開花させ、どん底から見事なV字回復を成し遂げた。1995年にファーストヴィンテージを皮切りに、そこからひたすら品質を追求し、徐々に名声を取り戻していった。それから数十年が経ち、今やフーリエのワインは30近い国が毎年アロケーションを奪い合い、フランス国内にはわずか5%しか流通しないほど引く手あまたとなった。需要が増え続ける一方で供給量には限りがあり、かといって土地価格の異常な高騰により畑を買い増すことが不可能である状況に憤りを感じたジャン・マリーは、2011年に買いブドウを使ってネゴシアン部門をスタートした。ドメーヌとネゴシアンの両軸で高品質なワインを生み出すジャン・マリーのワインから今後も目が離せない。
畑
10haの所有畑はジュヴレを中心にシャンボール、モレ、ヴージョに広がっている。特級畑はわずか0.26haのGriottes Chambertin。ジュヴレ1erは樹齢100年を超えるClos Saint-Jacques(0.89ha)を筆頭に1er Combe aux Moine(0.87ha)、1er Champeaux(0.21ha)、1er Les Goulots(0.34ha)と渓谷の冷気を受ける畑が続き、1er Les Cherbaudes(0.67ha)は渓谷からやや離れた特級畑のそばにある。父の時代はこれらの畑はブレンドされてGevrey 1erとしてリリースされていたが、ジャン・マリーが継いでからは別々に醸造・瓶詰めするようになった。生産量が最も多いジュヴレ・ヴィラージュは3.5haの畑を所有しており、加えて村名Aux Echézeaux (0.47ha)も持つ。シャンボールには1er Les Gruenchers(0.29ha)、1er Les Sentiers(0.046ha)とヴィラージュ(0.39ha)、 モレには1er Clos Sorbe(0.1ha)、ヴィラージュClos Solon(0.55ha)、そしてヴージョに1er Les Petits Vougeot(0.34ha)を持つ。なお、ごく一部だがシャンボールにある畑のシャルドネを使ってBourgogne Blanc (0.5ha)もリリースしている。
栽培
パーカーがもたらした暗黒時代をいかにして克服したのか。その答えの大部分は畑仕事にある。「畑にいるべきときにパソコンで自分たちのワインの価格をチェックしているブルゴーニュ人が多すぎる」という彼は、ワイン造りの95%は畑にあると信じている。「偉大なワインは畑から」というジャイエの哲学を、できる限り介入を減らすアプローチで体現するジャン・マリーは、芽かきはするがグリーンハーヴェストはせず、除草剤を避けてスプレーは最小限に抑える。また植え替えが必要なときは必ずマッサル・セレクションを行う。彼のブドウのほとんどは第一次大戦と第二次大戦の間に植えられた古樹たちであり、苗木屋が育てたモダンなクローンではなく、もともとこの地に根付くローカルなブドウに強いこだわりを持つ。
収穫に関しても自身のアプローチにゆるぎはない。昨今地球温暖化による気温の上昇によって開花から収穫までの100日ルールを年々短縮するヴィニュロンが見られる中、ジャン・マリーは100日ルールを守る。これはブドウの成熟を糖度や酸度、pHといった数字に頼るのではなく果皮や色素、種やフェノール、フレーバーなど様々な要素の成熟のピークを狙っているからである。一方で、ブドウの熱対策も万全に行っており、収穫は午前中(6時から12時)しか行わず、収穫したブドウは冷却室を使ってクールダウンさせる。
醸造
ジャン・マリーはジャイエでワイン造りを学んだ経験がありながらも、それに盲目的に従っているわけではない。彼の求めるスタイルははっきりしており、それはジャイエのものとは異なっている。この違いが最も顕著に現れているのが新樽率であり、100%であったジャイエに対し、ジャン・マリーはわずか20%しか使わない。彼がドメーヌを継いだ1994年は、パーカー・ムーヴメント真っ只中で、特にジュヴレでは新樽や抽出のトレンドが一世風靡していた。そういった世間のマジョリティーに背を向けるように過度な介入をしない作り手も一部存在し、ジャン・マリーもその一人であった。彼は最初から高い点数を取ることよりも軽やかでフルーティーなスタイルを追い求めた。このスタイルを追求する中で彼は果実の表現力と純度を限りなく高めることに成功し、「フーリエ・スタイル」を世の中に証明してみせたのである。
もちろんジャイエから受け継いでいる部分もあり、除梗が良い例である。ジャン・マリーは1995年に全房30%トライアルを行うも、その結果に満足しなかったため、しばらく完全除梗のスタイルを貫いてきた。しかし、昨今では100%除梗するものの、除いた茎の一部をタンクに戻してブドウと茎のミルフィーユ(層)を作ることもある。茎がアルコール、タンニン、色素を吸収してバランスを取ってくれるので、ピジャージュの頻度やプレス時の圧力を下げることができ余計な介入が減るという。発酵は自然酵母のみを使用し、抽出は手動のピジャージュがメインでルモンタージュはしない。マロラクティック発酵はなるべくゆっくりと長くというのが彼のモットーで、その理由はSO2ではなくマロ発酵由来のCO2でワインを酸素から守るためである。熟成期間中に一切ラッキングをしないのはCO2の飛散を防ぐためだという。16-20ヶ月の樽熟成では新樽20%前後(樽会社はCadusでトーストは軽め)となり、瓶詰め前に濾過・清澄は一切行わない。
味わい
瓶詰め時のCO2量が多いフーリエのワインは若いうちは還元していることが多く、実際にジャン・マリーも現行VTなどはデキャンタを勧めている。しかし一度その還元のヴェールが取れると、ブルゴーニュ・ラバーにはおなじみの「フーリエ香」がグラスから溢れ出す。トーンが高く華やかで、バラやスミレの香水を嗅いでいるかのようなアロマに、ダークチェリーのリキュールを感じさせる芳醇さがある。そこに土とキノコがつくるセイボリーな大地香、ミネラル、ツヤ感が混ざり、渾然一体となってこの特徴的な香りがグラスから溢れる。シャーベットのような見事なフレッシュ感があるのもフーリエの特徴であり、100日ルールに由来する凝縮した甘い果実味があるにも関わらず全く重さを感じさせない。一方この完熟感は柔らかさや滑らかさといった質感にも大きく寄与しており、極めてシルキーな口当たりが感じられる。強豪ひしめくジュヴレの生産者たちの中でもジャン・マリーの果実を際立たせる腕前はピカイチで、フルーツのピュアさをダイレクトに感じることができる。
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