Guigal(ギガル)
コート・ロティに単一畑の概念を持ち込んだことで知られるギガルは、コート・ロティを復活させた最大の功労者であり、現ローヌ地方を統べるエンペラーとして不動の地位を確立している。
目次
歴史
コート・ロティ史上初となる単一畑キュヴェLa Moulineが世に送り出されるはるか昔、この畑は一人の少年の心を掴んで離さなかった。ギガル帝国の創業者エティエンヌ・ギガルである。8歳から働いていたエティエンヌは学校へ行ったこともなく、アプリコットの収穫で賃金を得ていた。当時のコート・ロティは誰からも注目されない場所であったが、幼きエティエンヌはアプリコットを摘みながら段々畑に植わる古いシラーのブドウ木を見つめていた。La Moulineからは良いワインができるという地元民の話を聞くにつれ、彼はいつしかその畑を手に入れることを夢見るようになっていた。
1924年にVidal-Fleuryのセラーハンドの職を得たとき彼はわずか14歳で、そこから無心に働き続け最終的にセラーマスターへと上り詰めた。近所のChateau d’Ampuisでメイドとして働いていた女性と結婚した彼は、その後第二次世界大戦の徴兵を期に一旦ワイン造りから離れることになった。帰還した後、1946年にE. Guigalを設立したエティエンヌは、ブドウよりも他の果物が高値で売買されていた時代にブドウ畑を買い増していった。
ところが1960年代初期にエティエンヌは目の病気にかかり盲目となってしまう。この突然の緊急事態に一人息子マルセルは仕事を継ぐために学校を辞めざるをえなくなった。彼はまだ17歳であった。加えて当時のコート・ロティの評判は無に等しく、同じローヌでも国際的に評価が高まっていたエルミタージュとは大きな隔たりがあった。この状況を根本的に変えるためには品質しかないと感じていたマルセルは世間のイメージを変えるために身を粉にして働き続けた。そして1966年、エティエンヌが夢見たLa Moulineを手に入れたギガル家は単一畑で仕込んだこのワインを世に送り出し、コート・ロティ・ルネッサンスを巻き起こした。
その後もマルセルは上質な畑を求めて急斜面に放置された畑の所有者たちを訪ねてまわった。地道に買い増しを続けた結果、La Landonneに1.8haを所有するまでになった。1975年、マルセルの息子フィリップの誕生を祝うためにこの畑にブドウを植樹した。その後、1985年にLa Turqueが誕生し、ギガルのla la la三部作が完成した。この頃までにはもう世間はコート・ロティを違った目で見るようになっており、評価誌たちはこぞってギガルのワインを褒め称え、単一畑ワインたちに100点満点を与えた。
ギガルの勢いは衰えることなく、かつてエティエンヌが働いていたVidal-Fleuryを購入した後、彼の妻がメイドをしていたChateau d’Ampuisを手に入れ、2001年にはサン・ジョセフやエルミタージュに畑を持つワイナリーを2件購入して畑の規模を拡張した。続く2006年にはコート・ロティのワイナリーを手に入れ、コルナスを除く北ローヌの主要エリアを全て手中に収めた。近年は南ローヌにまでその勢力を伸ばし、2017年にシャトーヌフのワイナリーを、その後2022年にはタヴェルやリラックに畑を持つワイナリーも手に入れた。
現在はマルセルの息子フィリップがワイナリーを継いでおり、約250haの自社畑とネゴシアンビジネスを展開するギガル帝国を束ねている。Vinous誌によるとギガルは年間で5百万本前後のワインを生産しており、そのうちの約半分がヴァーリューワインとして名高いコート・デュ・ローヌ(赤、白、ロゼ)が占める。コート・ロティのスタンダードキュヴェ・Brune et Blondeに関しては年産約25万本とアペラシオンの中でも圧倒的な生産量を誇る。しかし、どの評価誌も口を揃えるのは、これだけの生産量がありながら品質のムラがなく、毎年高い水準を保てるのはギガルだけだということである。
畑
コート・ロティは伝統的に2つのエリアに分けられてきた。Côte Blondeのある南部とCôte Bruneのある北部であり、それぞれから性格の異なるシラーが生まれる。南部はしばしばヴィオニエがブレンドされ、花崗岩と片麻岩の土壌からよりエレガントでデリケート、シルキーなワインが生まれる。一方で鉄分豊富なシストの土壌を持つ北部は屈強でフルボディ、より筋肉質なワインとなる。ギガルはそれぞれに畑を持っており、南部にはLa Mouline(1ha)、北部にはLa Landonne(1.8ha)とLa Turque(1ha弱)がある。Chateau d’Ampuisというキュヴェは南部と北部に広がる7区画をブレンドし両テロワールの良さ引き出している。
また近年、フィリップはワイン・スペクテーター誌のインタビューで第4のla laワインとなるLa Reynarde(1.6ha)をギガルのセラーで熟成していることを明かしている。BlondeとBruneの間を流れる小川にちなんで名付けられたこのキュヴェは、フィリップの双子の息子の誕生を記念して植えたブドウ(Brune側)から作られる。2022年ヴィンテージのブドウが42ヶ月の長期樽熟成を経て2026年にリリースされる予定となっている。
醸造
ギガルのコート・ロティは新樽と長期熟成で知られている。樽熟成は彼らのワインのシンボルと言っても過言ではなく、単一畑ワインたちは42ヶ月熟成を経るため樽選びは他のドメーヌ以上に大きな意味を持つ。実際、ギガルは2003年からフィリップの自宅(Chateau d’Ampuis)の一角に自社樽工房を建設し、製造工程を管理できるようにした。しかし自社樽製造をするにはパートナーの樽会社を見つけなければならず、数ある候補の中からある1社を選んだ。その理由をフィリップは「ギガルのワインの味をよりオープンで近づきやすいものにしてくれたから」とVinous誌のインタビューで語っている。しかし気温上昇に伴い今までとは違うアプローチが必要だと感じ始めたフィリップは、近年パートナー変更を決意し、試行錯誤の結果ボーヌにある名高い樽会社と手を組むことに決めた。「ヴァニラの風味が控えめであるだけでなく、ワインを不必要に開かせないこと」が決め手となった。2020年は新旧2つの樽会社が混ざったものとなったが、2021年からは新しい樽会社100%の醸造となった。
パートナーの樽会社は変わったものの、新樽をたっぷり使うというギガルの伝統は変わらない。たとえ世間が新樽を控え、熟成期間を短くするというトレンドであったとしてもギガルは変わらずにハウス・スタイルを貫く。それはなぜか?一つはギガルのワインは新樽に耐える力が備わっているため、樽に負けない強さがあること。そしてもう一つは、そもそもリリースしてから数年で飲めるような親近感を求めていないこと。あくまでも長い年月を経てから楽しむという長期ビジョンのもとでワインを作っているのである。
味わい
ギガルには変わらないハウス・スタイルがあり、飲み手に安心感を与えてくれる。エスプレッソやモカのスモーキーさにバーボンヴァニラを思わせるオークの風味があり、そこにブラックオリーヴ、完熟したブラックプラム、干し肉、黒鉛などが混ざる複雑で重厚感のあるアロマを持つ。しかし、その重さを少し持ち上げるようなヴァイオレットのフローラルさも感じられる。口に含むと凝縮したダークフルーツが全体を包み込むように広がり、密度の高さを感じる。果実の熟度は極めて高いが過度なアルコールは感じさせず、豊富なタンニンが作る筋肉質なストラクチャーとフレッシュな酸が見事に支えている。パワフルだがエネルギッシュで、どこかフィネスやエレガンスを感じさせる。フィニッシュはオークとスパイスが作るセイボリーで複雑な余韻が残る。
ロバート・パーカーはかつてこう言った。ギガルよりも上手に樽熟成させるものはおらず、彼らよりも長く樽熟成をするものはおらず、そして彼らほど完璧なタイミングでワインをボトルに詰める「神の手」を持っているものはいない。
たしかにギガルのワインを飲んで樽感が強いというテイスターは少なくないだろう。新樽率と熟成期間を見れば当然のことである。しかし、長い瓶熟を経たギガルのワインを飲んで樽についてとやかく言っている人を見たことがあるだろうか?若い頃にあった印象的な樽の要素は一切感じられず、見事に本体に溶け込んでいる。この偉大な味わいに異論を唱えるものはどこにもいないはずである。
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