Veuve Clicquot(ヴーヴ・クリコ)
ヴーヴの愛称で親しまれるヴーヴ・クリコだが、ヴーヴはフランス語で未亡人という意味で、直訳すると『クリコ未亡人』。
商標登録もされている、特徴的な明るいイエローのエチケットには、27歳で未亡人となったマダム・クリコの激動と革新の物語が詰まっている。
目次
■歴史
1772年 メゾン「クリコ」の設立
銀行業と織物業を営む家に生まれたフィリップ・クリコは、多くのブドウ畑を所有していた。
彼は自社の商品が「国境を越える」ことを誓い、家名を冠したシャンパーニュ・メゾンの設立を決意。
ヴーヴ・クリコ初の出荷はヴェネツィアに向けたものだった。
1805年 マダム・クリコが事業を引き継ぐ
1800年、フィリップ氏の息子であるフランソワ氏に事業が引き継がれた直後、フランソワ氏が帰らぬ人となる。弱冠27歳で未亡人となったフランソワ氏の妻であるバルブ・ニコル・クリコ・ポンサルダンは家業を継ぐことを決意。
1800年代初頭の時代に、女性がビジネスの世界で活躍することが今以上に難しかったことは、想像に難く無い。
さらに現在でも数少ない女性のワインメーカーなんて、批判も少なからずあっただろう。
そういった風当りにも負けず、1814年には大豊作だった1811年ヴィンテージを引っ提げてロシアに進出。結果、その後の50年間のロシア市場はヴーヴ・クリコが独占することになる。
1816年 ルミアージュの開発
酵母の沈殿物である澱を取り除く事を『ルミアージュ』と呼ぶ。
実はこの技法を開発したのはマダム・クリコその人である。
この手法は現在でも使われており、ヴーヴ・クリコはその後急激に発展し、彼女はシャンパーニュ界の「偉大なる女性(ラ・ グランダム)」として同業者の間で呼ばれるようになった。
1818年 ロゼ・シャンパーニュの確立
元々ロゼシャンパンはニワトコの実(酸味が強い粒の小さな黒果実)で透明なシャンパンを着色するのが伝統的な手法だった。
マダム・クリコは、自ら作ったシャンパーニュにグランクリュ・ブジー村産の赤ワインを少しブレンドすることで、ブレンド法によるロゼ・シャンパーニュ造りに初めて成功した。
1972年 ラ・グランダムとビジネス・ウーマン・オブ・ザ・イヤー賞の誕生
メゾンは創業200年を記念し、ラグジュアリーキュベのラ・グランダムを発売する。
それと同時に、マダム・クリコの起業家精神に敬意を示し、ヴーヴ・クリコ・ビジネス・ウーマン・オブ・ザ・イヤー賞を創設。
ビジネスの世界で功績を残し成功を収めた女性を讃えるもので、現在でも革新的なビジネスウーマンを称えるアワードを開催している。
■徹底的な品質管理
「品質はただひとつ、最高級だけを」
マダム・クリコの信念を体現するために、現在もチームが一丸となってシャンパン造りに取り組んでいる。
その品質管理は完璧を通り越して潔癖と言っても過言ではない。
まず、コルクは週3回、1ロット36万個の中から無作為に200個を選び変化を検査する。
26にも渡る項目を検査し、7つの欠陥があれば全ロットを破棄。その後コルクの供給元に結果がフィードバックされる。
さらに瓶詰めされた後は全てのボトルが例外なく写真を撮られる。
液面からコルクまでの長さ、打栓角度、コルクの崩れといった8項目で解析、記録されて規定外のボトルは除外されてから目視検査が続く。
最後に製造工程、流通過程の2つの追跡用コードが印字され、万一の事態にも全プロセスの洗い出しが可能になっている。
これが年間数千万本生産されるワインの品質を「最高」に保ち続ける秘訣の一部だ。
また、中身のワインにも一切の妥協はない。
グラン・クリュの村のブドウをNVでも20%、ミレジムで50%使用。
大手シャンパーニュメゾンの中では最高値だそうだ。
「生産段階のコストは気にしない。高価でも、それは理由があって高値なのだとお客様に理解してもらえるようにするのはマーケティングの仕事。」
と現社長のマダム・ケロッグは語る。
しかし、同じLVMHグループのモエ(ドン・ペリニョン)やクリュッグといった生産者と比べると、ラグジュアリーキュベの訴求力がいまいち強くない。
スタンダードキュベであるイエローラベルの外見やシーズンごとに変わるパッケージ等のブランディングによって高い知名度を誇るが、上級のラ・グランダムの影は薄い。
やはりメゾンシャンパンの花形と言えばラグジュアリーキュベなので、グランダムの活躍にも期待したいところ。
■時を超えて証明された確かな品質
2010年、フィンランド沖のバルト海、海底に沈む難破船から145本のシャンパンが発見された。
この難破船は1825年~1830年ごろのもので、これらはおそらく世界最古のシャンパンではないかと言われている。
2世紀もの長い間海底に沈んでいたにもかかわらず、中身の保存状態は極めて良好だったそうだ。
沈没船から見つかったシャンパンの多くはオークションを通じて売られ、ヴーヴ・クリコは3万ユーロ(約390万円)という高値で落札されている。
余談だが、糖分の含有量を調べたところこのシャンパンには1リットル当たり約140グラムの糖分が含まれていた。これは、現在一般的にみられるものの約10倍にあたる。
発見されたシャンパンは現代の味覚からすると非常に甘いものとなっているが、当時はそれが標準だったとされている。
(当時クリコ夫人と、ロシアのサンクトペテルブルクの業者が交わした手紙から、ロシアでは1リットル当たり300グラムの糖分を含んだ非常に甘いワインが好まれていたことが判明している)
この発見を機に、難破船が発見された同じ海域へ現代のヴーヴ・クリコのシャンパンが計350本沈められた。
ステンレス製のケージに納められたこれらのシャンパーニュは定期的に引き揚げて、熟成の進行を検証することになっているらしい。
メゾンではこの検証実験を短くて30年、できれば50年は続けたいとのこと。
なんともロマンとスケールが大きい話である。
マダム・クリコの意志を継承し続け、忠実にワインに落とし込む。
ヴーヴ・クリコは大規模で無機質なシャンパンメゾンというよりは、母の想いにひたすら応えようとする子供たちのようなシャンパンハウスだ。
商魂たくましい宣伝活動の陰に隠れがちだが、その品質は確かなものである。