Claude Dugat(クロード・デュガ)
広大なジュヴレ・シャンベルタンにおいて宝石のような極上のピノ・ノワールを生み出すクロード・デュガ。畑と生産量が超小規模なドメーヌであるため、上級キュヴェの入手は困難を極める。なお、同じ名前を持つDugat-Py(ベルナール)はクロードのいとこにあたる。
目次
歴史
もともとブドウ栽培家ではなく石工だったデュガ家はブルゴーニュ運河で働くため19世紀中頃にこの地へやってきた。1923年、フェルナン・デュガがブドウ栽培家の娘ジャンヌ・ボルノと結婚したことでワイン造りの歴史が幕を開けた。ジャンヌの影響力は大きく、彼女の結婚の持参金(Charmes Chambertinを含む畑)がドメーヌ設立の基盤を作っただけでなく、フェルナンに畑を買い増すよう熱心に説得した。こうしてフェルナンはヴィラージュ、1er、そして特級(Griotte-Chambertin)を手に入れる。またジャンヌは当時のブルゴーニュにおいて、ジュヴレ指折りの優れた接ぎ木職人として名を馳せていた。最高品質のブドウ木(ピノ・ファン)を見抜けた彼女は、それらをデュガ家の畑に持ち込んで丁寧に世話をした。マッサル・セレクションによって代々受け継がれているこのピノ・ファンこそが、デュガの品質を支え続けている。
フェルナンとジャンヌは引退する際、3人の子ども(モーリス、ピエール、テレーズ)に畑を相続した。Charmes-Chambertin、1er Cru Les Champeauxとヴィラージュの畑はそれぞれに3分割され、分割できない小区画は一人ずつ割り振られた。これによってモーリスはGriotte Chambertinを手に入れる。その後3人はそれぞれ自分のドメーヌを立ち上げたが、当初は畑も醸造もみな同じ場所で行っていた。この共同作業場は1955年にモーリスが購入したCellier des Dimesと呼ばれる建物で、もともとは地元民が教会に年貢を納める場所であった。各々のドメーヌの規模が大きくなり共同作業が窮屈になると、1980年代初期にピエールとテレーズは別の場所に移った。この頃にはすでにモーリスの息子クロードがフルタイムで畑作業をし、父とともにワイナリーの仕事に携わっていた。1982年、二人はデュガ家で初となる自社瓶詰めを行った。その後も一部バルクでのワイン販売が続くが(Leroyのお気に入りだった)、モーリスが引退した1993年頃にバルク販売を終わらせ、自社瓶詰めワインのみにフォーカスした。ちょうど同じ時期にGriotte Chambertinがパーカーポイント100点を叩き出し、クロードは一気にスターダムへと駆け上がっていった。しかし、評価誌でどれほど高い点数を取ろうともクロードは常に謙虚で、ワインをビジネスととらえることは決してなかった。
今日、ドメーヌはクロードの3人の子どもたちが運営しており、ベルトランを中心に父クロードのワインを超える勢いでデュガ家のワインに磨きをかけている。
畑
6haの畑を所有する。特級畑は3つあり、フラッグシップとなるのはGriotte Chambertinである。デュガの区画は南端にあるDurocheの隣で、わずか0.25ha。豊作年でも二樽という雀の涙ほどの生産量だが、間違いなくブルゴーニュ最上のワインのひとつである。Chapelle Chambertin(0.14ha)はメタヤージュの畑となるが、栽培、収穫は全てデュガのチームが行っている。残念ながら2023年ヴィンテージを最後に契約終了となり生産が終了する。Charmes Chambertin(0.33ha)は、MazoyeresではなくAux Charmesに区画を所有している。1erはLavaux Saint-Jacques(0.30ha)と畑名なしの1er Cru(0.35ha)を所有しており、後者はCraipillotとPerrièresのブレンドとなる。ヴィラージュ格のGevrey Chambertin La Marieは、デュガ家が毎年個人用に一樽キープしていたお気に入りの区画(0.95ha)である。他のヴィラージュ区画よりも筋肉質でスケールが大きく、リッチな味わいとなる。もともとノーマルのヴィラージュにブレンドされていたが2018年から分けて瓶詰めされるようになった。なお、ノーマルのヴィラージュは複数区画のブレンドとなっている。広域のブルゴーニュ・ルージュ(1.5ha)はジュヴレとモレの間に広がるエリアのブドウを使用している。
栽培
ジャンヌが持ち込んだ最高品質のピノ・ファンは非常に小さな実をつけるが、デュガはそこからさらに厳しく収量制限を行う。これがアペラシオンの階級を超えるほどの凝縮感につながる。クロード引退後の変化はベルトランによるビオディナミの導入である。2015年に一部でトライアルを行い翌年に全面転換した。また彼はフレッシュさを追求するためにクロードよりも早く収穫を行うようになった。
醸造
デュガのワインメイキングはいたってシンプルである。ブドウは完全に除梗し、コールドマセラシオンは行わずにすぐ発酵をスタートさせる。酸素との接触を制限するために基本的にルモンタージュは行わず手動でピジャージュを行う。マセラシオンは約14日間続き、十分に休ませてからFrancois Freresの樽へと移していく。ブルゴーニュ・ルージュは一年樽、ジュヴレ・ヴィラージュは新樽60%、上級キュヴェは100%新樽を使用する。2013年より引き継いだ息子ベルトランも基本的にはこのスタイルを継いでいる。わずかな変更点としては、補糖をやめて新樽率を下げたことなどが挙げられる。
味わい
クロードのワインは果実の凝縮感が並外れて高く、その分やや重さとオークを感じさせるスタイルであった。若くても比較的近づきやすく、また熟成に耐えうるストラクチャーを持つ見事なワインであった。ベルトランに引き継いでからはこの味わいがより一層洗練された。これには早摘みと樽使いの見直しが大きく影響している。かつてVinousのインタビューで、「アルコール度数は13%あればよく、特級は13.5%である必要はない」と語ったベルトランは、一部の飲み手が上級キュヴェに期待するようなアルコール度数の高さを一切気にかけない。こうしてフレッシュなブドウを摘むことに取り憑かれたベルトランはクロードのワインよりもエレガントさと香り高さを格段にアップさせることに成功した。また新樽率が下がり、樽の溶け込み具合が向上したことで果実のピュアさに磨きがかかった。
一方で、彼は先代のやり方を受け継ぐ姿勢も忘れない。世代交代によって多くのドメーヌが全房を取り入れる動きを見せる中、ベルトランはあくまでも完全除梗を貫き、デュガのトレードマークとも言える果実の透明感を見事に表現する。伝統を残しつつも、ボディと濃度を求める父クロードのワインをフレッシュで軽やかな方向へと見事にシフトさせたベルトランのワインは、今日のコート・ドールにおいて最もエキサイティングなワインの一つだと言える。
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