Louis Roederer(ルイ・ロデレール)
高級シャンパンの代名詞でもあるクリスタルを擁するルイ・ロデレール。
ワイン業界にも他業種が参入して巨大なカルテルが誕生するなか、実は2世紀に渡って家族経営を守り通す稀少なシャンパンメゾンでもある。
現在はフランス国内のワイナリーをいくつか買収し、カリフォルニアにもワイナリーを設立し精力的な広がりを見せているが、あくまでその仕事ぶりは堅実。
グランクリュを含む自社畑を200ha以上所有し、自社畑比率は約75%にも上る。
年間300万本以上生産をする規模のシャンパンメゾンとしては非常に例外的な数値である。
その根幹には創業者であるルイ・ロデレールの「優れたワインはすべて、土壌の質、伝統に対する情熱、将来への鋭い眼差しによって生まれる」という思いがあり、それが200年たった今でも脈々と引き継がれているからだろう。
目次
■歴史
1776年 シャンパンメゾンの創設
1827年 – ニコラ・シュレッダーの甥っ子であるルイ・ロデレール( 1809年生まれ)が、叔父の会社の共同経営者となる。
1833年 ルイ・ロデレールの誕生
創設者の甥であるルイ・ロデレールがメゾンの経営を譲り受け、自らの名前を会社名とする。
優れた企業家であったルイ・ロデレールはメゾンを引き継ぐと、栽培から出荷に至るまで「ワイン造り」のすべてを極めようとした。
「優れたワインはすべて、土壌の質、伝統に対する情熱、将来への鋭い眼差しによって生まれる」という基本理念に則り、特にブドウの栽培に尽力した。
他のメゾンがブドウを外から買い付ける中、ルイ・ロデレールは自社畑のブドウの生育にこだわり続けた。
例えば1845年、ルイ・ロデレールはグランクリュのヴェルズネイ村から15haの畑を購入している。
当時はブドウ自体の価値が低かったので、彼の行動はかなり特殊なものだった。
区画ごとに違うブドウの特徴に注目し、それらをブレンドすることで個性的なワインに仕上げる現代的な方法をすでに編み出していた。
1868年 最大規模のメゾンへ
輸出市場に目を付けたルイはロシアとアメリカを中心に輸出を開始する。
その数年間250万本。これはシャンパーニュ全体の年間生産量の10%に値する。
1876年 クリスタルのリリース
当時最大輸出先であったロシアの皇帝アレクサンクサンドル2世もルイ・ロデレールを愛飲していた。
皇帝お抱えのソムリエは毎年メゾンまで足を運び、醸造家と共に皇帝のための特注シャンパーニュを造った。
この際造られたのが、世界最古のプレスティージュ・キュヴェ「クリスタル」。
王朝の人々を満足させるためにまずは超高級クリスタル・ボトルを作った。
それは透明なガラス製で(時には水晶製)底が分厚く平らになっており、毒が混入されていないかすぐに確認できるようになっていた。
これが今でも1世紀以上に渡りロデレールの看板として、世界のプレステージ・キュヴェとして愛飲されているクリスタルの誕生話。
(1908年にはロシア皇帝御用達の証書を授与されている)
現在市場に売り出されているクリスタルには特徴的なイエローセロファンが巻かれている。
これは透明なボトルを紫外線から守るためであり、商標登録されている。
1932年 不況と自社畑
当時当主だったレオン・オルリー・ロデレールが亡くなり、妻のカミーユ・オルリー・ロデレールが経営者となった。
その時メゾンは1917年にロシアにて十月革命が勃発し、一番の顧客であったロシア市場を無くしていた。
世界中が大恐慌の最中であり、25年間分の不良在庫を抱えてメゾンは破産寸前の状態にあった。
経営者となった彼女は自分自身への報酬はほとんど受け取らず、メゾンの復興に費やし不遇の時代を乗り切る。
カミーユには先見の明があった。
当時それほど高価ではなかったモンターニュ・ド・ランスとコート・デ・ブランのグランクリュやプルミエクリュを驚くような安い値段で買い入れた。
元々所有していた自社畑と合わせて、2013年の段階で所有畑は合計で240haに及び、410もの区画を備えている。
現在、この自社畑の比率の高さこそがメゾンの最も重要な役割を果たしている。
同時にカミーユは大の競馬好きでもあった。
彼女の持ち馬が優勝した際には、ランスにあるロデレール所有のタウンハウスで壮大な宴が多く催され、ルイ・ロデレールのシャンパンが振舞われた。
『パーティーにはシャンパン』という認識を与え続けることで、シャンパンの愉しみ方が新しい世代のワイン愛好家たちの間に広まっていった。
1975年 『シャンパン王』の就任
カミーユの孫であるジャン・クロード・ルゾーが社長に就任する。
彼はシャンパンメゾンでは珍しく醸造学の教育を受けた経営者であり農学者だった。
経営者として会社を利益体質に維持する一方で、常に畑へ足を運び前線で指揮を執り続けた。
自身が持つブドウ栽培の専門知識を活かして、これまで以上に創意あふれるブドウ栽培を行い、メゾンの基本理念を忠実に実践。
さらに90年代以降には、カリフォルニアにロデレール・エステートを創設、シャンパーニュメゾンのドゥーツ、ポルトガルのラモス・ピント、プロヴァンスのドメーヌ・オット、ボルドーのシャトー・ド・ペズ、ボルドーのオー・ボー・セジュールを傘下に引き入れた。
経営者として40年間、卓越した手腕で会社とシャンパン業界を牽引した彼は『シャンパン王』と呼ばれた。
2006年 7代目の就任
ルイ・ロデレールは大手メゾンでは非常に珍しい家族経営のシャンパンハウスである。
この年にカミーユの孫であり、ジャン・クロード・ルゾーの息子であるフレデリック・ルゾーが社長に就任。
彼はロデレール家の7代目にあたる。
2007年にはボルドーのシャトー・ピション・ロングヴィル・コンテス・ド・ラランドとメドック、シャトー・ベルナドットを傘下に入れる。
さらに2019年にはソノマのメリー・エドワーズ、2020年にはナパのダイアモンド・クリーク・ヴィンヤーズを買収。
稼ぎ頭であるクリスタルを引っ提げてルイ・ロデレールの快進撃は続いていく
■ロデレールの特徴
ルイ・ロデレールは他のシャンパンハウスに比べ、気候変動の影響を受けにくいよう自社畑を配置している。
モンターニュ・ド・ランスの北側の斜面からコート・デ・ブランの南端まで、これらのブドウ畑から生まれるワインが生産に必要な量の2/3をカバーする。
通常は別組織に配置されることが多い栽培部門が醸造長の下に編成されており、ブドウの質のコントロールを容易にしている。
さらにルイ・ロデレールには150樽程のリザーヴワインが保管されている。
ブレンドは実に40種類にもわたり、複雑な味わいと奥行き、そして安定したスタイルを可能にする。
(通常リザーブワインのブレンド比率は10%ほどだが、クリスタルはリリースが早いため30%と非常に高い比率で使用される)
さらにドサージュ用のリキュールも、古い木製の大樽で最低でも5年熟成したものを使う。
ルイ・ロデレールはリキュールワインを長期熟成させるただひとつのメゾンである。
クリスタルは高級シャンパンとしてセレブに愛され、特にアメリカでは成功者の象徴とされてきた。
そのため、ヒップホップのアーティストたちもミュージック・ビデオの小道具として多用していたが、2006年に役員だったFrederic Rouzaudが、雑誌『The Economist』(2006年)にて、ラッパー達がクリスタルを好むことに対し、「その手の人々(黒人ラッパー)に好まれるのは本意でない」、「ドン・ペリニヨンやクリュッグならば、彼らと一緒にビジネスをすることを喜ぶだろう」と語った。
これらの発言を人種差別的だとし、世界的ヒップホッパーのジェイ・Zが自ら経営するスポーツBAR「40/40」にて、「クリスタルの取扱いを中止する。今後、高級シャンパンを求める顧客には、クリスタルの代わりにドン・ペリニヨン、クリュッグを提供していく」と発表。
同時にヒップホップのアーティストたちの間で一気にクリスタル不買運動が広がった。
こうした動きを受け、問題発言を行ったFrederic Rouzaudは、「ルイ・ロデレール社は創業以来、全ての文化やアートに対してオープンで寛容な姿勢を取り続けることで存続してきたものであり、それは最新の音楽とファッションのスタイルであるヒップホップも含んでいる」とコメントし、人種差別的な意図は無かったと弁明したが、一度失った信頼を回復することは出来ず、クリスタルはミュージックビデオから姿を消した。
以降ヒップホップのPVでは、2014年にジェイ・Zが買収した「アルマン・ド・ブリニャック」が使用されるようになった。
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