Meursault (ムルソー)
グラン・クリュのないブルゴーニュ・ブランの銘醸地
アメリカナイズドから原点回帰へ
目次
■特徴
間違いなくブルゴーニュを代表する白ワインの産地でありながら、一昔前までは『モンラッシェ』でないために品質にそぐわない待遇をされていたムルソー。
さらにコート・ド・ボーヌ最大の村でありながら、グラン・クリュの区画はない。
しかし、そのふくよかなキャラクターと優れたプルミエ・クリュ、世界が奪い合う優良生産者の存在が、ムルソーを一躍トップ生産地に押し上げた。
不遇の時代
ムルソーには198のドメーヌが存在する。
栽培面積がほぼ同じジュヴレ・シャンベルタンでも152軒なのでこの数はかなり多いのだが、単純にムルソーが昔から人気だったからというわけではない。
そもそも高級ワインと言ったら赤ワイン、つまりはピノ・ノワールというのが定石で、1960年代までは高価な白ワインというのがメジャーではなった。
ネゴシアンに桶売りするのが一般的だった時代、あまりにも人気がなく買ってもらうことが出来なかったため自分たちで元詰めするしかなかった。
そこに目を付けたのがアメリカ人。
当時から高価だったピュリニー、シャサーニュよりも手に入れやすく、輪郭がやわらかいスタイルがアメリカで人気を博し世界に広まって、白ワインの銘醸地として知られるようになった。
そういった経緯があったため、売れるためにムルソーの生産者たちは『クリーミーでボリューミーなスタイル』を意図的に作るようになる。
しかし最近の『エレガントでミネラリーなスタイル』という世界的な流行に乗って、前者のようなムルソーを造る生産者は減ってきている。
また、標高300mを超える斜面の上部に畑を多く所有するドメーヌ・ルーロは、以前からエレガントなスタイルでワインを作り続けていたが、彼らからすればようやく世間が追い付いて来たというところなのだろう。
樽をバッチリきかせたリッチなムルソー、テロワールを反映したミネラリーで繊細なムルソー。
どちらがより「ムルソーらしい」のか、それは飲み手の判断に委ねたい。
ピュリニー・モンラッシェ(南)側
村の真ん中は昔の石切り場の跡地で、他所から土を搬入されたのでムルソーを名乗ることができない。
そこからピュリニー・モンラッシェ側、つまり南にプルミエ・クリュが集中している。
その中でもペリエール、シャルム、ジュヌヴリエールが御三家と言われており人気も高い。
斜面の最上部、最上の畑と言われるプルミエ・クリュのペリエールは標高260mの位置にあって、石灰岩や礫、良質な黄土が広がる。
一部グラン・クリュのモンラッシェと同じ土壌があり、その優位性が伺える。涼しげで気品と華やかさを兼ね備えながら、長熟向きのワインが出来る。
ペリエールの下部に広がるシャルムは約31haと広いため、小石が多い上部のドゥスュ(Dessus)と小石が多いながらも粘土質の下部のドゥス(Dessous)でキャラクターが変わる。
上部はペリエールに近いシャープなワインに、下部は奥行きが増しリッチな味わいとなり一般により好まれる。
ジュヌヴリエールは東南東を向き、内に秘めた強さがありつつも重たさがなく優美で、白ワインの最上の造り手の1人コント・ラフォンのお気に入り。
斜面の下部にいくほど柔らかく、ふくよかさが増すスタイルになる。
一般的に知られるムルソーのイメージはおそらくこちらに近い。
ヴォルネイ(北)側
北側の畑は、ヴォルネイと地続きの丘にあるためヴォルネイ・サントノの名前で赤ワインが造られる。
斜面上部、ヴォルネイにやや食い込んだところにあるプルミエ・クリュ、レ・クラとレ・カイユレは赤ワインに向いた土壌のため現在でも少量の赤ワインが造られる。
カイユレは5人の所有者がいるが、その内3人がピノ・ノワールを、2人がシャルドネを植えている。
シャルドネを植える2人の内1人がコシュ=デュリ。彼はどちらを植えるかは個人の好みだと語り、この畑から逞しいスタイルのムルソーを産み出す。
どれだけ偉大な造り手、畑から出来るワインであっても威厳とか堅苦しさのようなものよりもどこか親しみを感じられるところがこの村の良さだと思う。