Perrier-Jouet(ペリエ・ジュエ)
美しいアネモネのラベルで有名なシャンパーニュ、ペリエ・ジュエ。
19世紀末から第一次世界大戦が開戦するまでのパリが繁栄した華やかな時代を指す『ベル・エポック』がそのままラグジュアリー・キュベの名前として採用されている。
それほどペリエ・ジュエと芸術は切っても切り離せない密接な関係にあり、華やかなシャンパーニュの中でも特にその類に分類されるだろう。
そのスタイルは奔放で享楽的な面がありながらも、どこか繊細で緻密さを感じさせる。
ナイトマーケットで特に強い人気を誇るのはエチケットの華やかさも然ることながら、わがままだけど繊細な乙女心を表したようなキャラクターだから?
目次
■歴史
1811年 メゾンの設立
植物学にも精通したコルクサプライヤーであるピエール・ニコラ・ペリエと、カルバドス生産者の娘である、ローズ・アデル・ジュエの結婚から1年後の1811年、二人は他とは一線を画す特別なシャンパン・メゾンを作りたいという想いからメゾン ペリエ・ジュエを設立。
旦那のピエール・ニコラは販売とマーケティング、妻アデルは栽培と醸造を担当。
1815年にイギリスへ、1837年にはアメリカへの輸出が始まった。
1848年 30年早かったエクストラ・ブリュット
ロンドンの正規代理人から「イギリスの洗練された顧客を満足させるために、ドサージュなしの超辛口シャンパンを造れないか」と手紙が届いた。当時、当主であったピエールの息子であるシャルルは「何を下らないことを言っているのか」と一蹴した。
今でこそエクストラ・ブリュットは一般的だが、甘口のワインがもてはやされていた当時、ただでさえ酸度が高いシャンパンにドサージュをしないという選択肢はあり得なかった。
しかし1874年、ライバルメゾンであるポメリーがエクストラ・ブリュットで大成功を収めた。
それに追随して1880年代初めにペリエ・ジュエもドサージュ5g未満のエクストラ・ブリュットを発表し、イギリス市場で大ヒットした。
ヴィクトリア女王やフランスの「ベル・エポック」と呼ばれた時代を象徴する大女優、サラ・ベルナールの大のお気に入りとして知られており、メゾンの顧客帳簿にはナポレオン3世の名前が残っている。
1970年 キュヴェ ベル・エポックのリリース
シャルルには子供がおらず、メゾンの所在地であるエペルネの市長、ルイ・ブダンによって引き受けられた。
ルイとその息子のミシェルによってペリエ・ジュエの地位は確固たるものとなった。
そして1970年、『A列車で行こう』で知られるアメリカの偉大なジャズ・ミュージシャン、デューク・エリントンの70歳のバースデーを祝うための特別なシャンパンとしてキュヴェ ベル・エポックがリリースされた。
これが瞬く間に人気を博し、たちまちアメリカでトップメゾンとしての評価を得るようになった。
番外編 所有者の推移
メゾンは苦しい時期を経験することになる。
企業買収のターゲットにされたのである。
1959年、マムによる買収を経てしばらく、カナダのメーカーであるシーグラム・グループの傘下となっていたのだが、ワイン部門の撤廃を機にベンチャー企業であるテキサス・グループへ、次にイギリスの酒類製造とファーストフード事業を展開するアライド・ドメック、そして最後に現オーナーであるペルノ・リカーへ、所有者を転々と移ることになった。
幸いだったのは、このゴタゴタの中でも所有する貴重な畑を維持することができたことである。
番外編 アネモネの花が生まれるまで
今やメゾンのトレードマークとも言えるアネモネの花は、アール・ヌーヴォーを代表するフランスのガラス工芸家であるエミール・ガレがデザインした図柄を基調としている。20世紀初頭、フランスはベル・エポックの熱狂の中にあり、芸術と科学の発展に誰もが胸を踊らせていた。
当時の社長であるアンリ・ガリスも、芸術を愛する1人だった。
そんな彼がアール・ヌーヴォーの先駆者であるガレと親交を深めるのに時間は掛からず、ベル・エポックのラベルデザインを依頼。
ジャポニズムの影響を受けたガレは、アネモネ(秋明菊)をモチーフにした絵を描いた。
しかしデザインは完了したものの、ガレはボトルに描かれた完成品を見ることなく1904年に死去。
そして、その後発生した第一次世界大戦によってそのボトルはセラーに封印され、1964年になるまでその姿を見る者は誰もいなかった。
1964年に見つかったこのガレの作品は、改良を加えて1969年、無事にベルエポックのデザインとして販売されることとなった。
最初のヴィンテージは1964年。セパージュはシャルドネ50%、ピノ・ノワール45%、ピノ・ムニエ5%。
(実は現在もこのセパージュが採用されている)
そして今もアネモネの花のデザインは変わることなくペリエ・ジュエのシンボルであり続けている。
■スタイル
ペリエ・ジュエの所有畑は約65haで、生産量の25%を補っている。
シュィイ、アヴィーズ、クラマン、オジェといったコート・デ・ブランのグラン・クリュを所有しており、セラーとは別にクラマンにはブドウをプレスする施設がある。
ベル・エポックに使われるシャルドネの半分以上はグラン・クリュのクラマン。そしてピノ・ノワールはマイィである。
どちらも軽やかで繊細さが特徴のブドウができるため、プレステージ・シャンパーニュにありがちな重厚感のある味わいにならず、あくまでもエレガントで丸いスタイルとなる。
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