Piemonte(ピエモンテ)
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「山の麓」という意味の通りアルプス山脈の麓に位置するピエモンテは、1,000年以上前からワイン造りが続いており、イタリアの2大DOCGであるバローロを有する屈指の銘醸地。
2トップの片翼を担うDOCG、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノが徐々に価格を高騰させており、同程度の価格帯だったバローロとの差は開きつつある。ピエモンテにはまだこの波が届ききっていない。
しかし今後の価格上昇は必須なので、良いワインを見極め投資をするのは賢明な判断ではないだろうか。
目次
■主なブドウ品種
~赤~
「ハレの日のネッビオーロ、休日のバルベーラ、普段使いのドルチェット」
と言い表されるように、ネッビオーロはピエモンテ、ひいてはイタリアを代表する高級品種でピエモンテのほぼ全土で栽培されている。
所有畑の1番良い区画にネッビオーロを植樹する生産者がほとんどで、どれだけネッビオーロが重要視されているのかが伺える。
バローロやバルバレスコはもちろんのこと、北部ではスパンナというシノニムでDOCGガッティナーラ、ゲンメに用いられている。
ネッビオーロは晩熟で栽培が難しいため一時期は収穫量も低迷したが、地元の生産者は高貴な品種として認識しているため完全に放棄されたことはない。
パワフルで力強く、がっちりとしたタンニンが特徴のネッビオーロだが、実は19世紀以前は甘口ワインの原料だった。
現在のような辛口ワインとしての歴史は19世紀半ばから。
13世紀頃から栽培されていたとされるネッビオーロの歴史を考えると、私たちが知っているスタイルは意外と最近になって誕生したものなのだ。
強いタンニンと酸を持ちつつも、バラやチェリーのような華やかな芳香があり、熟成によってトリュフやタバコなど複雑性に富んだ香りへと変化していく。
グラスメーカーのリーデルではピノ・ノワールとネッビオーロ兼用のグラスがあるように、香りの立ち方や強い酸、熟成による変化といった随所にピノ・ノワールと似た部分が見受けられる。
・バルベーラ
バルベーラの語源はバーバリアン(barbarian=野蛮人)から来ている。
その名の通り病害に強く、樹勢も強いのであまり手間をかけなくても育てることが出来るため重宝され、日常的に飲むようなワインとして親しまれている。
酸が高くフルーティ、一般的にはカジュアルワインとしての認識が強いが、酸やタンニンを多く含むため長期熟成できるようなワインに仕上げる生産者もいる。
バルベーラのみを取り扱うブライダなどいわゆるバルベーラ屋さんも存在するが、ほんの一部で少ない。
・ドルチェット
『ドルチェ=デザート』に名前が似ていることから、甘口のワインと思われることがあるがそれは大きな間違いで、実際は辛口の軽いワインからフルボディのワインまで生産されている。
しかしぶどう自体に甘さ以外のタンニンや酸といった要素が少ないので、ネッビオーロのように長期熟成向きのワインは一般的に造られない。
そのためネッビオーロやバルベーラと同じくピエモンテ全土で栽培されているが、一般的にはカジュアルワインとしての認識が強い庶民派葡萄。
さらにこの地では圧倒的にネッビオーロが優遇されているため、ブドウの取引価格も安く、
そのため造られるワインは生産者のラインナップの中でも1番安価な位置に収まることが多い。
~白~
・コルテーゼ
ピエモンテを代表する有名な白ワイン、DOCGガヴィに使用されているコルテーゼ。
コルテーゼとしての認知度は低いが、ガヴィを飲んだことがある人は多いだろう。
安価で早飲み向けのワインが多く、フレッシュな酸がありアルネイスよりスリムでシャープ。
一部スプマンテとして造られることがあるが、ほとんどがスティルワインとして生産される。
・アルネイス
1960年代の終わりごろ、戦争でアルネイスはほとんど失われネッビオーロのブドウ園内で数列しか栽培されていなかった。
なぜネッビオーロのブドウ園かと言うと、熟したアルネイスの甘い香りで鳥を引きつけ、より貴重なネッビオーロに近づけないためであったといわれている。
スタイルは中庸的で程よいボディがある。
基本的にはコルテーゼと同じく早飲みタイプだが、ややオイリーさが出て、ふくよかで柔らかい味わい。
少し熟成をするとそれがより顕著になる。
認知度は高くないが、使い勝手の良いワイン。
■主要なDOCG
バローロ
ピエモンテの中南部、白トリュフで有名なアルバの町の南、小高い丘に広がる11村のネッビオーロ100%で造られるワインがバローロと認定されている。
1966年にDOC認定を受けたときからこの生産地域は変わっていない。
・歴史
バローロの歴史は19世紀半ばに、カミッロ・ベンソ・カヴール伯爵(後のイタリア王国初代首相)がグリンツァーネ村にある農園に醸造化を招き、今まで甘口のワインとして生産されていたネッビオーロを、当時最新の醸造技術を投入して辛口の赤ワインに仕上げたことから始まったとされている。
その後も徐々に品質が向上していき、1858年には宮廷で提供されるようになり飛躍的に知名度が上がっていった。
しかし当時のワイン市場全体から見ると決してその需要は高くなかった。
1960年代頃、当時バローロの生産は5,6の大手ネゴシアンが牛耳っていた。
元詰めをしようにもバローロのDOC規定で熟成期間を最低でも3年間取らなくてはならないため、設備投資をする金銭的余裕はない。
そのためブドウ農家はネゴシアンの言い値でブドウを買い叩かれる、とても弱い立場にあった。
ドルチェットよりも安く、ほとんどタダ同然で引き取られたこともあるらしい。
また収穫量を重視し化学肥料に抵抗がなかったという時代背景も手伝って、品質の向上は見込まれなかった。
1980年にはDOCGに昇格するも、今とは違って若いうちは果実の甘さよりもタンニンの渋みが支配的、強固で厳しいバローロのスタイルは一般の飲み手に理解されづらく低迷の時代が続いた。
実際、当時はバローロの生産者であったとしても、バローロよりドルチェットの方が安くて早く飲めるため引き合いが強く、上顧客にはドルチェットの購入ついでにバローロをプレゼントしていた時代でもあった。
・ネゴシアン支配からの脱出
ピエモンテからブルゴーニュの距離は意外と近い。
そして所有畑が小さい農家が多いことや単一品種でワインを造るところなど、バローロとブルゴーニュはいくつかの共通点があった。
インターネットがない時代でもブルゴーニュワインは素晴らしく、高価なワインだということは生産者の誰もが知っていたため、ネゴシアン一強の状況を打破し新規参入、つまりは元詰めを決意し、意欲あるバローロ生産者はその技術を学ぶためブルゴーニュへ視察に出た。
そこで彼らが見たものは、バローロの25倍の値段で取引されるブドウと、農家1人1人がテロワールを表現したワインを造る姿だった。
この活動の先頭に立っていたエリオ・アルターレやエンリコ・スカヴィーノ、ドメニコ・クレリコやボエルツィオたちは大きなショックを受け、自分たちもそんなワインを造ろうと決意した。
・バローロ改革
自分の名前を冠したラベルでバローロをリリースするにあたり、収量ではなく品質を重視するためフランスで学んできたグリーンハーベストを取り入れ、必然的に多用していた化学肥料を中止した。
現在では一般的に行われているグリーンハーベスト(=収量制限)は当時イタリアにはなかった技法。
というのも、生活のために収量をとにかく重視しなければならなかったこともあるが、ワイン造りは宗教的な側面も強く、実ったブドウはもれなく神の恵みでありそれを間引くという考えがそもそもなかったのだ。
醸造面では1980年代にバリックを導入。
バローロは伝統的に大樽で醸造をするが、初期費用が高価なため長い熟成期間を要するバローロだと資金回収が長期に渡り、新規参入する際のハードルとなっていた。
そもそも小さな畑しか持たない栽培家にとっては、大樽に詰められるほどのワインが造れないという意味でもあった。
一方で、同じく所有畑が小さいという点で共通点があるブルゴーニュでは225ℓの小樽(バリック)を使用する。
アルターレやドメニコ・クレリコらがDRCに訪問した際の試飲では、新樽を使っているにも関わらずバレルサンプルですらオークの味がしなかったことに衝撃を受けたという。
彼らは、ネッビオーロの熟成を経たフィネスはピノ・ノワールのそれに通じるものがあると信じて、1981年ブルゴーニュに足を運んだ際トラックに乗せられるだけのバリック19個を持ち帰った。
それから試行錯誤の末、バリックの導入に成功。
これまで 10 年、15 年寝かしてやっと飲めるようになるバローロが、より早く楽しめるようになり、もちろん長い熟成にも耐えうる新しいバローロの方向性が見出されることになった。
そしてその約10年後、ロータリーファーメンター(横式回転発酵槽)が導入された。
当時、温度管理が出来る撹拌装置がほとんどなかったのだが、このロータリーファーメンターで一定の温度と短い期間でマセラシオンを行うことにより、これまでよりもタンニンが柔らかくエキスがぐっと抽出された力強く飲みやすいワインを造ることが可能となった。
ちなみにロータリーファーメンターを最初に導入したのはエンリコ・スカヴィーノで、元々ベルギーでチョコレートを製造する為にあった物をワイン用に改良したらしい。
グリーンハーベスト、バリック、ロータリーファーメンターの採用という大きな 3 つの革新的な要素を経て、志を同じくする生産者の努力から生まれたバローロは、これまでのものとは一線を画すスタイルとなった。
早いうちから楽しめる濃縮した力強いバローロは、じわじわと世の中に認知されるようになり、より抽出が強く、よりバリックの効いたワインを世に送り出していく。
・バローロ・ボーイズの確立
1990年頃、どこのワイナリーも人手不足の中、アメリカ系イタリア人であるマルケディグラツィアが取りまとめて輸出をしアメリカに拡販。
このスタイルのバローロは一躍大ヒットし、一気に知名度を上げ『モダン・バローロ』と呼ばれるようになった。
そしてこの活動の先頭に立っていたエリオ・アルターレやエンリコ・スカヴィーノ、ロベルト・ヴォエルツィオやドメニコ・クレリコ達は親しみを込めて『バローロ・ボーイズ』と呼ばれた。
そして小規模な生産者でも実力があれば成功するという状況を受けて、バローロの生産者は増え生産量も飛躍的に増加。
1970年頃から比べると、現在の生産量はほぼ2倍にまで伸びている。
一時期は低迷したバローロだったが、バローロ・ボーイズの活躍により『ワインの王』として見事に復活したのだった。
バローロ・ボーイズはこの成功を自分たちだけのものにせず、とにかく後進の育成に取り組んだ。
自身のワイナリーを大きくすることよりも、未来のワイン生産者を育てバローロのブランドを育てることを選び、その活動は見事に実を結んでいる。
バローロ・ボーイズの真の功績は、新しいモダンスタイルの確立だけでなく、バローロすべての生産者たちに自らの力で未来を切り拓けるという希望を与えたことだろう。
・当時のスタイル
バローロ・ボーイズの登場でリリースしたてから美味しく飲めるモダン・バローロは広まっていった。
それ以前の伝統派とそれぞれの味わいを大雑把に分けると
伝統派…色はオレンジがかったガーネット。熟成すると白ワインのように色素が薄くなる。若いときはタンニンが厳しいが長期熟成のポテンシャルがあり、飲み頃を迎えるとボルドーの一級シャトーにも引けを取らない素晴らしい複雑さと香りが現れる。
モダン派…色が濃く、若いうちからパワフルでありながらも豊かな果実味が楽しめる。果実の甘さと樽由来の甘さも加わるためリッチで豊満。長期熟成にも向く万人受けタイプ。
ただ2000年頃からは、大樽を使う伝統的な造り方に原点回帰する生産者も増えてきている。
なるべく樽由来の風味を加えないようにして、畑の個性をより強く反映させるためだ。
さらに近年は小樽と大樽をどちらも混ぜて使う生産者が増えてきており、はっきりとモダン派と伝統派に分けることが難しくなってきている。
既存の概念に捕らわれず、試行錯誤しながらより良いワインを造るために個々のスタイルを確立している。
バローロはまだまだ発展途中なのだ。
・モダンから原点回帰、そして2つの融合
世界的にワイン造りの流行は、樽が強いリッチでボリューミィなスタイルから、ブドウ本来の甘さや酸、ミネラル、そしてテロワールを重視したキレイなスタイルへ移り変わってきている。
その変化はバローロの生産者たちにも影響を与えるようになった。
そもそもスタイルが極度にモダンに寄りすぎることで、ワインがパワフルになりすぎて1本飲みきれなかったり、似通った味のバローロが増え消費者はそれに飽きつつあった。
そしてなにより、バローロの土地の個性というのが置き去りにされてしまっていた。
流行や良いと思ったものは素直に取り入れていくイタリア人の気質を、バローロの生産者たちももちろん持ち合わせていて、今までの成功に胡坐をかくことなくさらに違う手法を取り入れ始めた。
新樽の比率を控えたり、バリックから大樽に戻したり、マセラシオンの温度を下げたり、既存の方法にこだわるのではなく、それぞれが持ちうる知識を組み合わせて時代のニーズにしっかりと向き合い始める。
さらに元から大樽を使っていた伝統派と呼ばれる生産者たちも、買い替えないことが美徳とされていた樽を(昔は100年買い替えることがなかった)30年に1回、少しずつ買い替えることで雑味を抑える等変わっていった。
さらに畑の個性をより追求するという世界的流行を受けて、元々あった「クリュ・バローロ」の流れがさらに強くなり、樽の厚化粧は不要なものとなった。
もはやそこに伝統派、モダン派というムーブメントはなく、志の高い生産者がお互いを尊重しあい、それぞれのクリュのアイデンティティを素直に感じられるピュアなワイン造りを目指す『ピュアリスト』としてカテゴライズされているのが現状である。
そしてバローロは地域、畑、生産者によって、さまざまな味わいが楽しめる個性豊かな生産地へと進化した。
・クリュ
元来バローロはネゴシアンがたくさんの栽培家からブドウを買い取ってワインを造っていたため、複数の畑のブレンドが一般的だった。
それからブルゴーニュのように単一畑のブドウだけを使い、ラベルにその畑名を記載しテロワールを重視したワインをリリースする生産者が続々と誕生するのだが、そもそも規模の小さい生産者は1ヶ所しか畑を持っていないケースも多く、望まずとも単一畑のバローロが必然的に生産されていた。
そのためMGAが制定される随分と前から、バローロ生産者の間ではクリュの概念が根付いている。
2010年からこのクリュが法律で認められ、「MGA(Menzioni Geografiche Aggiuntive=追加地理言及)」の概念が誕生し、正式にラベルにクリュ名を記載することが可能になった。
一般的にクリュとは「単一畑」を示す。
しかしバローロでいうクリュは複数の単一畑を含む場合もあるため、同じクリュの中でも南東向きの斜面と北向きの斜面が混在するし、傾斜角度や日照量、土壌が大きく異なる可能性がある。
また、3haほどの小さな区画から200ha近い区画まで大きさもまちまちで、現在200近いクリュがあり、格付けや等級といった区分はないがそのレベルの差は確実に存在する。
地元では昔から暗黙の了解でその優劣は理解されていたし、実際にそれはブドウの買取価格には反映されていた。
それでも消費者からするとどのクリュがどう良いかの判別が非常に難しい。
いくつかの評論家や出版社が非公式に格付けをする試みは行われてきたが、公式な格付けをつくろうという活動が有志の生産者団体によって続けられている。
ちなみにイタリアのアレッサンドロ・マスナゲッティ氏が著書の「Barolo MGA」で私的な見解として5つ星S、5つ星(星0~5つ星Sまでの7段階評価)に格付けしたのが以下のクリュ。
5つ星S…ブルナーテ、チェレクイオ、ロッケ・ディ・カスティリオーネ、ヴィーニャ・リオンダ
5つ星…フランチャ、モンプリヴァート、オルナート(セッラルンガ)、ロッケ・デッラヌンツィアータ、ヴィッレーロ
この他にもブッシア、カンヌビ、ジネストラなども生産者たちから高い評価を得ている。
生産村:Barolo, La Morra, Monforte, Serralunga d’Alba, Castiglione Falletto, Novello, Grinzane Cavour. Verduno, Diano d’Alba, Cherasco and Roddi.
バルバレスコ
ピエモンテの北東部、バルバレスコ村、トレイゾ村、ネイヴェ村の3つの村に加えてアルバ村の一部のネッビオーロ100%で造られるワインがバルバレスコと認定されている。
『ワインの王バローロ、女王バルバレスコ』とバローロと比較されることが多い。
バローロは粘土主体の土壌でパワフルなスタイル、対してバルバレスコは砂質が主な土壌のため、芯が強くてもエレガントなことが特徴。
また熟成期間がバローロより1年短いため、よりその傾向が強く出る。
・歴史
アルバ村の醸造学校の最初の校長であるドミツィオ・カヴァッツァ教授が、自分の住んでいたバルバレスコ村の名前をワインにつけたことがバルバレスコの起源と言われている。
バローロと同じように、1980年代初頭までブドウ栽培はお金にならないつらい仕事だとされていた。
しかし当時から革新的な造りと巧みなブランディングによってバルバレスコのアンジェロ・ガヤはすでにアメリカ市場で不動の人気を得ていた。り
そして90年代以降、ピエモンテにマルクディ・グラツィアが訪れ、ガヤのバルバレスコよりも安価なバローロをアメリカへ持ち込んだことによって『バローロ・ボーイズ』が成功を収めた。
バローロ・ボーイズの成功もあり、バルバレスコの生産者たちはバルバレスコを造ることに対して誇りを持ち、努力すれば報われるという希望が多くの生産者の独立を後押しした。
元々ガヤといった偉大なワイナリーが存在していたが、バルバレスコが産地として発展したのはそれからだろう。
・脱・バローロの弟分
同じランゲのエリア、同じ品種で造られていることでバローロとセットにされることが多いが、記載した通り土壌も味わいのスタイルも正反対。
栽培面積はバローロの約1/3ほどしかなく、必然的に生産量も落ちる。
そのためどうしてもバローロより一歩前に出ることができずにいたが、2008年、バローロに先駆けてクリュを法律として制定するなど活動も目覚ましい。
主なDOCG | 主なブドウ品種 | |
北部地方 | ガッティナーラ、ゲンメ | ネッビオーロ(スパンナ) |
ランゲ地方 | バローロ、バルバレスコ、ドルチェット・ダルバ、ロエーロ | ネッビオーロ、ドルチェット、アルネイス |
モンフェッラート地方 | バルベーラ・スーペリオーレ、ガヴィ | バルベーラ、コルテーゼ |
アスティ地方 | アスティ、バルベーラ・ダスティ | モスカート・ビアンコ、バルベーラ |
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