Roulot(ルーロ)
ムルソーを代表するスタードメーヌで、世界最高峰の白ワインを作る一人。ムルソーにリュー・ディーの概念を持ち込んだパイオニアの一人であり、緻密で繊細なアロマと強烈なミネラルが交錯する味わいの先駆けである。
ルーロが他の生産者と異なるのは、ムルソーのポテンシャルを一切失うことなく「重さ」を「ピュアさ」に変えたことだろう。ルーロが与えた影響は大きく、今では様々なドメーヌが引き締まったスタイルを求め、区画ごとのキュヴェをリリースしている。これによってムルソーという村が持つポテンシャルが今まで以上に掘り起こされ、その結果、素晴らしいワインの数々が生まれたと言っても過言ではない。ムルソーは多彩な味わいを生み出せるという事実を世間に広く認めさせた彼の功績はとてつもなく大きい。
目次
歴史
ワイナリーの歴史は1820-30年代まで遡るが、ルーロという名を地図に刻んだのは1960年代から活躍したギィ・ルーロである。当時、村名格のムルソーと言えばブレンドされるのが通例で、区画ごとの個性に注目する者などほとんどいなかった。しかし、ギィはこの常識に風穴を開けた。彼は区画ごとの違いを理解しそれを表現するためにそれぞれ分けて醸造、熟成、瓶詰めを行った。ムルソーにリュー・ディーという概念を持ち込んだのである。彼のワインはすぐに世間の注目を引いたが、それは区画ごとに分かれているからだけではなかった。人々が想像するムルソーの味わいとはおよそ真逆の要素 – 鋼のミネラル、快活な酸、抑制、緊張感 – があったからである。
ギィのワインは世間を大いに興奮させたが、人気絶頂の中、1982 年にこの世を去ってしまう。53歳だった。あまりにも突然の出来事であったため、ドメーヌは跡継ぎなしの宙ぶらりん状態となった。息子ジャン・マルクはパリで俳優のキャリアを追い求めておりワインには興味がなかった。そこで、ギィの妻はDujacのジャック・セイスに助けを求めたところ、ドメーヌの見習いに一人素晴らしい人物がいると紹介される。当時25歳のアメリカ人、テッド・レモン(現Littoraiのオーナー)であった。テッドは1983年と1984年の2ヴィンテージを仕込み、その後ジャン・マルクのいとこにあたるフランク・グリュ(後のOlivier Leflaiveのワインメーカー)が跡を継いだ。そしてついに、7年間という期間を経てジャン・マルクはムルソーに戻ってきた。1989年のことであった。「22才で俳優になるためにブルゴーニュを去った時、ワインに興味がなかった。けれどしばらく経ってムルソーに戻った時、自分が作りたいものがはっきりと分かっていたんだ。」こうしてジャン・マルクは父のスタイル、培ってきた評判、珠玉の畑の数々をすべて受け継ぎ、さらなる高みへと昇華させた。
ドメーヌを引き継ぐためにムルソーに戻ってきたものの、実はジャン・マルクは完全に俳優を諦めたわけではなかった。事実、彼はワインメーカーであり、俳優なのである。二足のわらじを履くというバイタリティもさることながら、どちらの仕事でも成功しているというのがジャン・マルクのすごいところである。彼は俳優として舞台やTV、映画など50本以上の作品に参加している。
畑
約15haの畑を所有しており、一部買いブドウでもワインを作っている。自社畑では4つのプルミエ – Les Perrieres(0.26ha)、Les Charmes(0.28ha)、モノポールのClos des Boucheres(1.38ha)、Porusot(0.42ha) – がある。最後の2つに関しては2011年の畑の拡張が影響している。この年Domaine Rene Manuelが米国の投資家たちに買収され業界を騒がせたが、その際に購入した畑の管理を二人のヴィニュロンに任せることになった。それがジャン・マルクとドミニク・ラフォンであった。畑の分割時にジャン・マルクは元々自分で所有していたBoucheresの区画をドミニクに譲り、その代わりにモノポールのClos des Boucheresを手に入れた。畑の拡張によってPorusotも増え、ヴィラージュのClos de la Baronneも手に入った。なお、Clos de la Baronneのブドウはほとんどがノーマルのムルソー・ヴィラージュにブレンドされている。
ルーロの基盤を作る村名のリュー・ディー・シリーズは比較的標高の高い畑が多く、Les Tillets(0.49ha)、Les Narvaux(0.50ha)、Les Vireuils(0.67ha)、Les Luchets(1.03ha)、モノポールのLes Tessons, Clos de Mon Plaisir(0.85ha)、そしてLes Meix-Chavaux(0.95ha)である。とりわけLes Tessonsはルーロのアイコンとも言える村名キュヴェで、プルミエクリュでないことを考慮すると恐ろしい品質のワイン。ヴィラーヴュの中で最も多層的なワインで、フレーバーの厚みが素晴らしく、驚くほどのエネルギーを秘めている。このLes Tessonsとほぼ同じ標高を持つのがLes Luchetsだが、味わいは異なる。Les Tessonが東を向くのに対し、Les Luchetsが北東を向くため前者の方がフルボディ寄りで厚みと丸みがでる。この差異こそがルーロの醍醐味である。
広域ではムルソー村のブドウから作られるブルゴーニュ・ブラン、そしてアリゴテもある。また少量のピノも作っており、モンテリーとオーセイ・デュレス、そしてブルゴーニュ・ルージュとなっている。
一方、買いブドウは2014年始動のマイクロ・ネゴス部門で使用される。ジャン・マルクが直々に収穫日の助言をし、ブドウは全て手摘みで厳しく選果をする。その後ルーロのセラーへ運び、醸造からボトリングまで全てジャン・マルクが手掛け、ドメーヌものと同じように扱う。キュヴェはChevalier Montrachet、Corton Charlemagne、Puligny 1er Le Cailleret、Meursault 1er Genevrieresなどである。
栽培
1999年から有機栽培を取り入れる。それ以降、除草剤は使わず耕作のみで雑草を管理する。微生物を含む畑の生態系へのダメージを最小に抑え、一部ではビオディナミのアプローチもみられる。全ては最高級のブドウを手に入れるためであり、適切な収量制限と収穫後の厳しい選果は欠かせない。ジャン・マルクは最適と判断するならば早摘みをも全く厭わず、2日遅い収穫よりも、2日早い方を選ぶ。
醸造
リューディー・マスターであるジャン・マルクは、区画の個性の表現にすべてを捧げているため、醸造では不要なことはしない。だからこそその土地の性格とブドウのピュアさに焦点が当たる。彼はブドウの果皮が健全であればプレス前に破砕するのを好み、これよってプレス負荷が低減し、よりフレッシュでより良いpHの果汁が取れると信じている。またプレス時のSO2添加に関してもこだわりがあり、一昔前と比べて添加量を減らし、かつ添加のタイミングを遅らせている。「以前は、プレスして果汁が出てきたらSO2を添加していたが、今はあえて一部を酸化させて茶色になるまで待つんだ。」2009年頃から取り入れているこのアプローチでは、プレスの最後の10%の果汁を一晩おいて完全に酸化させる。翌日に冷やしてクリアな果汁だけを取り出し、そこにSO2を加える。その後で残りの90%の果汁にブレンドする。「全く酸化させない果汁と比べる実験をしたら、10%酸化させる方が好みだったんだ。」
基本的に全てのワインはバリックでアルコール発酵(アリゴテのみタンク発酵)とMLFを行う。樽はあくまでもゆっくりと酸素を供給するという目的で使用されるため、新樽率はヴィラージュで20%、プルミエで25-30%程度と控えめ。澱とともに12ヶ月の熟成後、ラッキングしてステンレスタンクに移しさらに6ヶ月熟成させてから瓶詰め。
味わい
ルーロのワインはユニークである。リッチなムルソーというイメージの真逆を行くからである。水晶のような透明感、刃物のような鋭い切れ味、垂直的で引き締まったボディ、そして硝煙あるいはマッチを擦ったような香ばしいミネラル。見栄とは無縁の、抑制の効いた端正なスタイルである。このスタイルは多くに影響を与えたため、今でこそ珍しさはないが、一昔前であれば彼のムルソーをブラインドで特定するのは困難であった。ムルソーらしからぬ繊細さと見事なテンションがある。一方で、よくよく味わうとその中核にはムルソーらしい見事な厚みとエネルギーがあるが、しかしそれは拡散することなく輪郭を保ったまま一本の線となって伸びてくる。ジャン・マルクが他の生産者と異なるのは、ムルソーのポテンシャルを一切失うことなく「重さ」を「ピュアさ」に変えたことだろう。
完全無欠に見えるルーロのワインだが、唯一の弱点がある。リリース直後は魅力が半減してしまうのである。ここだけで言えばトラディッショナルなムルソーに軍配が上がるだろう。リリース直後はどうしても硬さと酸が無愛想な印象を作ってしまう。たしかにルーロのワインはどれを飲んでも質感が極めてなめらかでシルキーなため、飲めないこともない。しかし、8-10年ほど寝かせると鋭さに滑らかさが溶け込み、蜂蜜やブリオッシュのような甘やかさが表れ、そこに塩味を感じる強烈なミネラルとヘーゼルナッツのような香ばしさが加わる。口の中で起こる味わいの見事な一体感は筆舌に尽くしがたい。
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