Toscana(トスカーナ)

首都にフィレンツェを構え、イタリア随一の観光地でもあるトスカーナ。

ワイン造りの歴史は紀元前8世紀からと言われており、現在でもピエモンテと並んでイタリアを代表する銘醸地である。

主要なDOCGとしては、バローロと並びイタリアを代表するブルネッロ・ディ・モンタルチーノや、日本での知名度が非常に高いキャンティなどがある。

特にキャンティ・クラシコでは2014年にリゼルヴァのさらに上のカテゴリーとして「グラン・セレツィオーネ」が制定され、元々ピンキリだったその価格差はさらに上に広がることとなった。

 

■主なブドウ品種

~赤~

・サンジョベーゼ

病気に強く土壌も選ばない、その上収穫量も多いため、イタリア全土で造られている黒ブドウで生産量もNo.1。

若いときにはスミレの香りやブラックベリーの風味があり、熟成を重ねるとより香りが強くなる。

タンニンはほどほどで、醸造によって性格が変わるので捉えどころのない割とニュートラルな品種。

~白~

・ヴェルナッチャ

特にDOCGヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノに用いられる白ブドウ。

繊細で軽やか。長熟には向かず、テーブルワインとしての役割が強い。

・ヴェルメンティーノ

スペインからイタリアに伝わった、フランスのコルシカ島が原産と諸説あるが、真相は分かっていない。

海の近くの風通しが良く乾いた場所を好み、寒さに弱いためトスカーナでは主にボルゲリで造られる。

お花やハーブの香りが主体で、酸は穏やかでほのかな苦みもある。

■主要なDOCG

ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ

モンタルチーノ地区のサンジョベーゼ・グロッソ100%で造られるブルネッロは、ピエモンテのバローロとイタリアワインの双璧を成すことで知られている。

その歴史は意外にも浅く、世界的なブームが訪れたのは90年代に入ってからなのだ。

・歴史

DOCGブルネッロ・ディ・モンタルチーノの成り立ちは非常に特殊な歴史を辿っている。

通常DOCGとは、土地に根付く伝統的なワイン造りや製法にある程度基づいて制定されるのだが、ブルネッロの場合は違う。

たった1人の生産者が造っていたものがブルネッロ・ディ・モンタルチーノとして認められ、その名前と製法がモンタルチーノのものになった。

その生産者こそがビオンディ・サンティである。

ブルネッロの歴史はビオンディ・サンティの歴史といっても過言ではない。

1800年代モンタルチーノ地区は貧しく、現金回収が難しい長期熟成向きの高級なワインなぞ造ることはできず、赤ワインはサンジョベーゼやカナイオーロ、トレッビアーノなどをブレンドした早飲み用のワインが主流だった。

その中でも特にサンジョベーゼは長い間モンタルチーノで栽培されていたが、1870年にフェルッチョ・ビオンディ・サンティが偶然サンジョベーゼの優れたクローンを発見。

フェルッチョはそれをサンジョベーゼ・グロッソと名付けフィロキセラ後の畑に植え替えた。

彼はこの品種に長期熟成のポテンシャルがあると確信し、バローロと同じように大樽で4年間長期熟成させてついに1888年、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノが誕生した。

それは今までトスカーナには存在しない、間違いなく素晴らしいワインだった。

1920年代、フィロキセラがトスカーナを襲撃した際に、植え替え用のワインとして他の農家にもサンジョベーゼ・グロッソを推奨したが、植え替えたばかりのブドウは生産性が低く、なるべく早くワインを売りたい農家たちは4年間の熟成期間を待つことができずブルネッロの生産は広がることはなかった。

その間にもビオンディ・サンティの名声は高まり、モンタルチーノは『ワイン産地』というより『ビオンディ・サンティがワインを造る土地』であった。

1966年、ブルネッロのDOC昇格を目指そうと、今度は農家側がビオンディ・サンティの戸を叩いた。

こうしてブルネッロの生産は徐々に広まり、1967年にDOCブルネッロ・ディ・モンタルチーノが誕生し協会が設立された。

しかし、当時のブルネッロの畑は64ha(現在は2,000haを超える)で、生産量も非常に少ない。

DOCが認定されたところで、それは早急に、確実に生活を潤してくれるものではなく、他の作物の栽培や家畜の飼育と兼業する農家が圧倒的に多かった。

ちなみにこの時の規定ではサンジョベーゼ・グロッソの他に10%、他の品種をブレンドすることが認められている。

『サンジョベーゼ・グロッソ100%』の規定が定められたのはDOCGに昇格した1980年から。

ビオンディ・サンティとその他という縮図を崩せないままでいた状況に新しい風を吹き込んだのがバンフィだった。

1970年代、アメリカから進出したバンフィは世界的なセールス網を駆使してブルネッロの知名度を高めると、それを見た地元農家たちも生産に力を入れ始め新規の生産者が参入。

そして90年代に大々的なプロモーションが成功し、世界的にブルネッロは超人気ワインとしての地位を確立した。

実は現在の形のブルネッロ・ディ・モンタルチーノが出来上がったのはつい最近のことなのである。

・スタイル

そんなものだから、ブルネッロとしての歴史はとても浅く、どの畑が良いとか、どういった醸造方法が適しているとか、いまだに多くの生産者が各々のスタイルを模索している。

あえて言うのであれば、奥行きや深さ、余韻の長さや伸びが秀逸で、厳格さよりも力強さとエレガンスが共存する。そんなワインだと思う。

また、樽で熟成する期間が長い=酸素と触れ合う期間が長いため、必然的にリリースされたばかりでも伸びやかさと酸化熟成のニュアンスが出やすいのも特徴の1つ。

サンジョベーゼを使うワインはたくさんあるが、ブレンドを一切せず純粋にサンジョヴェーゼを突き詰めた、まさに究極系の形がブルネッロだろう。

番外編 ブルネッロ・スキャンダル

2008年、ブルネッロ界隈に大きなスキャンダルが走る。

通常サンジョヴェーゼ100%で造らねばならないブルネッロ・ディ・モンタルチーノに、他の品種をブレンドし偽装している生産者がいるという疑惑が持ち上がったのだった。

イタリア当局は、722,500ケースに及ぶブルネッロ・ディ・モンタルチーノと78,000ケースのロッソ・ディ・モンタルチーノを差し押さえ、その正真性の調査にあたった。

捜査対象となった生産者にはフレスコバルディやアンティノリ、バンフィといった大手生産者も含まれ、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノの知名度の高さも相まって世界的なスキャンダルに発展。

ブルネッロ協会からはロッソ・ディ・モンタルチーノに関してはブレンドを許す声が一部上がるも、最終的にそれは否決された。

最終的な報告書では、144,000ケースのブルネッロ・ディ・モンタルチーノと75,000ケースのロッソ・ディ・モンタルチーノがIGTに格下げされたという。

スーパータスカン

『スーパータスカン』、『スーパートスカーナ』と呼ばれるワインは一般的にどのDOCGにも属さずとも、独自のアイデンティティを持ち非常に高価なワインを指す。

「スーパータスカンとは、トスカーナで造られて、おいしくて、高いワイン」と26代目のアンティノーリ会長は自虐を交えて話す。

それだけ、このカテゴリライズされたワインに共通点はない。

なのでこの呼び名を嫌がる生産者は多いそうだが、他にしっくりくる呼び名がないのもまた事実。

・元祖スーパータスカン

スーパータスカンの元祖と言われているのがアンティノーリ社の造るティニャネッロである。

1966年に当主であったピエロ・アンティノーリは、地元であるキャンティのワインがどんどん粗悪なものになっていく中で、全く違う良いものが造れないか模索して当時28歳で世界のワイン産地を旅し、カリフォルニアのロバート・モンダヴィに感銘を受けたという。

所有していたティニャネッロ農園に栽培されていたサンジョヴェーゼは品質も良く、20世紀初めからカベルネ・ソーヴィニョンも植えられており、可能性を感じたピエロと醸造家のジャコモ・タキスらは、1971年フランスの醸造技術を取り入れながら新樽のバリックで熟成。

2万本生産されたこのワインは驚くほど高品質だった。

しかしサンジョヴェーゼにカベルネをブレンドするDOCは存在しておらず、格付けとしては最も下のVdTとして販売することになった。

キャンティクラシコとは全く異なる斬新な味わいであると同時に、国際品種を取り入れることで世界的にも受け入れられやすく、格付けがなくとも成功を収めた。

・ボルゲリ

海岸地帯であるボルゲリは当時競走馬を育成するエリアで、ワイン産地としては全く無名だった。

貴族であり馬主でもあったマリオ・インチーザ・デッラ・ロケッタ侯爵が海岸沿いのテヌータ・サン・グイドに移住。

大のボルドーワイン好きであった彼は某5大シャトーから苗木をもらい受けカベルネ・ソーヴィニョンとカベルネ・フランを植え、サッシカイアというワインを自家消費用ワインとして造っていた。

(当時ブドウの栽培はやや内陸の山側の斜面で行われていたが、現在はワイナリーのある国立公園を挟んだ海沿いの平地に移動している。

元あった畑のエリアはボルゲリとして認められなかったため、現在使用されていない。)

水辺近くの砂利質の土壌という立地は奇しくもボルドーのグラーヴに似ており、カベルネの栽培には向いていたのである。

実はこのロケッタ侯爵という人物は、ティニャネッロを生んだピエロ・アンティノーリの叔父。

その繋がりでアンティノリで醸造をしていたジャコモ・タキスが招かれ、ティニャネッロのように近代的な醸造プロセスを取り入れたことにより品質が劇的に向上。

さらにボルドーともカリフォルニアとも違う、トスカーナならではの柔らかい優美さを持ったカベルネはわかりやすく早い段階から美味しく、多くの人に受け入れられ、ボルゲリの知名度も飛躍的に伸びた。

結果的に新たなワイナリーの参入が相次ぎ、どんどん畑は開墾された。

後進的に開かれた畑は他の栽培地と違ってきれいに区画整備がされており、航空写真を見ると日本の田園地帯のように整っている。

現在はDOCボルゲリのエリア内は全て開墾されつくされており、これ以上開拓できる場所がまったくない。

これからボルゲリに参入を試みるのであれば畑かワイナリーを買い取るしかない。それも相まって価格の上昇が著しい。

・IGTとDOC

ボルゲリの生産者たちはDOCのことなど考えずに自分の好きなワインを造った結果、高い評価が付き結果としてボルゲリが有名なワイン産地となった。

その後1994年にはDOCボルゲリ・ロッソが制定されている。

しかし伝統色が強いキャンティ・クラシコ地区では、長い間国際品種のブレンドが認められなかったため、それが認められた今でもアンチテーゼの意味を込めてティニャネッロやモンテヴェルティネはIGPを名乗っている。

スーパータスカンには伝統も格付けも、基準点もない。

各々が好きなものを造り続けるだけで周りがそれを勝手に評価するだけだ。

歴史を非常に大切にする一面がありつつも、新しい物が大好きで型にはまらないイタリア人の気質が形になったワイン。

それがスーパータスカンなのかもしれない。

DOCサンタンティモ

モンタルチーノの生産者たちはスーパータスカンの成功によって、自分の造りたいものを追求し結果的にDOCGを名乗らなくても品質が良ければ高値で売れることが立証され「呼称より品質」の流れはより強くなっていった。

VdTのワインが増え続けることを危惧した協会によってDOCサンタンティモが制定された。

サンタンティモはサンジョベーゼ以外にもカベルネ・ソーヴィニョン、メルロー、ピノ・ノワールも使用でき、白ワインも生産できる。

白はシャルドネ、ソーヴィニョン・ブラン、ピノ・グリージョを使用可能。

しかしモンタルチーノの生産者たちは、DOCサンタンティモはあくまで規制をするためのDOCという認識が強く、DOC申請を通してもあえてIGTでリリースすることも多いらしい。

キャンティ、キャンティ・クラシコ

キャンティとキャンティ・クラシコの生産量は合わせて約1億3,000万本と、数あるDOCG、DOCの中でも最多の部類。

貧しかったモンタルチーノ地区とは対照的に、キャンティのエリアは商業都市のフィレンツェとシエナに挟まれており栄えていた。

さらにサンジョヴェーゼが伝統的に栽培されていたことは共通しているが、ブレンドの自由度が高いため早くから飲むことが出来る親しみやすい味わいにすることが可能で、歴史的にも早くから人気のあるワインだった。

・歴史

フィレンツェとシエナの間の丘陵地帯に広がるキャンティ地方では、14世紀からワインの生産が行われており、そのままワインは地方の名前を取って「キャンティ」と呼ばれていた。

1398年の記録によれば、キャンティの起源は白ワインだったらしい。

1716年、トスカーナ大公のコジモ3世によってキャンティの生産ゾーンが制定され、そのエリア内で造られたワインを正式にキャンティと認められるようになった。

品種の規定は明確に無く、いつしかキャンティは伝統的な品種であるサンジョヴェーゼから作られるようになる。

そしてベッティーノ・リカソーリ男爵によって、「フォルムラ」と呼ばれるブレンドの黄金比率が考案された。

その比率が「サンジョヴェーゼ70%、カナイオーロ20%、マルヴァジア10%」。

このリカゾーリ男爵が作ったフォルムラは、サンジョヴェーゼを軽く飲みやすい味わいにし親しまれ人気を博した。

(1967年、イタリア政府によって設定されたDOC規制により、10〜30%のマルヴァジアとトレッビアーノを含むサンジョヴェーゼベースのブレンドが確立するまで、まさにこのフォルムラはキャンティの基礎となった。)

20世紀初頭、キャンティワインの名声が年々高まり、決められた生産地域だけでは国内外の需要の高まりに対応できなくなる。

そして生産量を増やそうと規定の生産地域外でワインが造られるようになるが、それも同じキャンティと呼ばれていた。

どんなに品質の悪いワインを造ってもキャンティと名乗るだけで売れる、異常な状況が出来上がってしまったため、古くから真面目にワインを造っていた生産者たちが「キャンティ」を守ろうと活動を始めた。 

そして、1924年に原産地保護団体を設立。

1932年には原産地で作られたキャンティを区別する規定が発行され、該当するワインにはキャンティ・クラシコと呼ばれるようになった。

それ以来、1716年に定められた地域外で生産されたキャンティワインは「キャンティ」と呼ばれ、区別されるようになった。

原産地保護団体が設立されたときに選ばれた商標は、フィレンツェのヴェッキオ宮殿の天井に描かれたブラックルースター(黒いニワトリ)で、現在もキャンティ・クラシコにはこのモチーフが描かれている。

1984年にはキャンティがDOCGに昇格。

この頃から10%まで国際品種もブレンドが可能になり、1996年にはキャンティ・クラシコがキャンティから独立し、単独でDOCGを名乗れるようになった。

これと同じ時期に、サンジョヴェーゼ100%での醸造が認められ、国際品種のブレンド比率が15%、2000年には20%と引き上げられた。

これによってブルネッロ・ディ・モンタルチーノのように長熟向きのキャンティが徐々に造られるようになると同時に、国際的にも受け入れられやすい味わいで国内外でさらなる人気を呼ぶことになった。

・スタイル

サンジョベーゼにカナイオーロやコロリーノなどの土着品種だけでなく、カベルネ・ソーヴィニヨンやメルロなどの国際品種もブレンドが認められているキャンティは自由度が高く、生産者によってスタイルもバラバラで価格もピンキリ。

一般的にはカジュアルで早飲み向きな食中酒としての役割が強いが、長熟に向く高価なものもある。

昔はボトルをフィアスコと呼ばれる藁に包んで販売がされていたが、現在は現地のお土産屋さんでしか見かけることはない。

【キャンティ】

あとから広がったエリアのため砂利や砂のエリアもある。

軽い早飲み、

【キャンティクラシコ】

ガレストロはキャンティクラシコにしかない

キャンティクラシコは結構タイト。サンジョベのタイトさがストレートに出ている。厳格。

いいものは20年くらいの熟成は余裕に耐える。

・グラン・セレツィオーネ

DOCGキャンティ・クラシコのリゼルヴァの格上に当たるグラン・セレツィオーネが2014年2月に制定された。

自社畑、さらに単一畑のブドウを使い、リゼルヴァよりも6ヶ月長い30ヶ月以上の熟成期間を設け、最低アルコール度数は13%。

そしていくつかの官能検査をクリアしたものがグラン・セレツィオーネを名乗れるようになる。

2010年ヴィンテージ以降のものが認められ、当時協会はDOCGキャンティ・クラシコの約8~9パーセントがグラン・セレツィオーネの資格があると推定していたが、今後この比率がどれだけ高くなるかは未知数。

伝統的にワイン造りが行われていた産地
主なDOCG 認定年 主なブドウ品種
ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ 1980 サンジョベーゼ・グロッソ
キャンティ 1984 サンジョベーゼ
キャンティ・クラシコ 1984 サンジョベーゼ
カルミニャーノ 1990 サンジョベーゼ、カベルネ・ソーヴィニヨンなど
振興産地
産地名 認定年 主なブドウ品種
ボルゲリ・ロッソ 1994 サンジョベーゼ、国際品種
モンテクッコ・サンジョベーゼ DOCG 2011 サンジョベーゼ
モレッリーノ・ディ・スカンサーノ DOCG 2006 サンジョベーゼ
CTA-IMAGE Firadisは、全国のレストランやワインショップを顧客とするワイン専門商社です。 これまで日本国内10,000件を超える飲食店様・販売店様にワインをお届けして参りました。 主なお取引先は洋風専門料理業態のお店様で、フランス料理店2,000店以上、イタリア料理店約1,800店と、ワインを数多く取り扱うお店様からの強い信頼を誇っています。 ミシュラン3つ星・2つ星を獲得されているレストラン様のなんと70%以上がフィラディスからのワイン仕入れご実績があり、その品質の高さはプロフェッショナルソムリエからもお墨付きを戴いています。
Translate »