Vosne-Romanee (ヴォーヌ・ロマネ)
- ブルゴーニュ
- DRC, アペラシオン, アンリ・ジャイエ, ヴォーヌ・ロマネ, エシェゾー, グラン・クリュ, テロワール, ピノ・ノワール, フランス, フランス革命, ブルゴーニュ, マダム・ルロワ, ロマネ・コンティ, ワイナリー, 生産者
神に祝福された土地、ブルゴーニュの至宝 ロマネ・コンティという伝説 ビロードのような官能的なスタイル
目次
■特徴
ネックレスの中央の真珠、王冠の宝石。
この村はいつも輝かんばかりの言葉で形容される。
豪華絢爛でありながら慎ましく、奔放であり厳格。常に相反する2つの要素を合せ持つからこそ、このワインは見抜きづらく人々を魅了する。
一体、ヴォーヌ・ロマネの本質とはどこにあるのだろうか。
『ロマネ』
ヴォーヌ・ロマネといえばロマネ・コンティ、ロマネ・コンティといえばヴォーヌ・ロマネ。
ヴォーヌ・ロマネの歴史はロマネ・コンティとあると言っても過言ではない
ワインに詳しくない人でも必ず1度は耳にしたことのある伝説的なワイン。
その歴史は約1000年前までさかのぼる。
元はサン・ヴィヴァン修道院が所有していた畑の一部であり、現在も修道院跡はDRCのセラーとなっている。
当時ロマネと呼ばれたその畑は、数々の寄進や売買が行われた末1760年にルイ15世の従兄弟であるコンティ公へ渡った。
その頃すでにロマネは周りの畑の10倍近い価格が付いており、いかに優れた畑だということが伺える。
コンティ公は40人の愛人と共に贅を尽くした暮らしをしていた。最高の絵画を集め、パリ随一のオーケストラを抱え、芸術に関してすさまじいこだわりを持つ彼の食卓にはやはり最高のワインが必要だった。
その結果ロマネはコンティ公が独占し、世間に出まわることがなくなった。
1794年、フランス革命によって畑は没収され競売にかけられるのだが、そのころからこの畑はロマネ・コンティと呼ばれるようになった。
1911年、ロマネ・コンティはオベール・ド・ヴィレーヌ氏の手に渡りドメーヌ元詰をいち早く開始する。
その翌年彼はドメーヌにドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティの名を付けた。D.R.C.の誕生である。
(通常、畑名をドメーヌ名にすることは禁止されているがどういうわけかD.R.C.だけは認められている。)
今や自動車が買えるような価格と名前だけが独り歩きして、ビジネスや地位の顕示欲に利用されるロマネ・コンティを、純粋にただ1本のワインとして本質をとらえようとする人はどれだけいるのだろうか。
本物より多い偽物が世界に溢れ、ベールに包まれるロマネ・コンティ。伝説は加速する。
テロワール
4つのモノポールを含むグラン・クリュが8つ、時としてグラン・クリュさえも凌ぐワインを生み出すプルミエ・クリュが14存在する。
2つの丘から成るヴォーヌ・ロマネは北側のフラジェ・エシェゾー村と南側のヴォーヌ・ロマネ村に分けることができる。
エシェゾー、グラン・エシェゾーを有する北側の方が表土が浅く、石が堆積し粘土が少ないためエレガントでフィネスのあるスタイルとなる。
ロマネ・コンティやリシュブール、ラ・ターシュなどを有する南側は斜度が緩いため粘土が堆積しやすく、さらに暖かな風が吹くため力強く長熟なワインができる。
このアペラシオンは全体的に真東を向いているが、村の中央部分には北東や南東を向いている部分もある。
昔は現在よりも平均気温が低くブドウが熟しづらかったため、陽の当たる時間が短い北を向いた畑は一般的に良くないとされていた。
だからこそ北東を向き、かつてはキクイモ畑だったクロ・パラントゥから唯一無二の偉大なワインを造ったアンリ・ジャイエは伝説となったのだろう。
エシェゾーとグラン・エシェゾー
『集落』を意味するラテン語が語源とされるエシェゾーは37.69ha、11の区画から成るグラン・クリュ。
しかし元々は3haの区画、レ・エシェゾー・デ・デュスのみがエシェゾーと呼ばれていた。
1937年アペラシオン制定の時にフラジェ・エシェゾー村はヴォーヌ・ロマネに統合された見返りに当時のエシェゾーに加えて周りの区画もグラン・クリュに認めさせた結果が今日に至る。
だからエシェゾーとひとくくりにしても、元は違う区画、味わいに差が出るのは当たり前の話しなのだ。
現在では約50の生産者がエシェゾーを所有。
レ・トゥルーの区画を一部所有するドメーヌ・ビゾは『グラン・クリュの品質ではない』としてプルミエ・クリュに格下げしてリリースをしている。
ちなみにエシェゾーの大所有者であるモンジャール・ミュニュレはレ・トゥルーをアメリカ向けに、エシェゾー・デ・デュスを国内とその他の国向けに造っている。
「レ・トゥルーは複雑さに欠けるが肉付き良く、デ・デュスは緻密でエレガントなワインとなる」とモンジャール氏は語る。ボトルを見るだけでそれを判別するのは困難だが、ぜひ飲み比べてみたいもの。
『偉大なエシェゾー』を意味するグラン・エシェゾーは、今ではその名の通りエシェゾーより優れた畑として知られる。
実はAOC発足の際には単純に『大きいエシェゾー』という意味でグラン・エシェゾーという名が付いた。(約9.19hl)
隣り合うアペラシオンだがキャラクターは似ておらず、グラン・エシェゾーは口当たりがリッチで酸が穏やか。
『伝説』DRCだけでなく『神様』アンリ・ジャイエ、『天才』マダム ルロワ、この村からは多くの神話が生まれる。
偉大な畑と偉大な生産者。それがヴォーヌ・ロマネの神格化を推し進めているのだろう。
ただ忘れてはいけないのが、ワインはブドウからできる農作物であり、彼らもまた私たちと同じ1人のワインラヴァーなのだ。
名前、価格、伝説、そういうものを取りはらってワインに向き合った時ヴォーヌ・ロマネの本質がみえるのだろう。
■データ(出典:ブルゴーニュワイン委員会)
栽培面積 | 154.04 ha |
土壌 | 粘土がまざった泥灰土と石灰岩で、深さは数十cmから1mに及ぶ |
生産量 | 5,976hl |
ワイナリー数 | |
グラン・クリュ | 8 |
プルミエ・クリュ | 14 |
栽培品種 | ピノ・ノワール |