Leflaive(ルフレーヴ)

ルフレーヴはピュリニー・モンラッシェの頂点に君臨するドメーヌである。ブルゴーニュ最上を謳うワイナリーは少なくないが、まごうことなき最上のドメーヌであり、世界最高峰のシャルドネの名手である。

 

歴史

ルフレーヴ家の歴史は1717年にまで遡ることができる。ドメーヌは1910年に元エンジニアのジョセフ・ルフレーヴによって設立された。彼は1905-1925年の間にピュリニーの畑を買い集め(約24ha)、ドメーヌの基盤を築いた。ここにはChevalier-Montrachet、Batard-Montrachet、Bienvenues-Batard-Montrachet、1er Les Pucelles、1er Clavoillonなどの珠玉の畑が含まれるが、フィロキセラの影響で当時の地主たちは喜んで畑を売ってくれた。1953年にジョセフが逝去すると、息子ヴァンサンとジョーが引き継いだ。

その後1990年にヴァンサンの娘アンヌ・クロードとジョーの息子オリヴィエがドメーヌを継ぐ。オリヴィエが自身のネゴシアンに専念するため1994年にワイナリーを離れると、アンヌ・クロードが一人当主となった。畑をビオディナミに転換し、周りを啓蒙した彼女の時代こそがルフレーヴに不動の地位を築かせた黄金期といえる。一方、Decanter誌のインタビューでLafonのマコンにインスパイアされたと語る彼女は、2004年にマコンに畑を買い生産範囲を拡張した。このビオディナミ導入からマコンへの拡張まで激動の時代を裏で支えたのがピエール・モレである。ムルソーに自身のワイナリーを持つ彼が激動期のルフレーヴの栽培・醸造責任者としてアンヌ・クロードとタッグを組んだ。2008年にピエール・モレが引退すると、モレの右腕だったエリック・レミーが後任に任命された。

2015年、アンヌ・クロードは早すぎる死を迎え、その後を継いだのは彼女の甥のブリス・ド・ラ・モランディエール。エリックが2017年にドメーヌを去ると、モランディエールはVougeraieで10年間ワインメーカーを務めたピエール・ヴァンサンを新たに招いた。ピエール・ヴァンサンはセラーと畑の両方を見るが、その責任は以前よりも大きくなっている。というのも、モランディエールはピュリニーとマコンの畑を拡張し、さらにオート・コート・ド・ボーヌにも畑を購入したからである。加えて2018年からはネゴシアンEsprit Leflaiveもスタートした。

 

ピュリニー・モンラッシェに約24haの畑を所有。特級は約5haで、Chevalier Montrachet(1.99ha)、Batard Montrachet(1.91ha)、Bienvenues Batard Montrachet(1.15ha)、Le Montrachet(0.08ha)である。

1erは約11haで、Les Combettes(0.7ha)、Les Pucelles(2.8ha)、Le Clavoillon(4.8ha)、Les Folatieres(1.2ha)、加えてムルソー・ブラニーのSous le Dos d’Ane(1.6ha)を所有する。

村名は約5haで、斜面下部の7区画がブレンドされる。広域のブルゴーニュ・ブランはピュリニー内にある斜面下部の2haから。マコンには20ha以上の畑も持つ。

 

栽培

アンヌ・クロードのビオディナミへの旅は1989年に始まった。きっかけはJean Claude Rateauのイベントチラシを見たことだった。このイベントで微生物学者クロード・ブルギニヨンは生きた土壌について語り、アンヌは自分の畑が殺虫剤、除草剤、抗菌剤、化学肥料によって傷つけられてきたことを実感した。以来これらの使用を停止し、1990年からBienvenues Batard Montrachetでビオディナミのトライアルをスタート。1992年には全体の1/3まで拡張し、1997年から1998年にかけて全範囲をビオディナミに転換させた。

この背景にはアンヌ・クロードの人しれない苦悩があった。というのも、それまで何十年も畑でやってきたベテランたちに、やり方を根本的に変えるよう頼まなければならなかったからだ。「何かが変わるという確信はあったものの、それが何なのかわからなかった」という彼女の内面は、常に不安との戦いだったはずである。しかし、自分の道を信じて突き進んだアンヌ・クロードとチームは、実験を繰り返すうちに不安が消えていくのを実感する。同じ区画内でオーガニックとビオディナミに分けてブドウを育て、ブラインドで試飲するというこの実験は何年も繰り返し行われた。そのほとんどでビオディナミの方がより複雑で、ピュアな味わいであった。

こうしてルフレーヴの土台を作り上げたアンヌ・クロードは、しばしばルロワと並んでブルゴーニュにおけるビオディナミの母と呼ばれている。アンヌ・クロード亡き後も、モランディエールによってこの哲学はしっかりと受け継がれている。

 

醸造

世界最高峰の品質を誇るルフレーヴのワインは非の打ち所がない用に見えるが、実は2004年頃からある問題に頭を悩まされ続けてきた。プレモックスの名で知られる熟成前酸化である。それはアンヌ・クロードとタッグを組んだピエール・モレの時代から始まり、エリック・レミーの時代になっても悩みのタネで有り続けた。

この問題に目を背けなかったのがモランディエールとピエール・ヴァンサンのタッグである。実際に二人はプレモックスをなくすために様々な変化を取り入れた。例えば、まずは収穫からプレスまでの時間の短縮である。プレス機を新調して数を増やしたことでケースに入ったままのブドウが順番待ちをする時間を大幅に減少させた。
次にブドウの破砕である。2015年以前までは年によって破砕するかしないかを決めていたが、現在は基本的に破砕をする。これによってリンゴ酸を分解してpHを上げてしまう細胞内発酵が阻止できるからである。
さらにプレスをより長く行い、マスト内の酸化しやすい成分をあえて早めに酸化させるアプローチも取り入れた。先に酸化させることでワインは発酵後の酸化に強くなるためである。
また、発酵期間も短くなった。以前は発酵が自然に始まるのを待っていた。「それだと2週間かそれ以上かかりプレモックスのリスクを高めてしまう」とモランディエール。現在は、一部早めに収穫を行ったブドウであらかじめ発酵果汁を作っておき、これをスターターとして使用しメインとなるブドウの発酵開始速度を早めている。
熟成においてもプレモックス対策を徹底している。まず2016年以降ワインの樽移動を止めた。アンヌ・クロードの時代、ワインは樽熟成の最終段階(翌年の晩夏)になると離れた別のセラーへと移動させ、そこでタンクに移していた。これにはラッキングやポンピングを必要とするし、輸送中の揺れはワインを酸素から守ってくれるCO2を飛散させてしまう。現在はセラーを拡張したことで樽移動が不要となり、ワインをより優しく扱えるようになった。
最後にコルク対策である。ナチュラルコルクとの比較実験を通して、2014年からDiamコルクに全面移行した。これによってブショネの原因となるTCAのリスクが下がり、瓶差も少なくなり、酸素透過率が低いおかげで瓶詰め時のフリーSO2を以前よりも低く抑えられるようになった。

 

味わい

ルフレーヴの味わいを一言で言うならば「張力」だろう。強靭なストラクチャーが生み出すこのテンション・張力がすべての中心にある。直線的でレーザーのようにシャープな酸と密度の高いフルーツ・凝縮感が融合することで張力とパワーが結びつき、突き抜けるようなフィニッシュへとつながる。両者のバランスが崩れて膨張するということは決してなく、あくまでも抑制された緊張感を感じる。これがルフレーヴの品格を生み出している。アロマにみられる特徴は、濡れた石のようなミネラル感にフリントやマッチの香ばしさが溶け込んでいることである。このミネラルが白い花やシトラスゼスト、焼き立てパンなどの要素と混ざり合って複雑なアロマを作る。また、アタックから感じる潮の飛沫や塩っぽさも切れのある味わいに貢献している。

 

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