GC Corton(コルトン)、Corton-Charlemagne(コルトン・シャルルマーニュ)
コート・ド・ボーヌで唯一 赤ワインのグラン・クリュ所有村
目次
■特徴
ラドワ=セリニー、アロース=コルトン、ペルナン=ベルジュレスの3つの村から成り立つグラン・クリュのコルトンとコルトン・シャルルマーニュは、コルトンの丘の斜面にぐるっとぶどう畑が広がっている。
その合計面積は約160haと非常に広大。例えるなら東京ディズニーランド3個分。
しかしその広さと特殊なAOC規定があいまってコルトンについての一般的な認識は薄く、理解するにも煩雑を極める。
それを整理し、様々な視点からコルトンの丘を眺めることで多様な顔を持つこの地域を攻略することができるだろう。
ポイント①
赤・白ワインどちらの生産も認められており、基本的には
西向きの斜面(1a)、東から南向きの斜面上部(1b)…白ワイン
東から南向きの斜面中腹(2)…赤ワイン
が産出される。
テロワールの違い
これだけ広いのだからもちろんテロワールにも大きな違いがみられる。
まず西を向く斜面は、主に日照量や気温の低さからピノ・ノワールには向いていないとされ、白ワイン、つまりコルトン・シャルルマーニュが作られることが多い。
また、東~南を向く丘の最上部では石灰岩が多く含まれ冷涼なためシャルドネも植えられている。
前者はミネラルががっちりとしたスタイルで、後者はぽっちゃりとしたボリューミィなスタイルとなる。
斜面を下っていくと粘土や鉄分の割合が多くなり、赤ワイン、つまりコルトンが作られるようになる。
特に良いとされているのが東を向く斜面中腹の単一区画のクロ・デュ・ロワを筆頭に、ルナルドの中腹、ブレッサンドの上部で強固で厚みがあり長期熟成に適したワインができる。
ポイント②
AOCコルトンの区画で白ワインを造った場合
斜面上部のLe Corton ,Les Renardes,Le Rognet et Cortonではコルトン・シャルルマーニュ、またはコルトン・ブランを名乗れる。それ以外の区画にシャルドネを植えられることは稀だが、その場合はコルトン・ブランを名乗れる。
AOCコルトン・シャルルマーニュの区画で赤ワインを造った場合
コルトンを名乗れるが『コルトン』+『畑名』の名前でワインをリリース出来ない。
異質なAOC規定
コルトンを形成する畑はいくつもの単一区画に分かれている。
上記のとおり、基本的には西向きの斜面からコルトン・シャルルマーニュが生産される。
ただコルトンの区画である、東から南向きの斜面のいくつかの区画でもシャルドネが栽培されており、そこから生産される白ワインもコルトン・シャルルマーニュを名乗れる。
なのでこの区画ではコルトン・ブラン、コルトン・シャルルマーニュのどれでも名乗ることができる。
しかしコルトン・ブランの名前でリリースする生産者は非常に稀で、ほとんどがコルトン・シャルルマーニュとしてワインをリリースしている。
逆にコルトン・シャルルマーニュの畑で赤ワインを生産するとどうなるか。お察しの通りコルトンを名乗れる。
ただ、その場合は畑名を名乗ることができないが、ドメーヌ・ボノー・デュ・マルトレイは毎年少量の赤ワインを生産している。
コルトンと認められた区画の中で赤ワインを造れば『コルトン』+『畑名』の名前でワインをリリース出来る。
他のアペラシオンでは本来禁止されているが、近年コルトンを習ってなのか畑名をつけ始める生産者が出てきた。(クロ・ド・ヴージョ グラン・モーペルチュイやエシェゾーなど)
逆に言えばラベルに単なるコルトンとしか記載がなければ、160haある区画の中のどこかの畑をブレンドして作られている可能性が高い。
(”ル”・コルトンは丘の頂上一帯にある単一畑。ルイ・ラトゥールがリリースするコルトン・グランセは畑名ではなく商品名で、4つの区画をブレンドされたキュベ。ややこしい。)
対照的に、コルトン・シャルルマーニュではなぜか畑名を名乗ることができない。
この通り畑の品質を守るための原産地呼称がもはや全く機能しておらず、逆にややこしさに拍車をかける要因になってしまっているのが現状。
なぜこのような現状になってしまったのか、歴史的背景から読み取っていく。
■全ての始まりはグラン・クリュ コルトン&コルトン・シャルルマーニュ
歴史
ボーヌで唯一赤のグラン・クリュであるコルトンはローマ帝国のカール大帝が所有したことで良く知られており、ボーヌと並んで歴史の深い畑でもある。
最初に記載した通りコルトンとコルトン・シャルルマーニュはラドワ=セリニー、アロース=コルトン、ペルナン=ベルジュレスの3つの村にまたがっているのだが、実はアペラシオンの制定以前、この3つの村で出来るワインは全て『コルトン』として売るのが普通で、古くからその名前のワインは人気があった。
しかし1920年代、アペラシオンの線引きをする際にラドワとペルナンではコルトンを名乗ることは認められなかったのである。
『コルトン』の名前がないと今後生き残れないと考えたラドワは、昔の慣習を盾に不服を訴えた。
対して村外の区画はグラン・クリュに値しないと考えるアロースは控訴するも結果的にラドワの訴えが認められた。
それに続くように10年後にはペルナンも、続けとばかりにコルトン・シャルルマーニュの名前を得るため裁判を起こす。
同じく追加される区画はグラン・クリュに値する品質ではないとアロースも控訴を起し、各村々は長い訴訟合戦に明け暮れた。
最終的にコルトンは東西270度もの方角を向き、高低差は100mもあるひどく広大なグラン・クリュになったのだった。
それはもはや1つのグラン・クリュとは言い難く、さらに200以上もの所有者がいるのだから品質の差が大きく出るのは当たり前で、これがコート・ド・ニュイのグラン・クリュに1歩劣る大きな要因だろう。
■D.R.C.の参入
『コルトン』という名前ありきでワインを販売してきたツケで、品質に差ができグラン・クリュとしていかがなものかとコート・ド・ニュイに後れを取り、結果的に自分の首を絞める形になっているコルトン。
しかし2009年、DRCが参入するというビックニュースが流れた。
なぜ今コルトンなのか。そこにはお家関係もあることにはあったが、ワイン界の王様DRCの看板を背負う以上そこには必ずラインナップに加えるべき優位性があったのだと思う。
畑は大公家のドメーヌ・プランス・フローラン・ド・メロードからクロ・デュ・ロワ、ブレッサンド、ルナルドの3つの畑を30年間貸与するという契約で、古木だけをアッサンブラージュされている。
この吉報を他のコルトンの生産者たちは歓迎しており、よりコルトンの評価が上がることを期待している。
■データ(出典:ブルゴーニュワイン委員会)
栽培面積 | 約160ha |
土壌 | |
生産量 | |
ワイナリー数 | |
グラン・クリュ | 2 |
プルミエ・クリュ | |
栽培品種 | ピノ・ノワール、シャルドネ |
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