もう1人のパイオニアを失ったカリフォルニア
- 2022.08.07
- ワインニュース
- Calera Winery, Josh Jensen, カリフォルニア, ピノ・ノワール
画像はCalera WineryのHPより
2021年5月の Au Bon ClimatのJim Clendenen 氏の訃報に続き、2022年6月、マウント・ハーランのピノ・ノワールのスーパースター、Josh Jensen 氏が78歳でこの世を去りました。
カリフォルニアでも素晴らしいピノ・ノワールが造れることをブルゴーニュ人に確信させた Josh Jensen 氏が、6月11日土曜日、78歳で眠るように息を引き取りました。
Calera Winery の創設者である Jensen 氏は、カリフォルニアワイン業界の近代的なパイオニア達よりも少し遅れて登場しましたが、間違いなくそのグループに属する人物でした。テロワールからの影響を強調するために、単一畑のピノ・ノワールに焦点を当て同一の方法で仕込んだ彼のワインは、かつて Jensen 氏の同業者のほとんどが当たり前のようにブレンドをしていたことを忘れさせるほど、今日では当たり前のテンプレートとなっています。
Jensen 氏のワインは興味深く、それは彼自身も同じでした。彼の父親は歯科医で、同僚の歯科医 George Selleck 氏が、若い Josh に高級ワインを紹介したにも関わらず、彼の父はワインを飲みませんでした。Jensen氏はエール大学で歴史を学んだ後、オックスフォード大学で人類学を専攻しました。
彼は人生の最後まで冒険家であり続けました。彼の死因は、キリマンジャロ登山の際にかかった肺炎をコロナで悪化させたことによるものでした。サイクリングを愛し、Dominique Lafon, Christophe Roumier, Egon Müller, Jean-Pierre Perrin といった錚々たるメンバーが名を連ねるワイン生産者達の国境を越えたサイクリストグループに属し、グループはサイクリングを楽しむだけでなく、夜にはグルメを共に楽しんだといいます。
彼がブルゴーニュを自身のワイン造りの場にすると決めたのは、オックスフォード大学在学中の事でした。そうして彼は1970年に Domaine Romanée-Conti でブドウ収穫を行い、その後 Domaine Dujac でも収穫を行いました。彼はキャリアを通し DRC との深い繋がりを持っており、畑のフェンスを飛び越え挿し木を取り、それをスーツケースに入れてアメリカに持ち帰ったという噂もあるほどです。このスーツケースのクローンについて聞かれると、Jensen 氏はいつもモナリザのような笑みを浮かべていました。
現在、Calera というピノ・ノワールのクローンが存在しますが、これは Jensen 氏がピノ・ノワールのパイオニアである Chalone Vineyard からもらった挿し木をもとに生まれた、というのは事実です。彼はそれを繁殖させ、苗木業者に提供しました。このクローンは現在全米に植えられています。
良いテロワール
ブルゴーニュ人は土壌にこだわりますが、Jensen 氏も同様に、鉱山局の地質図を使ってカリフォルニアの石灰岩を探すことに夢中になりました。彼が最終的に見つけたマウント・ハーランの324エーカー (=約130ha) の土地は、電気や水道はもちろん、道路もないほど人里離れた場所でした。しかし、1974年、Jensen 氏はわずか1万8000ドル(現在の日本円:約240万)でこの世界有数のピノ・ノワールの畑を手に入れたのです。
彼の最初のヴィンテージは1978年で、わずか65ケースの生産でした。しかしこの時から彼は Jensen, Selleck, Reedと呼ばれる3つの異なる畑を区別していたのです。彼は、この3つの畑から出来るワインは味が違うと信じていました。Calera Selleck は果実味が主体、Calera Reed は土っぽくてスパイシー、Calera Jensen は滑らかでリッチです。
彼のワインは全て、無濾過、野生酵母、無除梗の全房を使用し、1980年代には“ミニマリスト”と思われた方法で造られました。ブルゴーニュのように熟成させることを前提に、Jensen 氏はこれらのワインのあるべき姿に沿ってワインを造り、市場もそのワインのスタイルを受け入れると信じていました。
Jensen 氏は間違いなくアメリカよりも日本で大きな存在であり、2014年には Calera のワインの37%が日本で売れましたが、Calera Jensen がその理由です。1990年代に日本の漫画「神の雫」で DRC と比較されたことから、このワインは高い評価を得てきたのです。
しかし、Calera は DRC よりもずっと身近な存在です。シングル・ヴィンヤードのピノに加え、Calera は手頃なセントラル・コーストのピノ・ノワールを造っており、かつてはオークランドの野球観戦時にも手に入れる事が出来ました。彼は1980年にシャルドネを植え、その後ヴィオニエとアリゴテを植えました。2007年にはサンフランシスコ・クロニクル誌のワインメーカー・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、2013年にはワイン・スペクテーターの表紙を飾り、「ピノのパイオニア」という見出しが付けられました。
成功の歴史を築いてきたように見えますが、実は Jensen 氏のビジネスはかなりの浮き沈みがありました。 Calera の初期には、偽名でサンフランシスコ・クロニクル誌にレストランレビューを書いて収入を補っており、1980年代もワイナリー経営は赤字が続きました。そして、2000年代半ば、ワインの評価が上がった後でさえも、3年連続で赤字となりスタッフ全員が減給されました。
昨年、Jensen 氏はメディアに「1990年代には、自身の50歳の誕生日パーティーをサンフランシスコで開いた」と語りました。
「私が招待した人達は皆、そのパーティーで同じような話をしました。彼らは、私が“ Calera ベンチャーで失敗する”と思っていたのです。高校や大学の同級生で、皆、私が破産すると話していましたが、私はただただ首をかしげていました」
Jensen 氏には、1男2女の成人した3人の子供がいますが、Calera という彼の遺産を継ぐことはありませんでした。当然と言えば当然です。Jensen 氏は身なりの良い都会的な男性でしたが、マウント・ハーランにある彼の家は、カリフォルニアにあるような田舎だったからです。2017年、彼は自身の挑戦を諦め、ワイナリーを Duckhorn Wine Company に売却しました。翌年、彼は娘の Sylvie と5人の孫のうちの2人の居住地に近い、湾を見渡せるサンフランシスコに引っ越しました。
「私が40年間住んでいた場所では、360度手つかずの風景が広がっていました。電線を全て埋設し、電柱を立てない事にしていましたから。マウント・ハーランでは視界に入る水はゼロでしたが、今は水しか見えません!」と晩年、Jensen 氏はメディアに語っていました。
引用元: California Loses Another Wine Pioneer
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