Charles Heidsieck(シャルル・エドシック)

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パイパー・エドシック、エドシック・モノポール、そしてシャルル・エドシック。

シャンパーニュにはエドシックと名の付くメゾンが3つある。(本家がモノポール)

その中でもシャルルは最も新設のワイナリーであり、最もクオリティの高いシャンパン・メゾンだろう。

シャルル・エドシックが設立した当時のシャンパーニュの輸出先はロシアが主流だったが、創業者のシャルル=カミーユが着目したのは“新大陸”と呼ばれていたアメリカだった。

彼の奇想天外な冒険譚は、『シャンパン・チャーリー』というミュージカルにもなっている。

“チャーリー”とは“シャルル”の英語読みで、アメリカでの彼のニックネームでもあった。

当時アメリカ市場で活躍したシャンパン・セールスマンの中で彼ほど話術に長け、華やかな人物はいなかった。

シャルル=カミーユはニューヨークの社交界でまたたくまに注目を集め、彼のシャンパーニュはアメリカでいち早く大成功を収めた。

現在も主なマーケットはアメリカだが、シャルルのエスプリを継いだ“ダンディーな”シャンパーニュは世界中で親しまれている。

 

■歴史

1851年 メゾンの設立

創業者の名前はシャルル=カミーユ・エドシック。

シャンパーニュの名門エドシック社で、妻は同じく名門アンリオ・ファミリーの令嬢。

彼はエドシック社で働きながらシャンパン造りの経験を積む内に、自身の名を冠したシャンパーニュをつくる決心をする。

当時、彼は若干29歳。妻の弟であるアーネスト・アンリオと共にシャルル・エドシックを創設した。

この時代、20代という若さで独立しシャンパン造りに挑戦することはかなり異例の出来事であった。

1852年 アメリカでの成功

自身が造るシャンパンの品質に自信があった彼は、それを海外で売ろうと考えた。

まずはベルギーとイギリスでたちまち成功を収めると、当時シャンパンの輸出はマイナーだったアメリカへ旅立つ。

彼はニューヨークからルイジアナをまたにかけ、年間30万本以上のシャンパンを売り捌いた。

“シャンパン・チャーリー”は大きな成功を収め、記録的な売上を達成。

その人気ぶりはすさまじく、アメリカ北部では彼の存在自体が社会現象になったほどだという。

1861年 南北戦争の悲劇

盛者必衰。栄光は長く続かなかった。

アメリカで南北戦争が勃発し北部は経済破綻。

代理店からメゾンに支払われるべき代金が入金されず、フランスに帰国していたシャルルはアメリカ南部のニューオーリンズへ急いで向かう。

1862年の4月、戦争は続き都市はほぼ破産状態であり、このままだと大きな負債を背負うであろうことに彼は気付いてしまった。

5月5日、直接返済を求めてニューオーリンズに彼が到着したとき街はすでに北軍に陥落していた。

この際運悪く南軍に衣類を提供する旨の手紙をフランス領事館から預かり所持していたため、北軍からスパイ容疑で投獄されてしまう。

この投獄はエドシック事件として知られ、フランスとアメリカ政府の外交問題にまで発展した。

フランスの外交官、さらにはナポレオン3世さえシャルル・エドシックの釈放を求め、リンカーン大統領に何度か接触している。

1862年11月16日ようやく釈放を認められるが、ビジネスの破産と請け負った多大な借金を支払うためメゾンは弱体状態に陥った。

1863年 希望の手紙

消沈したシャルルは、ある日アメリカの宣教師から手紙を受け取った。

その手紙は、ニューヨークでシャルル・エドシックを販売していた元エージェントの兄弟からのもので、兄弟が多大な負債を背負わせてしまったことを詫び、土地を譲るという内容だった。

その際譲り受けた土地が、後のコロラド州の州都デンバー。

数年後、アメリカ中西部で最大かつ最も裕福な都市の1つに開花する。

そしてシャルルは土地を売却し借金をすべて返済、さらに余剰財産でメゾンを再建し、幸運なことに一流のシャンパーニュメゾンとして返り咲いたのだった。

1897年 世界に広がるエドシックの輪

メゾンを復興してからもイギリス王室との関わりは深く、この年に王室御用達を授与されると、1977年にはエリザベス2世在位25周年限定ワインをリリース。

1981年のチャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚の際には「ロイヤル・ウエディング・キュヴェ」を発表した。

そのほかにウィンストン・チャーチル首相や画家のサルバドール・ダリをはじめ錚々たる著名人がシャルル・エドシックを愛飲している。

1976年 度重なる買収

1893年にシャルルがなくなってからしばらくして、共同創設者であったアーネスト・アンリオの孫であるジョゼフ・アンリオ率いるアンリオ社によってメゾンは買収される。

エドシックはアンリオによる管理の元一層品質は向上したが、その後1985年にレミー・コアントロー社に再度買収されることとなった。

そして2011年、JPウエストン、アラン・フィガレなどのブランド企業を所有するフランスのEPIグループが、パイパー・エドシックとともにメゾンを購入し現在に至る。

規定よりも熟成期間を長めにとるのがシャルル・エドシックの大きな特徴でもある。

ハウスボトルであるブリュット・リザーヴは6:3:1の割合でリザーブワインをブレンド。

6は最低4年熟成のベースワイン、

3は平均10年のリザーヴワイン、

1は5~15年熟成した最良区画かつ最優良年からとれたものを使う。

また、デゴルジュマンだけでなく、ミザン・カーヴ(=瓶詰め)の年を記載している。

通常、ブドウを収穫してから翌年の春に瓶詰めされるため、ミザン・カーブから1年を引いた数字がベースヴィンテージとなる。

“粋な精神と誇り”を秘めたシャンパーニュは、大切な人にこそ贈りたい。生きることは、時に冒険でもある。

パートナー、父親、そして兄弟。あるいは尊敬する仕事仲間――。

それぞれの関係の中に、互いに積み上げてきた“時間”がある。そんな愛すべき冒険者たちとの時間に杯を掲げるのに、『シャルル・エドシック』ほどふさわしいシャンパーニュはないだろう。

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