Dugat Py(デュガ・ピィ)

ジュヴレ・シャンベルタンの中心、ラヴォーの谷の麓に位置するデュガ・ピィは村を代表するスター・ドメーヌの一人である。王座に就くArmand Rousseauには及ばないものの、FourrierやDenis Mortetといった一流ドメーヌに比肩し、さらに前当主ベルナールのいとこにあたるClaude Dugatをも上回る人気がある。このため、市場で見かけることはほとんどなく、あっても超高価なために飲む機会に恵まれないというのがブルゴーニュ・ラバーの常套句となっている。しかし、探し出して一度は飲むべきである。無論グラン・クリュである必要は一切ない。ある程度瓶熟した村名ジュヴレを飲めば、人々が熱狂する理由がわかる。

 

ラベルには彼らの遺産ともいうべきセラーの絵が描かれているが、これは11~12世紀に建てられたもので、もとは修道院のワインが保管してあった。現当主ロイク曰はく「ブルゴーニュに現存する最古のセラー。」

 

歴史

デュガというドメーヌは1923年フェルナンド・デュガとジャンヌ・ボルノの結婚から始まった。ボルノ家は17世紀からのワイン生産者で、ジャンヌはシャルム・シャンベルタンなどの最上の畑を親から相続していた。ジャンヌ自身は当時ジュヴレの苗木屋で働いており、確かな腕を持つと評判であった。デュガ夫妻は3人の子供(モーリス、ピエール、テレーズ)に恵まれ、畑を相続するとそれぞれがドメーヌを設立。この内のピエールのドメーヌが後のデュガ・ピイとなる(モーリスのドメーヌは後のClaude Dugat)。熱心なヴィニュロンだったピエールは上質なブドウを生むことで知られ、Leroyが彼のCharmes Chambertinと1er Champeauxを贔屓にしていたことは有名である。

 

1975年、ピエールから教えを受けた息子ベルナールはファースト・ヴィンテージを手掛ける。その4年後、ベルナールはジョスリーヌ・ピイと結婚し、両家の畑が統合。1994年にベルナールは妻の旧姓をとってドメーヌ名をデュガ・ピイに改名した。
1996年、ベルナールの息子ロイクがドメーヌで働き始める。2017年にはロイクが13代目当主に就任。畑やセラーに新しい風を吹き込み、品質にさらなる磨きをかけている。

 

15haの畑を所有。フラッグシップとなるジュヴレの特級はChambertin、Mazis Chambertin、Charmes Chambertin、Mazoyeres Chambertin。デュガ・ピイではMazoyeresとCharmesは分けて作られる。2004年に買い足したMazoyeresは、元々所有していた区画(Charmesと隣接)と異なるタイプの土壌で、畑の表面を大きな石が覆っていた。ワインにはより堅牢な性格が強く出たため、ブレンドするのではなく別々のキュヴェで生産することになった。

 

1erでは、Petite Chapelle、Lavaux Saint Jacques、Champeaux。これに加え、区画名なしの1erがある。デュガ・ピイでは長い間このキュヴェが作られてきたが、中身はFonteny、La Perriere、Les Corbeauxのブレンド。ロイクがドメーヌに参入した際、父にそれぞれ分けて作るよう持ちかけ、1996~2009年までFontenyを単独で瓶詰めした。結果は上出来で、それもそのはず、Ruchottes Chambertinからわずか20m、Mazisにも非常に近いFontenyは、ほぼグラン・クリュといっても過言ではなく、ブレンドの材料にするには贅沢すぎたのである。その後、2013年からそれぞれ3つのキュヴェが分けて生産されるようになった。
村名は複数の区画をアッサンブラージュしたCuvee Coeur de Royのほか、単一で作られるLes Evocelles、そしてノーマルのジュヴレがある。

 

なお、デュガ・ピイではジュヴレがメインとなるが、ヴォーヌ・ロマネ、フィサン、ボーヌ、ポマールなどにも畑を所有。広域ワインでは2種類のブルゴーニュ・ルージュが見られるが、そのうちのCuvee Halinardはなんと村名ジュヴレのブドウ100%が格下げで作られる。ジュヴレと名乗らずにあえてブルゴーニュとして生産しているところにこのドメーヌの意識の高さ、品質への強いこだわりが見て取れる。

 

また、シャルドネではコルトン・シャルルマーニュ、、ピュリニー、シャサーニュといった優良畑のほか、ペルナンやモンテリも作っている。

 

栽培

ブドウの樹齢は平均65-70年と高い。いくつかのワインでみられる“Tres Vieilles Vignes”の表記は、ドメーヌの中でもとりわけ高樹齢のブドウで100年を超すものもある。こうした古樹にはデュガ家の歴史が詰まっている。1920年代に苗木屋で働いていたジャンヌ(フェルナンドの妻)は、当時最上の苗を自分たちの畑に植えることができた。これが今のデュガ・ピイの畑を作る高品質なピノ・ファンのルーツであり、以後一度もクローンを使わずマッサル・セレクションのみで再植樹が行われている。

 

畑は1999年から有機栽培を試験的に開始し、2003年より全面的に移行。ロイクはLeflaiveやLafon、DRCにビオディナミを指導した巨匠ポール・マッソンにコンサルタントを依頼し土壌の健全化を促進した。2006年からは一部で馬の耕作も開始。収量は20hl/ha前後と低いが、果汁に対する果皮の割合が高い健全な小粒が実るようになった。

 

さらに一部の区画でトラクターの使用を止め、2017年からは高く伸びたキャノピーを切らずに巻きつけるトレサージュと呼ばれる手法を取り入れた。通常ブドウ木の先端を切るとホルモン反応によって副梢の成長が促進され、フルーツゾーンに好ましくない茂みができる。一方で先端を切らなければブドウに余計なストレスを与えることなく、キャノピーを自身の成長ではなくブドウの成熟へと導くことができる。まずChambertinとMazisの区画で始め、現在は全ての特級とプルミエに取り入れている。なお、ブルゴーニュのトレサージュのパイオニアはLeroyであり、彼女は隣り合うブドウ木のツルの先端同士を結んでアーチ状にする。一方、ロイクはそうではなく先端をワイヤーに巻きつけることでツルへの十分な通気性を重視している。

 

醸造

Claude Dugatは完全除梗スタイルで知られるが、デュガ・ピイでは大部分が全房で仕込まれる。年やキュヴェによって比率が異なるが、例えば果実味が強いCharmes Chambertinでは茎が邪魔しないように控えめな比率となる。コールド・マセラシオンはせず、コンクリートタンクと木製発酵槽で自然発酵させる。極めて穏やかな抽出を心がけ、ピジャージュとルモンタージュは日に一回ずつしか行わない。発酵後の温度管理はせず、樽に移してから最大で24ヶ月熟成させる。先代ベルナールとロイクの違いは新樽比率にあり、ベルナールは全ての特級とプルミエ(一部の村名も含む)に新樽100%を使っていたが、現在ロイクはプルミエで約50%、一部の村名では30%程に抑えている。樽会社は変わらずにフランソワ・フレール。ロイクはここのディレクターと議論しながら試飲を繰り返し、オークの原産地、シーズニングや焼き目など厳しくセレクトしてから樽を注文する。

 

味わい

もともとデュガ・ピイのワインは色が濃く、はちきれんばかりの果実味、強いタンニン、新樽というのが特徴だった。しかしロイクの代になってから方向性が変わってきている。彼は補糖、補酸、培養酵母など果汁への添加物を一切やめ、SO2は瓶詰め直前にのみ加えるようにした。ワインは色調と力強さに昔の面影がありつつも、過度な抽出と新樽の影響が少なくなった今では果実の純度が上がり、より優れたバランスとフィネスが宿るようになった。また、他のジュヴレの生産者より収穫をかなり早く行うため、アルコール度数が高くなりすぎることもなくなった。その結果、アロマとフレーバーの輪郭がよりクリアに描き出されるようになり、凝縮感だけではないフレッシュさと品格が見事に共存するようになった。ジャンシス・ロビンソンはこの変化を「鮮やかで華やかなワインとして知られるデュガ・ピイでさえ、最近はフィネスのあるワインを作っている。」と評し、WAは「過度な新樽と抽出という以前のイメージを取り払って、ぜひ今の味わいを試してほしい。現代ブルゴーニュが生み出せる最も上質なワインの一つだから。」と太鼓判を押す。「ロイクはより張りと輪郭のある磨きのかかったスタイルに進化させた。ベルナールのスタイルを受け継ぎつつも、味わいのピントがはっきりと定まった。」とVinousも絶賛している。

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