Ulysse Collin(ユリス・コラン)

ユリス・コランは2004年がファーストヴィンテージとなるまだ若いレコルタン・マニュピュラン(RM)。

RMとしてスタートしたのはつい最近だが、実は200年前からブドウ栽培を稼業にしており現当主で6代目の歴史ある一族。

当主のオリヴィエ・コランはRMの巨匠ジャック・セロスの弟子のひとりで、単一畑でのシャンパン造りをモットーにしている。

所有する畑は10haほどで、生産本数はごくわずか。

 

■歴史

1703年 設立

モンターニュ・ド・ランス、エペルネの南にあるコンジィ村でブドウの栽培と樽製造の仕事を始めたコラン家。

それから200年に渡り栽培家として代々ブドウを造り続けていた。

1930 年 RMの始まり

2代目のジョルジュ・コランがコンジィ村で初めてレコルタン・マニュピュラン(RM)としてシャンパーニュの販売を始めた。

第二次世界大戦後、3代目のルネコリンが所有畑を18haまで広げ徐々にドメーヌの規模は大きくなっていった。

1980年代 クラブ・トレゾール・ド・シャンパーニュに加盟

さらにそれを受け継いだ4代目ルネ・コランがビジネスを拡大し、クラブ・トレゾール・ド・シャンパーニュのメンバーとなり、RMとして確固たる地位を築いた。

トレゾール・ド・シャンパーニュとは1971年に設立された、高品質なシャンパーニュを追求するRMだけで結成した生産者団体。

(当時の名称はClub des Viticulteurs Champenois)

この組織に属すと、優れた年のヴィンテージ・シャンパーニュを『スペシャル・クラブ』の名で専用ボトルに詰め替えて販売することができる。

しかしそのためには様々な検査や厳しい試飲基準を合格する必要があった。

だがそれが高い品質を証明することに繋がり、スペシャル・クラブはメゾン一強だったシャンパーニュ界にRMブームの先駆けとして一世を風靡した。

1987年~2003年 ドメーヌを引き継いだ5代目がブドウの栽培を中止

大手メゾン(ヴランケン社)に畑を貸し出してしまう。

そのためRMとしての歴史は事実上ここで一度終了となる。

90年代始め、当時学生だった現当主のオリヴィエ・コランはブルゴーニュへ旅行をしたとき、様々なテロワールから生み出される個性的で素晴らしい数々のワインと出会い、父が手放した畑を買い戻し家業を継ぎたいと考えるようになった。

彼はメゾンへ返却を要請するもメゾン側が拒否。

しかしオリヴィエは諦めずに交渉するための法律の勉強をしながら、畑を取り戻した後のためにワイン造りを学んだ。

2001年 ジャック・セロスでの修行

当時RMの生産者としてカリスマ的な人気を博していたジャック・セロス。

オリヴィエはその独自性や完璧主義に惹かれ、セロスの門を叩いた。

そこでブドウに対する有機的なアプローチや木樽を使った発酵を学び、現在もそのスタイルは健在である。

2003年 RMとしての再スタート、そして失敗

オリヴィエは約20年に渡って貸し出されていた4.5haの畑を取り戻すことに成功した。

畑を取り戻した彼が最初に購入したのは中古のトラクターだった。

18年間ろくに手入れがされていなかった畑の状態を整えることから初め、そのあと熟成させるための木樽を買い揃えた。

ようやくRMとして再スタートができるかと思われたが、非情にも2003年はシャンパーニュにとって栽培が困難な年だった。

しかし残念ながら彼の思うような品質に到達することができず、このヴィンテージのブドウはすべてネゴシアンに売却。

その資金で設備を整え、翌年2004年VTが『ユリス・コラン』としてのファースト・ヴィンテージとなった。

2004年 初ヴィンテージの誕生

オリヴィエはまず樹齢約40年の『レ・ピエリエール(Les Pierrières)』という1.2haの区画からシャルドネを醸造した。

この区画は浅い貧弱な表土の下に比較的柔らかい石灰の中にシレックスや黒曜石が混じる、シャンパーニュでは珍しい土壌である。

その土壌由来のミネラルはシャンパンに独特のフィネスを与え、ユリス・コランのスタイルを構成する重要なファクターとなっている。

ユリス・コランはこの1つの畑から生まれた、たった5,400本のシャンパンからスタートした。

2005年~ 

さらに4.2haの畑を取り戻すことができた。

2003年から畑を整備していたため、さっそく翌年2006年にピエリエールに続く2つ目のシャンパン『レ・マイヨン』をリリース。

そして2008年に『レ・ロワーズ(Les Roises)』、2010 年に『レ・ザンフェール(Les Enfers)』、2011 年にマイヨンの畑からロゼをそれぞれ生産開始。

現在まで5キュベをリリースしている。

以上の畑の他に 3.7ha畑を所有しておりムニエも栽培しているが、それらは全てネゴシアンに売却している。

■ユリス・コランのスタイル

シャンパンは様々な区画や複数のヴィンテージをブレンドして醸造することが一般的であった。

しかしオリヴィエが影響を受けたのは単一畑、単一ヴィンテージを良しとするブルゴーニュのワインであり、

彼の師匠であるアンセルム・セロスもテロワールの個性を反映させるワイン造りを信条としていたため、当初からオリヴィエのビジョンは彼の持つ畑1つ1つの個性を表現することだった。

この『単一畑、単一ヴィンテージ』の手法は現在RMの間で一般的になりつつあるが、当時はほとんど前例がなかった。

そして今日に至るまでユリス・コランはヴィンテージのブレンドはするもののシャンパーニュでは稀な、ラインナップの全てが単一畑のキュベである。

■ラインナップ

ドサージュ量はヴィンテージによって変動がある。

Blanc de Blancs – Les Pierrières(ブラン・ド・ブラン レ・ピエリエール )

品種 シャルドネ 100%
ピエリエール(コンジィ村)
植樹 1961~2001年
オリヴィエが最初に手に入れた思い入れの強い畑。

浅い貧弱な表土の下に比較的柔らかい石灰の中にシレックスや黒曜石が混じる、シャンパーニュでは珍しい土壌。集中力が際立ち、しっかりとした酸味が骨格になっている。1年くらい寝かせることができるとなお良し。

 Blanc de Noirs – Les Maillons(ブラン・ド・ノワール レ・マイヨン)

品種 ピノ・ノワール100%
レ・マイヨン(コート・ド・セザンヌのバルボンヌ・ファイエル村)
植樹 1971,1972年
ピエリエールに続き2番目に造られたキュベ。コンジィから南西に35km離れた場所にあり、2.5haを所有している。土壌は粘土が豊富なため、ピエリエールとは正反対のキャラクターとなる。繊細でありながら優雅。官能的なフルーツの香りがゆったりと漂う。

Blanc de Blancs – Les Roises(ブラン・ド・ブラン レ・ロワーズ)

品種 シャルドネ 100%
レ・ロワーズ(コンジィ村)
植樹 1950年代
2005年に畑作業を始め2008年からリリースされた3番目のキュベ。0.6haのモノポール。

 畑は南を向くため日照量が豊富で、粘土石灰の土壌。マンゴーやオレンジピールを思わせるおおらかなキャラクター。

Blanc de Blancs – Les Enfers  (ブラン・ド・ブラン レ・ザンフェール )

品種 シャルドネ100%
レ・ザンフェール(コンジィ村)
植樹 1980年代 
Enfer=地獄という意味。 表土の粘土の色が赤々しいことに由来している。畑は東向き。

レ・ロワーズと比べると粘土は少なく石灰の比率が高い。そのため繊細で塩っぽいフィニッシュが特徴。

Rosé de Saignée – Les Maillons  (ロゼ・ド・セニェ レ・マイヨン  )

品種 ピノ・ノワール100%
レ・マイヨン(バルボンヌ・ファイエル村)
植樹 1971,1972年
同じ畑から造られるブラン・ド・ノワールに続きリリースされたロゼ。

セニエや赤ワインをブレンドするわけではなく、ピノ・ノワールを18~36時間浸漬して色付けをしている。

赤いベリーの優しい甘さもあるが、ピールやスパイスのニュアンスが強いガストロミックなロゼ。

■生産者情報

本拠地 コンジィ村
栽培方法 リュットレゾネ、ビオロジック
年間生産本数 約42,000本
所有畑 8.7ha

Les Pierrières, Les Maillons, Les Roises, LesEnfers の 4 区画で計5ha。そのほか 3.7ha の区画で栽培しているブドウはネゴシアンに売却してしまっている。

CTA-IMAGE Firadisは、全国のレストランやワインショップを顧客とするワイン専門商社です。 これまで日本国内10,000件を超える飲食店様・販売店様にワインをお届けして参りました。 主なお取引先は洋風専門料理業態のお店様で、フランス料理店2,000店以上、イタリア料理店約1,800店と、ワインを数多く取り扱うお店様からの強い信頼を誇っています。 ミシュラン3つ星・2つ星を獲得されているレストラン様のなんと70%以上がフィラディスからのワイン仕入れご実績があり、その品質の高さはプロフェッショナルソムリエからもお墨付きを戴いています。
Translate »