空飛ぶワインメーカーにお別れを
- 2026.06.15
- ワインニュース
- カベルネ・ソーヴィニヨン, フライングワインメーカー, ミシェル・ロラン, メルロー
愛され、そしてほんの少しだけ物議を醸したコンサルタント・ワインメーカー、Michel Rollandが天に召された。
3月中旬、ワイン界はひとりの巨人を失った。現代ワイン史において最も影響力のある人物の一人であるワインメーカー・コンサルタント、Michel Rollandが、心臓発作のため78歳で亡くなった。
Rollandは初代「フライング・ワインメーカー(空飛ぶワイン醸造家)」であり、この言葉は彼を表すために生まれた。彼は1947年のクリスマスイブ、ボルドーの一族のシャトー、Château Le Bon Pasteurで生まれた。この年は、ボルドー史上最高の年の一つとされているが、伝説的な1947年のCheval Blancには申し訳ないものの、間違いなくこのヴィンテージが生み出した最も偉大で、最も永く残る傑作はMichel Rollandだった。
Rollandは史上最高のブレンダーの一人として知られている。それは単にメルローとカベルネを最高の組み合わせでブレンドするということだけではない。畑のこの区画からはこれだけ、あるいは新樽のバリックとステンレスタンクからはこの量だけを取り出す、という意味でもある。彼の最高のブレンド結果の多くは、実は単一品種のワイン(例えばカベルネ・ソーヴィニヨン100%)から生まれたものだったが、ワインメーカーなら知っているように、樽で2年も寝かせれば、樽ごとにわずかな違いが出るものだ。
Bart Araujoは、現在Eisele Vineyard Estateと呼ばれる北米最高峰とされるナパ・ヴァレーのブドウ畑の元オーナーだ。3月中旬、Araujoはカベルネ・ソーヴィニヨンのブレンド作業において、彼があえてRollandに異を唱えた時のことを振り返ってくれた。
「ようやく最後の一本にたどり着いて、ほぼ毎回そうであったように、彼は『お気に召したかな?』と言うんです」とAraujoはWine-Searcherに語った。「そのとき私は、『どうかな、私は一つ前の方が好きだよ』と言ったのです。世界的に有名なワイン醸造コンサルタントと、場末のワイナリー経営者の私ですよ。普通のフランス人なら激怒していたはずです。ところが彼は『よし、今夜は(妻の)Danyに決めてもらおう』と言ったんです。」
Rollandはボルドーの醸造学校でDanyと出会い、1970年に結婚し、1972年に同じクラスで卒業した。
「Danyはボルドーで、Michelよりも優れた味覚の持ち主として知られていました」とAraujoは語った。「彼女の方が成績が良かった理由の一つは、彼女は真面目に授業に出て、Michelはパーティーばかりしていたからです」
ナパ・ヴァレーでのその夜、RollandはAraujoに、候補の2本を茶色の紙袋に入れるよう指示した。Rolland夫妻と、ワインメーカーのFrançoise Peschonを含む全員で一緒に試飲するためである。
「彼は言いました。『Dany、私のブレンドか彼のブレンドか、決めなければならない。そして、どちらのブレンドが優れているか全員が同意しなければならない』と」Araujoは語る。「もちろん、優れていたのは彼のブレンドの方でしたよ」
Rollandは概して顧客から愛されていた。彼がどれほど人生を楽しんでいたかという話をよく耳にしたものだ。無理もないだろう。ファーストクラスで世界中を飛び回り(Rollandのサービスは決して安くはなかった)、ワイナリーの成功を手助けするのだから。Rollandは、低迷しているワイナリーが評論家からの評価を上げるのを助ける「ミスター・フィックス・イット(修理屋)」として非常に有能だった。
しかし、そのような成功には議論がつきものだった。Rollandのキャリアの大半は、Robert Parkerが世界で最も影響力のある評論家であった時期と重なっている。Rollandは、豊かなボディ、豊富な果実味、柔らかいタンニンといった、Parkerが好むタイプのワインを生み出した。そのため、アルゼンチンで造った偉大なワインとフランスで造った偉大なワインの区別がつかないような、個性のない国際的なスタイルの赤ワインを造っているという非難を浴びることもあった。
しかし私は、Rollandがそうしたスタイルのワインを自然に好むようになったのだと考えたい。Rollandはメルローの産地の出身である。ふくよかで豊か、果実味にあふれ、シルキーなタンニンを持つワインこそが、メルローの真骨頂なのだ。確かにRollandは、それまであまり印象的でなかったカベルネを、偉大なメルローのような味わいに変えた。この10年で、よりフレッシュさを重視した軽快なスタイルを求めて彼との契約を解除した顧客も少数いたが、最後まで彼には何十もの顧客がおり、それ以上に多くの友人がいた。
Rollandはまた、非常に革新的でもあった。映画『モンドヴィーノ』では嘲笑され、リムジンの後部座席から「ミクロ・オキシジェナシオンを」とだけ言う人物のように矮小化された。しかし、それはあまりにも単純化されすぎている。Rollandは実際にさまざまなことをしていたし、さらに重要なのは、ミクロ・オキシジェナシオン(発酵中のタンクに微小な酸素の泡を送り込むこと)が、タンニンをやわらげる革新的な手法であったという点だ。あなたや私、そしてソムリエは渋いタンニンを我慢できるかもしれないが、一般の消費者はたいていそれを好まない。結局のところ、ワインもまたビジネスなのだ。
2010年代半ば、イタリアのモンテファルコにあるワイナリーArnaldo Capraiは、タンニンの問題に対処するためRollandを雇った。モンテファルコ・サグランティーノは、風味豊かで熟成能力に優れた魅力的な赤ワインだが、その強烈なタンニンのせいで、リリース後何年もの間飲めないこともあり、それは現代の世界において必ずしも良いビジネスモデルとはいえなかった。
そこでRollandは、「ヴィニフィカシオン・アンテグラル」という新しい発酵方法を生み出した。この手法では、まず樽の中にブドウとドライアイスを入れ、全体を低温に保ちながら発酵を進める。さらに、その樽を冷蔵室に置いて、ゆっくりと回転させる。こうすることで、発酵中に浮き上がってくるブドウの皮を、無理に潰してタンニンを過剰に引き出してしまうことなく、優しく液体と混ぜ合わせることができる。この方法により、厚みがありながらも滑らかなタンニンを持つ、果実味あふれるワインが生み出され、この地域で最高(そして最も高価)なワインの一つとみなされるようになった。
私はワインの世界で多くの偉大な人々に出会ってきたが、Rollandと食卓を囲む機会が一度もなかったことが悔やまれる。彼を思い出すときは、Araujoが語ってくれたこの逸話を思い浮かべることにしたい。AraujoはRollandと何度も、ワインのコンサルティング、飲食、そしてフランスとアルゼンチンを巡る旅を共にした。
「Michelは桁外れな人物でした」とAraujoは語った。「一緒にいて本当に楽しい人でした。人を愛していましたね。アルゼンチンにあるブドウ畑に行ったときのことです。そこはとても広いので、皆ATV(四輪バギー)で移動するのですが、彼は馬に乗っていました。私も頼んだら馬を用意してくれたのですが、馬は私の乗馬下手を見抜いていましたよ。一方、彼にあてがわれたのはパロミノ(月毛の馬)でした。馬にまたがる彼の姿をぜひ見せてあげたかった。まるで本物のガウチョのようでした」
さあ、安らかに、Michel Rolland。天国には喉の渇いた客人がいて、水をワインに変える必要があるかもしれない。しかし、それはこの湖の水か、あの雷雨の水か、それともあそこの井戸の水か?その判断は、しかるべき手に委ねられるだろう。
引用元:Farewell to the Flying Winemaker
この記事は引用元からの許諾をいただき、Firadisが翻案しています。
文責はFiradisに帰属します。
-
前の記事
ブドウ畑に恩恵をもたらす毛むくじゃらの仲間たち 2026.06.05
-
次の記事
記事がありません