Willamette Valley(ウィラメット・ヴァレー)
オレゴン州西部にあるウィラメット・ヴァレーは、カリフォルニア以外で最も重要な米国のワイン産地と言えるだろう。 ポートランドの街から川沿いに南に200km近く広がるこのAVAは、1,300,000ha(ブドウ畑は約13,750ha)もの広大な敷地をカバーする。植樹が最も多くかつ最も品質の高いワインを生み出しているのがピノ・ノワールで、最上のものはしばしばブルゴ […]
オレゴン州西部にあるウィラメット・ヴァレーは、カリフォルニア以外で最も重要な米国のワイン産地と言えるだろう。 ポートランドの街から川沿いに南に200km近く広がるこのAVAは、1,300,000ha(ブドウ畑は約13,750ha)もの広大な敷地をカバーする。植樹が最も多くかつ最も品質の高いワインを生み出しているのがピノ・ノワールで、最上のものはしばしばブルゴ […]
オンタリオ州はカナダで最も有名かつ最も多くのワインを生み出している産地である。約7000haの畑を有し、ざっくりカナダワインの半分がこのエリアから来ていると考えて良いだろう。ワイン産業の中心は五大湖のエリー湖とオンタリオ湖周辺で、多くの畑がここに集まっている。 スティルワインは赤白ほぼ同じ割合で作られており、主要品種はリースリング、カベルネ・フラン、シャルド […]
エルキ・バレーはチリの首都サンティアゴの400km北に位置するが、ここは地球上で最も降水量が少ないアタカマ砂漠の最南端(年間降水量100mm以下)にあたる。南緯30度前後というロケーションは、チリ北端のワイン産地を意味するが、一部の造り手は、さらに北のアタカマの中でブドウを栽培しているというから驚きである。 もともとこの地はチリのブランデー、ピスコの生産がほ […]
バイラーダはポルトガルの中央北部ベイラ地方にあるワイン産地である。西を大西洋に、東をダンに挟まれるように位置しており、バガを筆頭に地場品種から深みのある色調のリッチなワインを生むことで知られている。 DOCに認定されたのは1980年だが、バイラーダに初めてブドウが植えられたのは何世紀も前のことである。18世紀頃の歴史を見ると、この地には大きなゆがみが生じてい […]
ギズボーンはニュージーランド北島の東海岸沿いにある産地であり、経緯度上、世界のワイン産地の中で最も早く夜明けが訪れる場所でもある。この地でブドウ栽培が始まったのは1800年代であるが、そのきっかけは「勘違い」がもたらしたものであった。当時ブドウ木を抱えた移民たちはホークス・ベイを目指しニュージーランドに上陸したが、彼らが降り立ったのはギズボーンのPovert […]
タスマニアはオーストラリア本土から約250km離れた場所にある島であり、一つの州として認められている。ブドウ栽培面積は約1700haで、オーストラリア全体の生産量のわずか1%にも満たないが、プレミアムなワインの生産地として注目されている。タスマニアは特に高品質なスパークリングワインで知られているが、実は生産量の2/3はスティルワインが占めている。ピノ・ノワー […]
オーストラリアの東海岸に横たわるニューサウスウェールズ州は、人口が最も多い州として知られており、州都は最大都市のシドニーである。ワイン生産は1980年代から急速に伸び、現在ではオーストラリアで二番目のワイン生産量を誇る。この州において最も名高いワイン産地がハンター・バレーである。ハンターバレーは単に有名なだけでなく、オーストラリアのワイン産業にとって歴史的に […]
アコンカグアはチリに広がる4つのリージョンの内、北から二つ目にあるワイン産地である。ここには重要なサブリージョンが3つあるが、そのうちの一つがアコンカグア・バレーであり、チリを代表する産地として広く知られている。 チリの首都サンティエゴから北100kmほどに位置するアコンカグア・バレーは、暑く乾燥しているため長らくブドウ栽培に適さないとみなされてきた。しかし […]
南アフリカのウェスタン・ケープ州の中でもとりわけ有名なエルギンは、首都ケープタウンから65kmほどの距離にある。南アフリカで最も冷涼とされるこの地の気候とソーヴィニヨン・ブラン、ピノ・ノワールやシャルドネなどが見事にマッチし、驚くほどエレガントなワインを生み出している。 ■テロワール エルギンはホッテントット・ホランド山脈に囲まれた内陸の台地にあり、周り […]
ビクトリア州の州都メルボルンの北東に位置するヤラ・バレーは、「暑くて乾燥したシラーの産地」というオーストラリアのイメージとは全く異なり、極めて冷涼な産地である。エレガントで複雑なピノ・ノワールとシャルドネを生むヤラ・バレーでは、世界中から多くの愛好家が訪れてくるため、ワイナリー観光も重要な産業となっている。 ブドウが初めて植えられたのは1838年で、そこから […]