【ワインと美術】ロートレックと哀愁を纏う女

【ワインと美術】ロートレックと哀愁を纏う女

哀愁を纏う女

ロートレック『二日酔い』1887~89年
ケンブリッジ、フォッグ美術館

 19世紀後半のパリ。彼女は父親を知らない。彼女は母ひとりに育てられ、5歳でパリへと母と共にやってきた。彼女は11歳の頃から生きるために必死に働いた。洗濯女やお針子など、女性の働き口があまりにも限られていた時代。しかし娼婦などにはなりたくない。危険を伴うが金を稼ぐことができる仕事として、彼女は15歳で空中ブランコに乗る曲芸師となり、ショーの人気演目をこなしていった。しかし長くは続かない。彼女はブランコからの墜落事故をきっかけに曲芸師を廃業した。彼女が次に生きるために選んだ仕事は絵のモデルであった。

  当時のモデルは娼婦以下と蔑まれるほどの職業だった。もはや手段を選んでいる場合ではない。彼女は多くの有名画家たちを魅了した。ルノワールにドガ、そしてロートレックといった錚々たる面々である。

  ロートレックが美しくも孤独な彼女を描いているのが冒頭の油彩画である。当時モデルの仕事を始めたばかりだったという。ワインの瓶とグラス。居酒屋で酒を飲む庶民の女性としての姿。19世紀末、女性の飲酒は社会的に問題視されていた。孤独に酒を飲む女性は大抵客を待つ娼婦だと見られていたという。この絵に描かれた哀愁を纏う彼女からは内なる生命力さえも感じられるようである。なりふり構っていられなかった。18歳にして彼女は母親と同じ運命をたどることになる。父のわからない子ができたのだ。その子さえも養っていかなければならない。

  彼女の名前はシュザンヌ・ヴァラドン。これは本名ではなく、画家としての名である。

哀愁を描く哀しき貴族

Lautrec moulin rouge, la goulue (poster) 1891

ロートレック『ムーランルージュ、ラ・グリュ』1891年
リトグラフのため各地に所蔵(三菱一号館美術館など)

 アンリ=マリ=レイモン・ド・トゥールーズ=ロートレック。彼はシュザンヌ・ヴァラドンが生まれる1年前の1864年、千年ほどの歴史があるという名門貴族の長男として生まれた。貴族の結婚らしく両親は血縁の深いいとこ同士。近親婚による遺伝子疾患なのか10代前半に続けざまに両脚を骨折した後は脚が伸びなくなり、彼は大人になっても身長が152センチしかなかったという。さらに上半身の重みに耐えるため、歩くときには常に杖が必要だった。父に見放された彼は画家を志すようになる。

  同時代の画家の多くが苦しめられた貧しさとは無縁の中、身長が低いというコンプレックスを抱えながらロートレックは画家としてパリで活躍した。異質な存在としてベル・エポック(良い時代)のパリの大衆文化を冷静かつ的確に観察し芸術作品を生み出していく。彼はキャバレー、劇場、娼館など様々な場所に顔を出し、その姿や高貴な立ち居振る舞いによって目立ち、多くの人に歓迎された。

Henri de Toulouse-Lautrec 018

 ロートレック『洗濯女』1886年頃
パリ、個人蔵

Lautrec jane avril dancing 1892

ロートレック『踊るジャヌ・アヴリル』1892年頃
パリ、オルセー美術館

 彼は同時代の女性たちを多く描いている。描かれている女性はムーラン・ルージュに代表されるキャバレーで活躍する歌手やダンサー、女優、曲芸師たちといったスポットライトを浴びる女性たちから、洗濯女や花売り、あるいは娼婦など市井に生きる女性たちまで様々である。パリ中の話題をさらい大成功を収めたポップなポスターも彼の魅力だが、 女性たちの華やかさ、美しさの奥底にある現実に対しての苦悩を見透かしているような作品がとても印象的である。一見すれば華やかさに差があるように見えても誰もが生きるために必死に働いている。美貌を売りにすれば得られる収入も大きいかもしれないが、老いて人気を失う恐怖に怯えなくてはならない。ロートレックの作品は、まるで女性たちの心の叫びを代弁しているようである。自身も異質な存在であったからこそ、彼女たちの苦悩が理解できたのだろうか。

Au Salon de la rue des Moulins - Henri de Toulouse-Lautrec

ロートレック『ムーラン街のサロンにて』1894年
アルビ、トゥールーズ=ロートレック美術館

二人の交錯と別れ

 彼が描いた多くの女性の中の1人がシュザンヌ・ヴァラドンだった。彼らは次第に、画家とモデルから愛人へと関係を発展させていった。子が生まれた彼女にとって、裕福なロートレックとの関係は将来への希望だったかもしれないが、二人の関係は長くは続かなかった。しかしながら、二人の関係は意外な形で実を結ぶ。ロートレックが彼女の才能を見出した。そして同じく絵のモデルを務めたことのあるドガが彼女に手ほどきをした。シュザンヌ・ヴァラドンは、なんと画家として生きていくことを決意する。

  彼女はロートレックと同じモンマルトルにアトリエを構えた。ドガの推薦でサロンにデッサンを出品するなど地道に画業に打ち込み、国民美術協会初の女性会員になった。当初は経済的に不安定だったが、裕福な銀行家と結婚し安定を手にした後は怖いもの無しである。モデル上がりの芸術家と揶揄されながら、彼女の名声は徐々に高まっていった。晩年に彼女が開いた大回顧展では、当時の首相が序文を寄稿したり、主要作品のほとんどが国家買い上げとなったりするなど、当時のフランスを代表する画家にまでのし上がっていった。彼女は厳しい境遇に生まれながら、自らの才覚を存分に発揮し、当時は珍しい女性芸術家として72年の生涯を全うしたのだ。

Suzanne Valadon - Self-Portrait - Google Art Project

シュザンヌ・ヴァラドン『自画像』1898年
ヒューストン、ヒューストン美術館

 一方のロートレック。これもまた近親婚による遺伝子疾患の影響なのか、彼の生涯は37年と非常に短かった。晩年は酒に溺れ、周囲の人々は酒を求めてさまよい歩くロートレックの奇怪な行動を目の当たりにし、ひどく当惑したという。アルコール中毒として強制入院させられるほどだった。静養のために訪れたボルドーで一時は回復し、多くの傑作を残したが、その後は長く続かず、母に看取られながら短い生涯を終えた。パリ世紀末の華やかな時代を、その中心で生きた彼の生涯はあっけなく終わった。

Lautrec the modiste 1900

ロートレック『モディスト(婦人帽子店員)、ルイーズ・ブルーエ嬢、通称ダンカン』
1900年(最晩年の作品)
アルビ、トゥールーズ=ロートレック美術館

モンマルトルで引き継がれる芸術

 ロートレックと同様に酒に溺れ、一時は生死を彷徨いながらも逆にそれをきっかけとして芸術への道を見出した、ロートレックよりも20歳ほど若い画家がモンマルトルに存在した。彼は母が実の父ではない男と結婚して以来その母に見捨てられ祖母に育てられるが、育児が面倒になった祖母は彼が10歳ほどの頃から酒を与えるようになる。母に会えない孤独にも苦しみ、17歳の時にアルコール中毒で入院する。治療の中で医者は彼に絵筆を持たせデッサンをさせた。彼の母が画家であることから、それが良い影響を与えると考えてのことだった。それが彼自身が画家となるきっかけとなった。彼の画家としての名前はモーリス・ユトリロ。そして彼の母の名前は、シュザンヌ・ヴァラドンである。彼も芸術史にその名を残す偉大な画家となった。

 ロートレック、シュザンヌ・ヴァラドン、そしてその息子モーリス・ユトリロ。彼らがアトリエを構えたモンマルトルはベル・エポックの時代にムーラン・ルージュ、ムーラン・ド・ラ・ギャレットなどといった名店が立ち並ぶ大歓楽街へと変貌したが、その理由はワインであった。モンマルトルはもともとブドウ畑が立ち並ぶ農村であり、セーヌ県知事オスマンによるパリの大改造計画で移転を余儀なくされた住民が移り住んだことで街は発展し、ワインが製造できることで酒宴を催す歓楽街にはうってつけの場所となった。現在でもモンマルトルには小さなブドウ畑が残り、毎年少量ながらワインが造られている。

2021年3月
篠原 魁太

<主な参考図書>

杉山菜穂子著 高橋明也監修『もっと知りたいロートレック-生涯と作品-』東京美術
クレール・フレーシュ,ジョゼ・フレーシュ著 千足伸行監修 山田美明訳『ロートレック-世紀末の闇を照らす-』創元社
中野京子『運命の絵-中野京子と読み解く もう逃れられない-』文藝春秋
中野京子『画家とモデル-宿命の出会い-』新潮社
中野京子『美貌のひと-歴史に名を刻んだ顔-』PHP研究所
エドワード・ルーシー=スミス、渡部葉子訳『ロートレック』西村書店
高津道昭『ロートレックの謎を解く』新潮社
デイヴィッド・ライマー、井上廣美訳『ポスター芸術の歴史-アートミュージアム ミュシャ、ロートレックからシュルレアリスムまで-』原書房
夏目典子文、景山正夫写真『フランスとっておき芸術と出会う場所-創造性と愛を与えたミューズたち-』学陽書房
ジャンヌ・シャンピヨン、佐々木涼子・中條屋進訳『シュザンヌ・ヴァラドン その愛と芸術』西村書店
美童春彦『モンマルトルの恋びと-シュザンヌ・ヴァラドン物語-』講談社

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