【ワインと美術】ガルガンチュアとギュスターヴ・ドレ -希望となるワインとアルザス-

【ワインと美術】ガルガンチュアとギュスターヴ・ドレ -希望となるワインとアルザス-

ガルガンチュアを描く、それぞれの時代の表現者たち

ギュスターヴ・ドレ 1873年出版『ラブレー著作集』 
ガルガンチュアがワインと食事を楽しむ場面

ワインが大好きなガルガンチュア

子供は、生れるやいなや、世間なみの赤ん坊のように「おぎゃー、おぎゃー」とは泣かずに、大音声を張りあげて「のみたーい!のみたーい!のみたーい!」と叫び出し、あらゆる人々に一杯飲めと言わんばかりであったから、ビュースやヴィヴァレー地方全土一帯からも、この声は聞き取れたほどだった。

『ラブレー第一之書 ガルガンチュワ物語』渡辺一夫訳より

 

 ガルガンチュアはこのように叫んで誕生した巨大な体の王子である。生まれて洗礼を受けるよりも先に、彼はワインを飲み干した。彼は幼い時からワインが大好物である。上の挿画は彼がその巨大な体で多くの家来の力を借りながら、大量の食事とワインを楽しむ場面である。

  『ガルガンチュワ物語』および『パンタグリュエル物語』は16世紀に活躍したフランス人作家、フランソワ・ラブレーによって書かれたフランス・ルネサンスを代表する作品である。ロワール河沿岸地域にある架空の豊かな王国を舞台に繰り広げられる、大巨人の王ガルガンチュワとその息子パンタグリュエルを主人公とした奇想天外な物語。騎士道物語のパロディーである、ダジャレや下品なネタ満載の馬鹿馬鹿しいドタバタ劇かと思えば、古代ギリシャ・ローマ文化などの豊富な知識に裏打ちされた表現や、聖職者や上流階級に対する風刺など当時の社会情勢を揶揄するような内容も含まれる。まさに何でもありの物語なのである。

フランソワ・ラブレー

 当時の人々はどれだけこの物語にワクワクさせられただろうか。

  ルネサンス。大航海時代。ヨーロッパがあまりにも大きな変化を遂げた時代である。莫大なる物資や富とともに異世界からヨーロッパへと多様な文化がもたらされる。単に異世界の文化を知るというだけではない。異世界に渡っていた古代ギリシャ・ローマ文化の再発見にもつながった。中世の凝り固まったキリスト教世界から人々が一気に解放される。より自由な表現が行われるようになり、各地で芸術や文化が花開く。

Firadis WINE CLUBで取り扱うフランソワ・ラブレーの故郷シノンのワイン。
ラベルにフランソワ・ラブレーが描かれています。

 当時のフランスにおいてルネサンスを体現した表現者がフランソワ・ラブレーであった。ワインの産地としても知られるロワール地方のシノン近郊に生まれた、医者でありカトリックの修道士でもあった異能の天才。キリスト教文化は当然ながら、古代ギリシャ・ローマ文化を始め様々な文化に精通した相当な博識人である。彼はそれらの知識をフル活用し、当時まだ未発達であったフランス語でできる限りの表現を尽くす。現在のように娯楽に溢れた時代ではない。そこに知的で様々な文献を下支えにした、にも関わらず下品で馬鹿馬鹿しくて皮肉に満ちた刺激的な物語。発明されたばかりの活版印刷術もその流行に寄与する。多くの人々がその面白さに興奮し熱狂した。そして時代を超えて愛される名作となった。

ギュスターヴ・ドレ 1873年出版『ラブレー著作集』
生まれたばかりのガルガンチュアが、ワインが飲みたいと叫ぶ場面。

ギュスターヴ・ドレ

 ここまで書いて、まだ美術に触れていない。今回のもう一人の登場人物が冒頭の挿画を描いた19世紀の画家、ギュスターヴ・ドレである。彼もまたラブレー同様、多くの人々に物語を届けた表現者だ。その方法は木口木版の技術を用いた挿画本であった。

 美術は当時まで教会の芸術画などを除けば、基本的に上流階級など富を持つ者の専有物であった。そうした状況に革命を起こしたのが版画であり、それを用いた挿画本である。挿画本を楽しめる人々の数は油絵などに比べれば圧倒的に多い。優れた挿画本の登場は現代の漫画や映画にまでつながる、大衆に同じイメージを共有できるという点で視覚芸術における一大革命であった。

 

ギュスターヴ・ドレ 1873年出版『ラブレー著作集』
パリのノートルダム大聖堂に登るガルガンチュア
 

 彼の版画芸術の特徴は、前回紹介したカラヴァッジョに似ている。つまり写実的でありながら非常に劇的であること。まるで舞台のように対象にスポットライトを当てたかのような表現。これを版画において実現する並外れた技術を持っていた。その技術を用い、ドレは『聖書』や『神曲』や『ドンキホーテ』、そして冒頭の画を載せた『ラブレー著作集』など様々な古典作品を挿画本にした。それらはフランスのみならずドイツやイギリス、イタリア、スペインなどでも出版されて、ヨーロッパ全土で評判となった。また彼は当時画壇から酷評されていた、「印象派」と後に呼ばれることになる画家たちの第一回目の展覧会開催のためにアトリエを紹介した人物でもある。日本ではあまり知られていないが、彼は美術史を大きく動かした画家なのだ。

 ラブレーとドレ。自身の表現において時代を大きく動かしていった二人だが、逆に大きく時代に翻弄され、必死に立ち向かった二人でもある。そして実はそんな彼らの希望となるのが、ワインとそれを楽しむ人々のように思えるのだ。

時代に翻弄される表現者たち

 さて、秩序も節度もあらばこそ、一同は入り乱れて進撃を開始し、貧しい者も富める者も、聖なる地域も聖ならざるところも、一切遠慮会釈せずに、通る路々、ありとあらゆるものを破壊し、掃蕩し、…

『ラブレー第一之書 ガルガンチュワ物語』渡辺一夫訳より

 

 『ガルガンチュア物語』の前半は、巨人の王が生まれその後のどかに成長していく物語であるが、後半は終始他の王国との戦争の物語になってしまう。ユーモアを交えた喜劇にはなっているが、描かれているのは悲惨な戦争の現実である。

ギュスターヴ・ドレ 1873年出版『ラブレー著作集』 
戦争の場面

時代に翻弄されるラブレー

 ラブレーが生きた16世紀は、キリスト教的価値観が揺らいだ時代。コペルニクスにより地動説が提唱され、新たな世界の見方が示される。そして宗教革命である。活版印刷術によりドイツ語など、より多くの人々が理解できる言語へと翻訳された聖書が広まり、人々はこれまで信じていたカトリックを疑うようになっていく。同じキリスト教を信仰しているにも関わらず、考え方の違いは戦争にまで発展した。

  ラブレーは笑いに満ちた物語の中で戦争の悲惨さを丁寧に描いている。ラブレーは作家や医者としてだけでなく、カトリックの修道士としても生きていた。それにもかかわらず作品の中で、宗教改革派とカトリック双方の行き過ぎを批判する。危ない橋を渡っていることを自覚していたのか、ガルガンチュア物語とパンタグリュエル物語の1冊目を最初に出版した際にはペンネームを使っていた。実際、それらの作品はカトリックの禁書目録に入れられてしまう。しかしその後彼は本名で続編を発表し、変わらず作品の中で教会批判を続ける。旧教側にも新教側にも疎まれる存在となったが、それでも彼の物語は多くの読者の心を掴んだ。

時代に翻弄されるドレと、故郷アルザス

 一方でドレの時代。産業革命の時代である。それまでは人間や動物の力で生産されていたものが、石炭などの化石燃料を燃やして発生するエネルギーを用いた機械で大量生産されるようになる。同様のエネルギーを用いた蒸気船や蒸気機関車に運搬され、貿易がさらに活発になる。生産形態・労働形態が大きく変貌を遂げた。産業の大きな進歩は同時に、過剰な生産物の販路や原料確保をめぐる国家間の新たな覇権争いをもたらす。経済的な争いはそのまま軍事的な競争にも直結した。

 ギュスターヴ・ドレはワインの銘醸地として有名なアルザスで生まれ育った。アルザスは隣接するロレーヌ地方と同様に、鉄鉱石や石炭という産業化そのものを支える資源を持つ。これが列強の争いに巻き込まれる要因となる。

 時代をさかのぼれば、アルザスはラブレーの時代から続く新教と旧教の争いが一つのピークを迎えた17世紀の三十年戦争の舞台であった。戦争の後アルザスは神聖ローマ帝国からフランスの領土へと変わり、約200年後の1832年にドレはアルザスの首府ストラスブールで生まれる。そして1871年、産業革命のノウハウを学び急激に国力を高めたドイツ帝国の母体であるプロイセンがアルザスに攻め入り、この地はドイツ帝国の領土となってしまう。ドレは故郷を失った。当時住んでいたパリからもドイツ軍の進軍で立ち退きを余儀なくされ、フランスを出てロンドンへと逃亡する。その2年後にドレが出版したのが、『ラブレー著作集』であった。そこに描かれる悲惨な戦争の景色がドレを襲った現実と重なる。

 

 

ギュスターヴ・ドレ 1873年出版『ラブレー著作集』 
いずれも戦争の場面

希望

希望となるワインを楽しむ人々と”笑い”

————どしどしお飲みなされ。決して、お陀仏になどなられませんから。

————飲まんでいると、からからになる。死んだのも同然じゃ。わしの魂は、どこかおしめりのあるところへ逃げて行きますわい。カラカラのところには、断じて魂は住めませんからな。

————おお諸々の新しき形態を作り出す酒蔵番よ、余をして飲まざる形より飲みたる形になし給えや!

『ラブレー第一之書 ガルガンチュワ物語』渡辺一夫訳より

 

 『ガルガンチュア物語』の後半は戦争場面が続く一方、前半部分には平和な宴会の場面が描かれる。豊かな王国の豊かな食材やワイン。王国の民が楽しくワインを飲み交わし、くだらない冗談を言い交わす。後に悲惨な戦争が起こるとはとても思えない。至って平和な光景である。

 ギュスターヴ・ドレ 1873年出版『ラブレー著作集』 
王国の民が宴会を楽しむ場面

 『ガルガンチュア物語』の序文で、ラブレーはこのように記している。「涙よりも笑いごとを描くにしかざらむ、笑うはこれ人間の本性なりけり。」と。だからこの物語にはどの場面においてもユーモアが溢れているのだ。争いなど忘れ、馬鹿げたことに笑い日々を過ごす。これこそが人間なのだ。

  ドレは宴会に興じる人々の様子をとても愉快そうに描いている。ラブレーの時代から何も変わっていない。人々はそれぞれの正義を盾に争いを繰り返す。ドレの時代も、現代においても同様であろう。争いなどせず、皆ワインでも飲みながら笑い合えれば良いのだ。この挿画に描かれているのは、時代を超えて普遍的な理想郷の姿である。

 ギュスターヴ・ドレ 1873年出版『ラブレー著作集』 
王国の民が宴会を楽しむ場面

希望となるアルザス

 アルザスはドレの時代の後も、その豊富な資源から幾度も争奪が繰り返された。第一次大戦後にはフランスへと割譲され、第二次大戦が勃発するとナチス・ドイツによって占領される。そして大戦が終わり、再びフランス領に復帰し現在に至る。度重なる紛争を経て統合を果たしたヨーロッパの象徴として、現在アルザスの首府ストラスブールには欧州議会本会議場を始め、欧州評議会、欧州人権裁判所などEUの主要機関が置かれている。

 アルザスのワインからはドイツの影響を今でも強く感じることができる。ブドウ品種や瓶型、ラベル上の品種名表示など、フランスの他のワイン産地とは異なる独自性を持つ。アルザスのワインは、争いを乗り越えてきた歴史を今に伝える平和への希望である。

 

2021年1月
篠原魁太

 

<主な参考図書>

フランソワ・ラブレー『第一之書 ガルガンチュア物語』渡辺一夫訳 岩波文庫
*本文中の『ガルガンチュア物語』の引用は全て上記より
渡辺一夫『渡辺一夫著作集1 ラブレー雑考』筑摩書房
ラブレー原作『異説ガルガンチュア物語』谷口江里也訳東京 未知谷
ダンテ原作『ドレの神曲』 谷口江里也訳 宝島社
『ドレの旧約聖書』谷口江里也訳・構成 宝島社
谷口江里也『ドレのロンドン巡礼-天才画家が描いた世紀末-』 講談社
荻野アンナ『ラブレーで元気になる』みすず書房
荻野アンナ『ラブレー出帆』 岩波書店
マイケル・A. スクリーチ『ラブレー笑いと叡智のルネサンス』 平野隆文訳 白水社
『世界版画美術全集3』 講談社

 

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